玄倉川の岸辺

悪行に報いがあるとは限りませんが、愚行の報いから逃れるのは難しいようです

「弁護」の意味を知らないthessalonike2氏

2006年04月21日 | 「世に倦む日日」鑑賞記
thessalonike2氏は文章を書くとき辞書を引かないのだろうか。

世に倦む日日 : 護憲派の愚行と自失 - 人権派弁護士における政治的緊張感の欠如
今回の安田好弘と足立修一の問題は、二人が被告人の人権の擁護にのみ妄執狂奔して、正義を実現する弁護士の使命を忘れ、無視逸脱していることである。
それは違うだろう。
あの事件の弁護士たちのやっていることは「被告人の人権の擁護」というより自分たちの死刑廃止論のアピールだ。
あんなやり方では裁判官の心証を悪くするだけであり、弁護の成功は望めない。彼らにとっては被告が死刑になろうとなるまいとそのこと自体は二次的な問題であり、自分たちの主張を社会に宣伝できればそれでいいのだろう。
彼らは殺意を否定しているのだから、もし被告人が死刑になれば「『冤罪で殺された』被告は死刑制度の犠牲者だ」と宣伝することができる。むしろそうなったほうがメリットがあると考えているのかもしれない。



弁護人は弁護を通じて社会正義を実現しなければならない。
この主張自体に異論はないけれど、18日のエントリにあった「弁護活動の目的の第一は被告人の量刑軽減ではなく、正義の実現と真実の解明ではないのか。」という主張とはまったく違う。thessalonike2氏は以前の文章を取り消されたほうがよろしいのではないか。
あらためて説明する必要もないことだが、弁護という言葉の意味は

 「その人のために申し開きをして、その立場を護ること。その人の利益となることを主張して助けること。」 goo国語辞典

である。被告人にとって法廷における利益とは何だろうか。何よりもまず「量刑の軽減」であろう。
まさか「あの」被告人が「自分の刑を軽くするより社会正義の実現を望みます」と言うはずもない。


thessalonike2氏の
  18日の主張 量刑軽減ではなく、正義の実現」
  20日の主張 弁護を通じて社会正義を実現」

たった二日で主張をがらりと変えて平然としているthessalonike2氏の神経の太さには感服するほかない。

(追 記)
読み返してみるとなんだかピンボケな文章なので追記します。

thessalonike2氏の
18日の主張 「量刑軽減ではなく正義の実現を」 = 弁護不要論
20日の主張 「被告人の人権の擁護にのみ妄執狂奔して、正義を実現する弁護士の使命を忘れ、無視逸脱している」 = 弁護過剰論

玄倉川の主張 「あの事件の弁護士たちはまともな弁護をしていない」 = 弁護不在論


(追 記 その2)
弁護団への批判は根拠のない憶測でしかないと納得したので取り消します。(玄倉川の岸辺 書きたくはない


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2 コメント

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Unknown (本城右京)
2006-04-24 20:54:04
報告が遅れてしまいましたが、TBありがとうございます。



しかし、“張りぼて”というか“自己陶酔”というか…

本当に心酔しきっている人たちの気が知れませんね。

…いや、私は一時期は知ろうとは思ってたんですが

いまやそんな気力など萎えてしまいました(苦笑)。

自分で「意味合いが変わっている」ことに気づかないのかなぁ?

「正義の実現と真実の解明」…後者は役目が違います。

それに、thessalonike2氏はよく“正義”という語を

多用していますが、逆効果ですよと言いたい。
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魅力 (玄倉川)
2006-04-25 01:10:36
>本城右京さん

こちらこそよろしくおねがいします。



私なりにthessalonike2氏の良い所を挙げてみると



 ・強い正義感 (非論理的な強引さが目立ちます)

 ・大胆な予測 (私は彼の超個性的な予測が大好きです)

 ・みなぎる自信 (どこから湧き上がるのか不思議です)

 ・個性的な文体 (名文とは言いませんが余人の追従を許しません)

 ・エネルギッシュな長文・高い更新頻度 (素直に感心します)



といったところでしょうか。

「個性的」な「実力派」ですからブログ世界で一目おかれても不思議ではありません。

「正義を希求しカリスマに憧れる」タイプの人は多いですから、「世に倦む日日」はそういう人たちに受けているのでしょう。
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