刑務所で自己実現・・・
毎日新聞の記事
に浜井浩一先生のコメントが出ていました。
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法務省矯正局は「人が増えれば受刑者のストレスも当然増える。独りでいたいという人が増えるのは推認できる」と、背景に刑務所の過剰収容を指摘する。同局によると、全国の刑務所の収容率(今年7月末、速報値)は103.7%で、6人部屋の雑居房に8人を収容するなどしている。
5月、日本で初めて民間資金導入で開所した刑務所「美祢(みね)社会復帰促進センター」(山口県美祢市・定員1000人)は人間関係のストレスに配慮し、受刑者の9割以上が「単独室」で生活できる。龍谷大学の浜井浩一教授(犯罪学)は「(既存刑務所も)独房を増設したり、カウンセリングを積極的に行うなど、受刑者のストレスを緩和させる施策が必要だ」と話している。
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過剰収容で「独房希望!」の人が増えてるんじゃないか・・・という見方が妥当なんでしょうね。「独房へ入る」っていうのは「懲罰」なのですが、記事中の写真みると・・「3畳半にふたり・・」って確かに「独房入り」希望する人増えるかも・・、結果、懲罰にならんってことになるんでしょうね・・。
・・というわけで、遅くなりましたが以前のエントリー
の続きです。引用は「刑務所の風景―社会を見つめる刑務所モノグラフ/浜井 浩一」。
刑務所は「経理夫」と呼ばれる受刑者がその運営の一部を担っていて、「経理夫」は刑務所運営には欠かせないスタッフでもあります。そのなかで「理髪師」について浜井先生がこうかかれています。
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職員用の理髪師の場合は職員が立会(りっかい)しないため、比較的常識的な行動がとれ、性格的に安定しているものが選ばれる。といっても、凶悪犯罪を犯した者が理髪師から除かれるかというとそうではない。筆者が散髪してもらった3人の理髪師の罪名は、強姦、傷害致死、殺人であった。いずれも世間では凶悪犯罪者と呼ばれる人たちである。受刑者と面接するようになってまず気が付いたことが、罪名と目の前の受刑者とのギャップである。罪名の凶悪性と人格の凶悪性はほとんど無関係である。殺人、傷害致死、強姦といった罪名をもつ受刑者には、第一印象として穏やかで素直な人が少なくない。事件の凶悪性から考えれば、こうした印象は表面的なもので、邪悪な本性が隠されているように思われるかもしれないが、少なくとも刑務所に務めている数年間は、これらの受刑者は第一印象どおり大きなトラブルなく過ごすものが多かった。受刑者の作業指定を担当していた考査統括(女性)は、経理夫が不足すると、拘置所に出向いて、性犯罪者の凶悪事犯者から順に面接し、経理夫を探していた。(略)
ある種の凶悪犯罪者にとっては刑務所の中よりも、社会のほうが暮らしにくいのかもしれない。
次の事例は釈放後の社会ではなく、刑務所が自己実現の場となってしまった経理夫に対する分類調査の所見である。
「(略)刑務所生活は今回で3回目となるが、常に舎房掃夫等の経理作業に従事している。面接態度は穏やかで、素直で常識的な応対のできる人である。しかし内面では「俺はこんなはずじゃない」といったプライドを捨てきれないため、地道に一からやりなおすことができず、刑務所を出所しては一発逆転を夢見て、現実逃避のギャンブルに興じ、遊興費、生活費に困っては事務所荒しを繰り返している。
機転が利いて如才ない人なので、刑務所では優等生であり、常に経理夫として職員から頼りにされる存在になっている。職員に指示されなくても、てきぱきと行動し、作業中の表情も生き生きとしている。本人はあまり意識していないようだが、社会にいるときよりも、刑務所のほうが充実した生活を送っている。つまり、刑務所から釈放されても、社会では落ちこぼれの前科者としての挫折感の中で生きていかなくてはならないが、刑務所の中では有能な経理夫として評価され、認められる存在であり、最終的には仮釈放というゴールが存在する。このプロセスを経て職員から評価され、仮釈放を得ることが本人にとってひとつの生きがいとなっている。(略)
この人の場合、仕事も家族も失って、承認欲求を満たす場が社会になくなり、刑務所のなかで見つけ出してしまったともいえる。
本件の事務所荒しについても、「最後は東京に遊びに来るつもりであったが、途中で金がなくなった」と述べている。その行動パターンはあまりにも短絡的であり、本人にそれが理解できないはずはなく、ある種の確信犯ともいえる。(略)」
刑務所運営には経理夫は不可欠である。しかし、この例に見られるように、刑務所の中に自己実現の場を作り出してしまい、刑務所に依存し、社会に適応できなくなっていく受刑者もいる。そして、そうした経理夫を必要として、前期のような受刑者を知らず知らずのうちに作りだすのも刑務所である。(略)
刑務所は全員が自由を奪われているという意味で人工的に作られた平等社会であり、その中で経理夫は客観的にはわずかなものであるが、主観的にはある種の“特権階級”である。職員から名前で呼ばれ、作業賞与金が高く、調理に場合は毎日入浴ができたり、休日出勤の代休として日中の昼間から映画を鑑賞できたりする。当直刑務官の布団を敷くのは舎内掃といわれる経理夫である。刑務所が経理夫を必要とし、経理夫も刑務所での充実した生活を求めるという関係ができあがっている。経理夫を経験したことのある累犯受刑者はほとんどが経理夫を希望する。(略)
事例で紹介したケースでも、前刑時に、舎内掃の担当職員について「とても目をかけてもらい、お世話になりました」といいながら、懐かしそうに話している姿が刑務所しか居場所がなくなっていることを如実に物語っている。
しかし、このような経理夫として何度も受刑している者もある日、自分が刑務所から必要とされなくなったことに気づく日がくる。経理夫は重労働であり、高齢者や病弱な者を経理作業に配置するわけにはいかない。ある65歳の累犯のベテラン経理受刑者は、自分が高齢で経理作業に就けないことを知り、呆然とした表情を浮かべながら、「どうしてですか。自分は、まだ若い者には負けませんよ。体も大丈夫です。前刑の担当さんに聞いてくださいよ。前の親父さんには本当にかわいがってもらったんです。これまでずっと経理一筋だったんですよ」と訴えていた。刑務所からも必要とされなくなった彼らの居場所は、それでもやはり刑務所しかない。養護工場に配役されるか、体を壊して昼夜間独居となるか二つに一つである。筆者が昼夜間独居者との面接から戻り、痴呆症の症状が見られオムツをはいている受刑者について報告していると、部下の刑務官が「首席、Aは今はああですが、自分も若いころに(経理夫として)使ったことがあるけど、よく働く使える奴だったんですけどね」と話すケースが少なからずあった。
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なんかしんみり・・(ノ_-。) 年をとるのよねー。