岡山理科大学獣医学部の新設が、認可されることになった。

 10月14日、林芳正文部科学大臣が、閣議のあとの記者会見で、学校法人「加計学園」の獣医学部について、文部科学省の大学設置審議会の答申を踏まえ、来年4月の開学を、正式に認可したことを明らかにしている(こちら)。

 5月のはじめに、朝日新聞が「総理のご意向」などと記された文書の存在を報じて以来、およそ半年間くすぶり続けてきた問題に、一応の決着がついたカタチだ。

 「一応の決着」という書き方をしたのは、手続き上は決着したように見えても、この結果に納得していない人たちがたくさんいるだろうと思ったからだ。

 というよりも、納得していない側の陣営が大騒ぎしている中で、それでもなお一方的な形で手続き上の決着を急いだ政府の姿勢に驚いているからこそ、今回、私はこの話題を蒸し返すことを決意したわけで、加計学園問題は、これから先、認可の適正さの問題という当初の設定を超えて、政府が国会軽視の態度を強めたきっかけの事件として、さらには、紛糾した問題への対応の強引さからうかがえる政権の強権体質を示唆する問題として振り返られることになるのだろうと考えている。

 加計学園は、解明されることによってではなく、むしろ解明に向けた説明を拒んだ人々の狭量さを明らかにすることによって、現政権の問題点を浮かび上がらせている。その意味で、大変に稀有な事件だ。

 そもそも、森友・加計学園問題と呼ばれている一連の疑惑が与野党間の対決的な争点となったきっかけは、安倍晋三総理が、2月17日の衆議院予算委員会の答弁で

 「私や妻が関係していたということになれば、まさにこれは、もう私は総理大臣も、そりゃもう、間違いなく総理大臣も国会議員も辞めるということは、はっきりと申し上げておきたい」

 と断言した時点にさかのぼる。
 安倍首相が、なにゆえにこんな大上段に振りかぶった宣言をカマしたのかは、いまとなっては謎だ。

 首相が、この問題をナメてかかって、それゆえに軽率な断言を振り回したのか、でなければ逆に、危機感を抱いていたからこそ過大な言葉で自らの関与を否定しにかかったのか、いずれが真相に近いのかは、ご本人以外にはわからない。ともあれ、「総理大臣も国会議員も辞める」というこの時の大言壮語は、その後のご自身の行動を制限する結果を招いた。すなわち、首相は、この件に関して、少しでもご自身ないしは昭恵夫人の関与をうかがわせるいきさつについては、徹頭徹尾全面否定せざるを得ない立場に追い込まれたわけで、この時点で、首相にとって妥協の余地は事実上消滅した。つまり、小さな痛みを我慢しつつより大きな合意を得るという政治の常道を選択する道が閉ざされた形だ。

 で、本来は首相夫人を巻き込んだよくある公私混同の問題、ないしは、文科省の認可行政にまつわるこれまたよくある不透明な行政上の瑕疵に過ぎなかったこののお話は、首相の進退を問う疑惑に格上げされることになった。

 逆に言えば、総理が、2月の段階で、昭恵夫人による学園への寄付の真意(あるいは寄付の有無)や、学園の設立への関与について、それなりの事情説明なり陳謝なりをしていれば、コトは総理周辺のちょっとした「脇の甘さ」の問題として決着していたかもしれないのだし、国有地が不当に安い価格で払い下げられていた問題にしても、関係した官僚や政治家がしかるべき情報を開示したうえで当時の事情を説明していれば、事件全体は、何人かの役人のクビと引き換えに決着する小規模な利益誘導案件で終結していた可能性が高い。いずれにせよ、倒閣や首相更迭に値する話ではなかった。

 後から浮上してきた加計学園をめぐる不祥事についても同様だ。

 報道の核心は、「総理のご意向」文書(が存在したのだと仮定して)の適法性や、当該の獣医学部認可や規制緩和特区の選定への総理の関与の有無を追及する声から、次第に、政府が関連文書を隠蔽し国会答弁を拒否している姿勢への攻撃にその重心をシフトしていった。

 これは、見ようによっては、「たいした疑惑が隠れているわけでもない、ごく一般的な不祥事をことさらに大きく取り上げて、倒閣の材料にすることを狙っている反日マスゴミによる策動」に見えるのかもしれない。

 実際に、一部のネット論客はそう見ているし、メディア内でそれなりの仕事をしている人たちの中にも、モリ・カケ問題を「一部メディアによる偏向報道」と断じている向きは少なくない。

 私の見るに,マスメディアがこの件を執拗に追っているのは、必ずしも倒閣を目的としているからではない。
 といって、彼らが事件を針小棒大に報じようとしているとも思わない。

 倒閣を熱望している記者がいないとは言わないし、全体として現政権に良い感情を持っていない報道機関だってあるのだろうとは思っている。でも、だからといって、彼らが倒閣のために記事を書いていると断ずるのは軽率だろう。

 メディアの人間がこの話題に固執しているのは、ごく単純な話、事件にかかわる情報があまりにも不自然に隠蔽されていることに対する、取材者として極めて自然なリアクション、だと思う。

 資料が廃棄され、関係者が取材を拒み、疑惑の当事者である学園長が参考人招致を拒絶するのみならず世間から姿をくらまし、もう一方の当事者であった当時の文科省次官が情報をリークすればしたで、その元次官について世にも不自然な下半身不祥事が全国紙に暴露され、そうしている間にも認可前の新設学部の建設工事は停滞することなく進められ、最先端の獣医学に寄与するという建前にもかかわらず大学院設置へのロードマップは明示されず、四国地方に獣医師が不足しているという開学理由を裏切るようにして韓国での留学生募集が始められていることが明るみに出てきているからこそ、事件の取材に携わる記者たちは、意地になって記事を書き続けて、次につなげようとしてきたのだと思う。

 いわゆる加計学園疑惑報道(=疑惑そのものではなく報道)を攻撃する言葉として最も典型的に繰り返されているのは

 「なんのエビデンスも無いじゃないか」

 というセリフだったりする。

 まあ、疑惑なのだから、エビデンスは、解明されてからでないと出てこないと言えばそうも言えるわけだが、一方に、確たる証拠のない事案について断定的な書き方をしているメディアの姿勢に疑念を抱く人々がいることはよくわかる。

 とはいえ、実際のところ、学園周辺ならびに政府が、報道側の質問に対してほとんどまったく何の回答も提示していないどころか、周辺情報すら積極的に消しにかかっていることが目に見えているからこそ、「答えがない」ということを繰り返し報道せざるを得なくなっているのが実態ではあるわけで、つまりこの問題は、エビデンスの有無以前に、政府ならびに学園の隠蔽ぶりのあまりといえばあまりに異様な強烈さそのものが報道の核心になっている、はなはだ珍しいケースだと考えるべきなのではなかろうか。

 岡山理科大学獣医学部が認可されるに至った事情を取材すれば、とてもではないが

 「何の問題もない」

 とはいえないはずだ。
 百歩譲って

 「多少の問題はあるだろうけど、たいした問題ではない」
 「たしかに問題はあるけど、ほかの大学のほかの学部の認可だって似たようなものだよ」

 ということが仮に言えるのだとしても、その種の相対化は、学園側が説明を拒む理由にはならない。政府が国会答弁を嫌って臨時国会を冒頭解散したり、衆議院を解散したり、新たに始まることになっている解散後の国会の質問時間の割り振りを変更する理由にはなおのことならない。あたりまえの話だ。

 つまり、何がおかしいのかというと、何かがおかしいと多くの人々が感じていることがらについてまったく説明が為されていない点がおかしいわけで、このおかしさは、この問題が浮上した当初の疑問のおかしさよりも巨大な疑惑に成長している。だからこそ、本来は文部科学行政上の些細な不祥事であったこの話題は、政権担当者のリーダーとしての資質を疑わしめる試金石に変貌している。

 「説明してください」
 「文書がありません」
 「えっ? どうして」
 「廃棄しました」
 「認可の過程を教えてください」
 「議事録がありません」
 「どうしてですか?」
 「個別の議事録は作成していません」
 「学園長を参考人招致したい」
 「招致の必要を認めません」

 これでは、まるでらちがあかない。

 仮に疑惑のエビデンスがつかめていなくても、こんな事態に直面したら「これほどまでに強烈に隠蔽をはかっている以上、その先には必ずや何かが隠れているはずだ」と類推するのが、取材者の当然の構えというものだ。

 追及の過程で明らかになったことがいくつかある。
 もちろん学部認可問題の真相ではない。
 むしろ、真相がまったく明らかにならないことによって明らかになったことがあるというお話だ。

 なんというのか、加計学園問題の真相それ自体よりも、もっと深刻でずっと致命的なことが次々に明るみに出ていることが、この問題の特別なところで、経緯を振り返ってみるに、政府は、この本質的にはわりとどうでも良い首相ご自身の公私混同案件を隠蔽するために、結果として、およそ空恐ろしい掟破りの反則を次々と犯してきたということだ。

 この問題の核心は、つまるところ、インチキな質草を持ち込んだことをごまかすために質屋の老婆を斧でたたき殺した青年の例と同じく、すでに当初のきっかけとしての事件(質草の虚偽性)とは別のステージに移行している。

 念のために列挙しておけば、森友・加計問題が浮上させた問題点は、以下の通り。

・国会軽視:質問のはぐらかし、証人喚問、参考人招致の拒否、度重なる強行採決と審議拒否、臨時国会開催要求に対する3カ月に及ぶ放置、臨時国会冒頭での首相の演説を経ない解散、再開国会での野党質問時間の短縮要求

・行政への不当介入:行政文書の廃棄、国家戦略特区ワーキンググループの議事録と議事録要旨の食い違い(議事録要旨改ざんの疑い)、国会答弁で野党側の質問に対して説明を拒んだ官僚の異例の出世などなど

・公私混同:首相の信奉者であった森友学園理事長と、首相の友人である加計学園グループのリーダーの扱いの違い(国会の証人喚問に応じて事件について証言した籠池泰典氏がほどなく逮捕され、しかも勾留以来、3カ月以上にわたって保釈されないところか接見禁止の状態が続いているのに比べて、首相の腹心の友とされる加計孝太郎氏は、メディアの取材すら一切寄せ付けない環境で守られている)

 最後に、個人的な見解を明らかにしておく。

 私は、モリ・カケ問題は、東アジアの政治家にありがちな身内への甘さが招いた不祥事だというふうに理解している。

 規模や悪質さに違いはあるものの、基本的な構造は朴槿恵前韓国大統領が退陣に追い込まれた事件とそんなに変わらない、と考えてもいる。

 とはいえ、モリ・カケ問題は、隣国の前大統領の公私混同の酷さとくらべれば、ずっと些細な話ではある。

 であるから、今回の一連の出来事を通じて安倍首相の身内への甘さが露呈したことが、政治家としての致命的な失点であるというふうにはあまり考えていない。

 身内に甘い顔をする傾向は、なにも安倍首相に限った問題ではない。

 これまでにも、多くの政治家が、それぞれの時代に応じて似たような問題を追及され、陳謝し、けじめをつけ、次の選挙までの間しばらく謹慎したりしつつ、この種の問題に向き合ってきた。

 そもそも、身内を大事にすることは、「オヤジ」「センセイ」と呼ばれることの多いうちの国の政治家にとっては、失点である一方で、「義理堅さ」と「頼りになる」実力を物語る、大切な資質でもあった。

 古いタイプの政治家の支持者たちの中には、親しい知り合いや地元に利益誘導をすることこそが政治力だと考えている人たちがたくさんいる。その意味では、安倍さんが親しい友人や近い理想を抱く人間に便宜をはかったことは、許しがたい公私混同である一方で、彼が頼りになる政治家であることを示唆する話でもある。

 何を言いたいのか説明する。

 うちの国では、多くの政治家は、結局のところ、身内に便宜をはかっている。
 で、運悪くバレた人間だけがその所業を裁かれることになっている。

 安倍首相ご自身は、だから、昔から多くの権力者が当然のようにやってきている利益誘導が「バレ」たことを、「運が悪かった」ぐらいに考えているのかもしれない。じっさい、バレずに済んでいる人たちもいるのだろうし、バレた人間だけが裁かれるのは、不当といえば不当でもある。

 が、スピード違反の取締を見ても明らかな通り、バレた人間だけが裁かれるというのは、法律が実際に運用される姿としては、ごく当たり前の姿で、そこに文句を言っても仕方がない。

 私がむしろ懸念しているのは、安倍首相ならびに政府が、自らの過ちを認めないために行政を歪め、事実を隠蔽し、現実に直面しないために国会を歪めていることだ。

 これは、絶対に容認することができない。
 問題は、ミスを犯したことではなくて、ミスを認めず改めないばかりか、ミスを指摘する人間を攻撃していることだ。
 これはなかなか深刻なことだ。

 「あれ? シンちゃん、いま何かポケットに入れなかった?」
 「入れてないよ」
 「入れたじゃないか。オレは見てたぞ」
 「入れてないよ」
 「じゃあ、ポケット見せてよ」
 「いやだ」
 「いいじゃないか。なんにも入れてないんなら、別に見せてもかまわないだろ?」
 「絶対にいやだ」

 と、ここまでのところは、普通の子供のいさかいに過ぎない。むしろほほえましい話かもしれない。

 が、ここでシンちゃんがポケットを覗き込もうとした子供を階段から突き落としてしまったら、このお話は別のタイプのホラーストーリーになる。

 シンちゃんがポケットに入れたのは、離れて暮らしているママの写真で、シンちゃんはそれを見られるのが恥ずかしかっただけなのかもしれない。

 ただ、もはや問題は、ポケットに何がはいっていたのかではない。
 解決はとてもむずかしくなっている。
 ともあれ、階段をころげ落ちたお友だちが無事であることを祈ろう。

(文・イラスト/小田嶋 隆)

すっかりのびるまで粘り抜いて
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 当「ア・ピース・オブ・警句」出典の5冊目の単行本『超・反知性主義入門』。相も変わらず日本に漂う変な空気、閉塞感に辟易としている方に、「反知性主義」というバズワードの原典や、わが国での使われ方を(ニヤリとしながら)知りたい方に、新潮選書のヒット作『反知性主義』の、森本あんり先生との対談(新規追加2万字!)が読みたい方に、そして、オダジマさんの文章が好きな方に、縦書き化に伴う再編集をガリガリ行って、「本」らしい読み味に仕上げました。ぜひ、お手にとって、ご感想をお聞かせください。

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