壇上寛『陸海の交錯』を読む

 壇上寛『陸海の交錯』(岩波新書)を読む。副題が「明朝の興亡」、本書は「シリーズ 中国の歴史」の4巻目になる。

 モンゴルの元朝末期、天災・飢饉・疫病などが相次ぎ、各地に数万、数十万の棄民・流民が発生した。そんなときに白蓮教が民衆の心をとりこにした。白蓮教の一部が頭に赤い布を巻いたので紅巾軍と呼ばれ、反乱した。

 そのころ貧農の家に生まれた朱元璋が頭角を現し、地主たちの勢力をまとめて、やがて呉王に即位し、その後元朝に対して攻撃を開始し山東のほぼ全域を支配下に収めた。朱元璋は皇帝に即位し、国号を大明とした。元号を洪武と定めた。

 朱元璋すなわち洪武帝は破った敵に対してきわめて苛烈な報復をした。また洪武帝絶対王政の確立のため、宰相およびその部下たちを捏造事件によって残忍な方法で公開処刑した。その他、汚職を口実に開国の功臣もあらかた処刑し、都合10万人の犠牲者を出して明の絶対王政は完成された。

 明初の専制主義の高まりと絶対帝政は決して朱元璋一人の所為の結果ではない。それを支持する社会の空気が当時はたしかにあった。ただ、朱元璋の政策は社会の予想をはるかに超えて、あまりに苛烈かつ酷薄であった。元末の秩序崩壊を経験した中国社会は、狂気と信念の非人間的な皇帝を明初という時代に生み出してしまったわけだ。

 

 洪武帝のあと、孫の建文帝が継ぐが、洪武帝の弟燕王が反乱を企て建文帝が敗れる。燕王が即位し永楽帝となる。

 本書の面白いところは皇帝の性格や政策を描きながら、また周辺の諸国の動きや経済的な問題も丁寧に描いて、歴代皇帝の動静や歴史の流れを伝えてくれる。さらに為政者の残酷な政策がしばしば見られること、ナチススターリン毛沢東北朝鮮などの悲劇が決して偶発的なものではないことを教えてくれる。

 最後の皇帝崇禎帝は清軍に追われ自殺する。読んで面白い優れた中国史だった。

 

 

 

吾嬬神社へ初詣


 元日は吾嬬神社へ初詣に行った。吾嬬神社は東京墨田区にある小さな神社。小さいが関東でも最も古い神社に属する。ご祭神は弟橘媛オトタチバナヒメ)、彼女は日本武尊(タマトタケル)の妃とされている。

 「すみだの史跡散歩による吾嬬神社の由緒」によれば、

 

この地は江戸時代のころ「吾嬬の森」、また「浮州の森」と呼ばれ、こんもりと茂った微高地で、その中に祠があり、後「吾嬬の社」と呼ばれたとも言われています。この微高地は古代の古墳ではないかという説もあります。

吾嬬神社の祭神弟橘媛命を主神とし、相殿に日本武尊を祀っています。当社の縁起については諸説がありますが、「縁起」の碑によりますと、昔、日本武尊が東征の折、相模国から上総国へ渡ろうとして海上に出た時、にわかに暴風が起こり、乗船も危うくなったのを弟橘媛命が海神の心を鎮めるために海中に身を投じると、海上が穏やかになって船は無事を得、尊は上陸されて「吾妻恋し」と悲しんだという。

のち、命の御召物がこの地の磯辺に漂い着いたので、これを築山に納めて吾嬬大権現として崇めたのが始まりだと言われています。

 

 吾嬬=わが妻=弟橘姫である。近くには東武亀戸線東あずま駅があり、一帯は昔はあづま村と呼ばれていた。隅田川に掛かる吾妻橋は一説には吾嬬神社への参拝のために掛けられたという。広重の浮世絵には吾嬬神社を描いた一枚もある。

 関東を平らげたヤマトタケルが都へ帰る時、山梨あたりから関東を振り返って、「あづまはや」、ああわが妻よと言ったので関東をあずまと呼ぶことになったのだと説明されている。しかし、このような地名説話はたいて後付けのものである。説話よりも地名が先なのだ。

 東京湾を囲む地域のあちこちに吾嬬神社がある。神奈川にも東京の大森あたりにも千葉の木更津にもある。古代に東京湾岸に「あずま」という地名が散在していたのだろう。あずまとは何だろう。それは分からないが、あずまと言えば群馬県だ。吾妻郡や東吾妻町があり、吾妻川が流れている。吾妻川流域には縄文遺跡が多数分布する。大胆な推測をすれば、古代まだ日本列島に中央集権国家ができる前、群馬県にあずまと称する豪族がおり、その支配圏が東京湾岸まで及んでいた。各地に残る吾嬬神社はその支配の痕跡ではないのか。

 だから吾嬬神社が古いのは間違いない。古い地図には吾嬬神社の周辺は海で、吾嬬神社があるのは浮州の森と呼ばれた小さな島だったという。近所にはのちに石井神社と呼ばれる御石神信仰、また立石と呼ばれているこれまた御石神信仰を祭る聖地がある。

 写真は元旦の吾嬬神社。

 

謹賀新年

 本年もよろしくお願いします。

 ブログを始めて今年で丸20年になります。

 長い間毎日投稿を続け、一昨年コロナで入院してからは週6回の投稿をしてきました。そろそろ終活を考えて今年は投稿回数を減らすつもりでいますがよろしくお願いします。

 写真は元旦の東京スカイツリーです。

 

今年の読書から

 今年は125冊の本を読んだ。そのうち特に優れていると思ったのは21冊だった。それらを紹介する(読書順)。

 

・海老坂武『戦後文学は生きている』(講談社現代新書

https://mmpolo.hatenadiary.com/entry/2024/02/03/215712

 

 

井上ひさし『芝居の面白さ、教えます 海外編』(作品社)

https://mmpolo.hatenadiary.com/entry/2024/01/20/214145

 

 

宇野重規若林恵『実験の民主主義』(中公新書

https://mmpolo.hatenadiary.com/entry/2024/02/23/193815

 

 

片山杜秀『大楽必易』(新潮社)

https://mmpolo.hatenadiary.com/entry/2024/03/16/220936

 

 

・奥憲介『「新しい時代」の文学論』(NHKブックス

https://mmpolo.hatenadiary.com/entry/2024/03/23/213533

 

 

佐藤俊樹社会学の新地平』(岩波新書

https://mmpolo.hatenadiary.com/entry/2024/03/29/115637

 

 

石垣りん『詩の中の風景』(中公文庫)

https://mmpolo.hatenadiary.com/entry/2024/05/18/191748

 

 

・広中一成『後期日中戦争』(角川新書)

https://mmpolo.hatenadiary.com/entry/2024/05/16/214231

 

豊崎由美『時評書評』(教育評論社

https://mmpolo.hatenadiary.com/entry/2024/05/23/140434

 

 

・小野寺拓也・田野大輔『ナチスは「良いこと」もしたのか』(岩波ブックレット

https://mmpolo.hatenadiary.com/entry/2024/06/01/215044

 

 

熊野純彦サルトル』(講談社選書メチエ

https://mmpolo.hatenadiary.com/entry/2024/06/23/173319

 

 

・松岡和子『深読みシェイクスピア』(新潮文庫

https://mmpolo.hatenadiary.com/entry/2024/09/13/210236

 

 

村井純『インターネット文明』(岩波新書

https://mmpolo.hatenadiary.com/entry/2024/10/18/212607

 

 

山梨俊夫『現代美術の誕生と変容』(水声社

https://mmpolo.hatenadiary.com/entry/2024/10/17/192402

 

 

井坂洋子井坂洋子詩集』(ハルキ文庫)

https://mmpolo.hatenadiary.com/entry/2024/10/19/225853

 

 

河合隼雄『対談集 あなたが子どもだったころ[完全版]』(中公文庫)

https://mmpolo.hatenadiary.com/entry/2024/10/25/220556

 

 

・飯山陽『イスラム教の論理』(新潮新書

https://mmpolo.hatenadiary.com/entry/2024/11/08/184411

 

 

梯久美子『戦争ミュージアム』(岩波新書

https://mmpolo.hatenadiary.com/entry/2024/11/30/220037

 

 

原武史『象徴天皇の実像』(岩波新書

https://mmpolo.hatenadiary.com/entry/2024/11/28/220015

 

 

ジョン・ル・カレ『スパイはいまも謀略の地に』(ハヤカワ文庫)

https://mmpolo.hatenadiary.com/entry/2024/12/06/192643

 

 

・佐久間文子『美しい人 佐多稲子の昭和』(芸術新聞社)

https://mmpolo.hatenadiary.com/entry/2024/12/13/184849

 

 

 

吉田秋生『増補 ハナコ月記』を読む

 吉田秋生『増補 ハナコ月記』(ちくま書房)を読む。1988年に創刊されたマガジンハウスの週刊誌『Hanako』に連載されたマンガ。ただし高野文子吉田秋生しりあがり寿江口寿史の4人のマンガ家が、毎週1人ずつ交代で描いていたので4週に1回、月に1回の掲載だった。それで「ハナコ月記」というタイトルになった。また作家名も吉田秋生でなくスージー吉田となっていた。

 当時(36年前になる)私は「ハナコ月記」が気に入って、これが掲載される号だけ買っていた。でもこれ以外は全く興味がなく、マンガを読み終わった『Hanako』は会社の女性デザイナーにあげていた。

 その連載8回目がこのマンガ。いつも見開き2ページの単純なストーリー。フリーのイラストレーターのハナコ26歳とサラリーマンのイチロー27歳は同棲している。今回ハナコは友達とアンナミラーズというカフェに来ている。



 二人が、アンナミラーズは「思いっきりムネを強調してすっごいミニスカート」で男のヒトにファンが多いらしいと話している。ほかのファミリーレストランに比べるとたかいと思うけど、あたしたち(女たち)にはカンケーない、女があんなモンみたっておっもっしっろっくもなんっともない、とぼやいている。

 で、早速好奇心旺盛な男のヒトたる私は品川駅前のアンナミラーズに行ってみた(何しろ私もまだ40歳の男盛りだった)。胸が強調されているのはウェートレスの彼女たちの制服のデザインで、たぶん大きなパッドを入れているのだろう。ミニスカートを履いているのできれいな足の子が多かったと思うけど、胸と足とかそんなにツボではなかったので、その後はもう行かなかった。Wikipediaによると最後に残った品川の店舗も一昨年閉店したのだった。

 当時私はスージー吉田が吉田秋生だとは知らなかった。ただ「ハナコ月記」を知ったので、OLの日常を描いた南Q太とか安彦麻理絵とかを読み始めた。吉田秋生は娘から『バナナフィッシュ』を教わってからのめり込んだのだった。いまでも『詩歌川百景』の4巻目がでるのを待っている。