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▼激高老人のブログ
http://gekko.air-nifty.com/
▼激高老人のページ
http://homepage3.nifty.com/BC/CI9.htm
>さくたけいいち/1922年1月生まれ。
>主著/『恥の文化再考』(筑摩書房、1967) 『価値の社会学』(岩波書店、1972、岩波モダンクラシックス、2001)『ジャン-ジャック・ルソー ─ 市民と個人』(人文書院、1980、『増補 ルソー ─ 市民と個人』筑摩叢書、1992) 『個人主義の運命 ─ 近代小説と社会学』(岩波新書、1981) 『ドストエフスキーの世界』(筑摩書房、1988) 『生成の社会学をめざして ─ 価値観と性格』(有斐閣、1993) 『三次元の人間 ─ 生成の思想を語る』(行路社、1995、1998再版)『個人』(〈一語の辞典〉三省堂、1996)『生の欲動 ─ 神経症から倒錯へ』(みすず書房、2003)など。
▼「自己責任論」の低俗、など
http://homepage3.nifty.com/BC/C9_13.htm#36
▼「人質批判」のニヒリズム
http://homepage3.nifty.com/BC/C9_13.htm#37
▼人質いじめの共同戦線
http://homepage3.nifty.com/BC/C9_14.htm#35
・・・コメント欄で教えていただきました。ありがとうございます。
▼「この女に石を投げるな」、東横インの小さな親切。
http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__1676337/detail
・・・メモする価値がある話だと思って。
▼上野千鶴子とジェンフリを叩くためなら
なんでもやります、という東京都への抗議
http://www.cablenet.ne.jp/~mming/against_GFB.html
関連記事
http://seijotcp.hp.infoseek.co.jp/genderfreeQandA.html
http://kaorusz.exblog.jp/4094387/
・・・「スターリングラードの戦い」あたり。
http://katardat.org/marxuniv/2002-SUWW2/Images/images06-stalingrad.html
http://katardat.org/marxuniv/2002-SUWW2/Images/images02.html
ミリオタとしては「カチューシャ」が実際にぶっ放されてる写真に「おお!」と思ったりもするが、しかしそれどころではない死体の山また山。
▼サマワの陸自、3月から撤退へ 英豪軍とともに米了承、最終調整―「中日新聞」
http://www.chunichi.co.jp/00/sei/20060131/mng_____sei_____002.shtml
>日本側は米国に対し、陸自を撤収させる一方、クウェートを拠点にサマワ近くのタリル空港へ主に自衛隊の物資を輸送している航空自衛隊C130輸送機三機の任務を拡大させる構想を打診。米側は首都バグダッドや中部バラドなど米軍拠点への米兵や物資の輸送に期待を示しており、日本は政府内の調整を急ぐ。
・・・幸いに、彼女はまだ無事らしい。
▼キャロル記者が再び訴え 誘拐グループのビデオをアルジャジーラが放映 [アルジャジーラ]
http://www.asyura2.com/0601/war77/msg/1020.html
http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__1676957/detail
・・・さきに伝えたように、
▼米軍施設で拘束のイラク人女性、釈放へ 当局者
http://www.cnn.co.jp/usa/CNN200601250004.html
アリ副首相は誘拐犯の要求する「イラク人の女性囚人の解放」には人道的な見地から積極的だし、ハマスによる誘拐への非難声明もある。このまま解放に結びつけばいいのだが。
増山さんちの赤ちゃんは「アイシャ」
イエロー「アイシャ、という名前はどうかな」
スティック「どういう意味だ?」
イエロー「どこかの国の言葉で、『女王』という意味だ」
レイ「いいじゃないか。ピッタリだ!」
今週から来週にかけてのイベント
▼武力攻撃反対リンクより
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Asagao/7440/atum.html
大阪 自衛隊イラク派遣に反対する訴訟 〜 関西(原告本人質問)。
06年2月2日(木)午前10時 大阪地裁・大法廷
http://www15.ocn.ne.jp/~j-stop/MyPage/menu0.html
国立 くにたちの会・武力なき平和の実践ー講演会&ディスカッション
06年2月4日(土)午後2時 くにたち福祉会館
http://muboubi-net.com/blog/kunitachi/
東京 “活憲”と“憲政擁護” 五十嵐仁×小林正弥 講演と対談
06年2月4日(土)午後2時 大崎第二区民集会所
http://homepage3.nifty.com/civilsocietyforum/
東京 第17回非暴力連続講座 トランセンド -- 紛争を超越する (仮題)
06年2月4日(土)午後6時半 文京シビックセンター
http://www5f.biglobe.ne.jp/~npj/
諫早 ドメスティックバイオレンス(DV)から見える ジェンダー
06年2月4日(土)午後3時 西諌早公民館
http://secure.amnesty.or.jp/cgi-local/news.cgi
名古屋 シリーズ「再び加害者にならないために」
集中する米軍基地を拒否する平和運動 〜神奈川から〜
06年2月4日(土)午後1時半 名古屋市教育館
http://www.jca.apc.org/%7Ehusen/index.htm
横浜 「死刑執行停止に関する全国公聴会」横浜公聴会「被害者支援と死刑問題」
06年2月4日(土)午後1時 横浜弁護士会館
http://www.nichibenren.or.jp/
大阪 いややねん!「日の丸・君が代」すわって示そう戦争反対!2・4集会
06年2月4日(土)午後1時半 大阪市立住まい情報センター
http://www.geocities.jp/kansaihyakuman/
守口 輝け憲法 ピースアクション!in 守口
06年2月5日(日)午後1時半 守口市民会館
http://www.geocities.jp/kansaihyakuman/
東京 憲法力をつける。――政治のことばを取り戻すために――
06年2月10日(金)午後7時 出版労連会議室
http://www.jca.apc.org/NETS/
仙台 2・11信教・思想・報道の自由を守る宮城県民集会
06年2月11日(土)午後1時半 仙台市民会館
http://www5e.biglobe.ne.jp/~mihyaku/
大津 これでいいのか日本!!〜平和・靖国・憲法・教育・人権を考える滋賀集会
06年2月11日(土)午後1時半 解放県民センター「光荘」
http://www4.ocn.ne.jp/~millions/infomate.html
大阪 「ビンくんに何が起きたのか?」〜日本にいるインドシナ難民の今〜
06年2月11日(土)午後1時半 阿倍野市民学習センター
http://park15.wakwak.com/~knc/event/event.htm
大阪 香山リカさん講演会 ―厳罰化社会を精神病理学的に分析する―
06年2月11日(土)午後2時 ドーンセンター
http://secure.amnesty.or.jp/cgi-local/news.cgi
名古屋 第40回『建国記念の日』不承認 ・ 2.11愛知県民のつどい
06年2月11日(土)午後1時半 名古屋市公会堂
http://homepage3.nifty.com/rekishikagaku-aichi/
名古屋 「建国記念の日」反対 ・ 第40回 名古屋キリスト者集会
06年2月11日(土)午後1時 日本キリスト教団名古屋教会
http://www.kyodo-center.jp/saishin/saishin.htm
大阪 STOP!憲法改悪 2.11集会
06年2月11日(土)午後1時半 大阪市立北区民センタホール
http://www.geocities.jp/kansaihyakuman/
東京 自衛隊をイラクへ送るな! 戻せ2・12練馬集会
06年2月12日(日)午後0時半 都立城北中央公園
http://backno.mag2.com/reader/Back?id=000010203
(以下amlより転載、鹿児島県限定)
▼鹿屋に米軍はいらない!
2月5日(日)午前10時〜12時
場所⇒黎明館講堂
『米軍再編と鹿屋への空中給油機移転〜沖縄からの訴え』
講師⇒石原昌家(沖縄国際大学教授〜平和学,沖縄戦研究者)
主催;県憲法を守る会、県平和センター、社民鹿児島連絡会
無料
▼「靖国」を考える県民集会〜紀元節復活反対!
2月11日(土)午前10時〜12時
場所⇒県教育会館3階
『民主主義が育たず孤立する日本〜首相靖国参拝違憲訴訟〜
講師⇒郡島恒昭 〜 靖国参拝違憲「福岡判決」を活かす会代表
(元訴訟団長、元西日本新聞記者、浄土真宗本願寺派僧侶)
主催;県憲法を守る会、県平和センター 099-252-8585
無料
▼鹿屋に米軍?米兵が来るとどうなるの?〜沖縄の女たちからの報告〜
2月18日(土)午後1:30〜 サンエールかごしま5階伝統文化室
2月18日(土)午後7:00〜 鹿屋市中央公民館
2月19日(日)午前10:00〜 鹿屋市中央公民館講師⇒高里鈴代(たかさと・すずよ)
プロフィール; 1940年台湾生まれ。1961年沖縄キリスト教学院短大
キリスト教学科卒業の後ハリス・メモリアル・カレッジ(フィリピン)2年
留学。1977年東京都立社会事業学校卒業。東京都婦人相談センター
電話相談員、那覇市婦人相談員を経て、那覇市議会議員(4期)
副議長。2004年那覇市長選挙に挑戦して落選。現在フリーで活動中。
1995年10月「強姦救援センター・沖縄レイコ」の設立メンバー。
同年11月から「基地・軍隊を許さない行動する女たちの会」共同代表。参加費 ⇒ 500円
問合せ ⇒ 099-252-2633(赤星貴子) 090−9478−2740(横井桜)
鹿屋にも米軍に来てほしくない女たちの会/共生ネットワークTekuTeku
有事を許さない女たちの会かごしま/ピーススフィア貝の火運動かごしま
▼保険医協会創立20周年 記念講演
森田実日本の政治を斬る!〜小泉政権4年の軌跡と明日の日本を考える
森田実(政治評論家)プロフィール
1932年生まれ。東京大学工学部卒、日本評論社出版部長、経済セミナー
著者【小泉政治全面批判、公共事業必要論、新公共事業必要論】
3月5日(日)午後5〜7時
城山観光ホテル♪ロイヤルガーデン
申しこみ先 ⇒ 099-254-8662(電話), 099-254-8667(ファックス)
無料
Spa!に登場、ネット弁慶
・・・今週のSpa!の特集、(SPA! 2006年2月7日号「[責任とりたくねー]男たちの群像」)に、
朝日新聞とおぼしき「某大手新聞社」たたきが大好きな匿名ネチズンの生態が
リアルなイラストつきで紹介されている。
▼匿名のネット上ではすごい強気だが・・・
リアルライフでは何も主張しない理由とは
小沼重雄さん(仮名)27歳・web制作業
>手で口を隠しながらしゃべる
>だいたい思いつきで議論を始めるが
>つぶされるとすぐフテくされる!
>最近コンタクトに替えた
>数ヶ月髪の毛放置
>うしろは段差になっている
>ブカブカのタートルネック
>ロングのアーミーコート
>身長178cmくらい 歩くときは猫背
>ジーンズとか 茶色のバッシュなど
・・・イラク同時多発外国人誘拐事件の人質を叩いた「自己責任」厨、
あるいは嫌韓厨などとも共通するメンタリティの持ち主のようだ。
思い当たる人はよく読んでおいてください。
>「母親にも強気ですか?」
>怒鳴ってしまうことはありますが、基本的には感謝している
・・・思うような仕事につけなかったり、対人関係がうまく構築できなかったり、女にモテなかったり、境遇が不幸な人はいくらでもいる。だがなぜそれが他罰的な方向や「弱者たたき」に結びつくのか。それが「癒し」をもたらしてくれるのかもしれないが、それ以外の方法はないのだろうか。こんなことを放置しておくことが、はたして本人のため、あるいは「日本のため」なのだろうか?・・・なにをもって「日本」とするかは、諸説あるだろうけれども。
▼入店拒否訴訟、黒人男性が敗訴 差別発言の存在認めず
http://www.asahi.com/kansai/news/OSK200601300045.html
>マクガワンさんは、04年9月4日、同店前で同じ黒人の友人とショーウインドーに陳列された眼鏡を見ていた際、表に出てきた経営者から「出て行け。黒人は嫌い」などと言われて入店を拒否されたとして、同年10月に提訴していた。
>判決は、マクガワンさんが主張する発言があったとすれば、法の下の平等を定める憲法に反すると指摘した上で、発言の有無について検討。「原告の日本語に関する能力の程度には相当の疑問がある。当日の発言の意味をほとんど理解していなかったとの疑いがぬぐえない」と判断した。
▼大東市眼鏡転入店拒否事件の裁判への理解を求めるビラ配り...
@One Asia ( Blog )
http://www.one-asia.com/mt/archives/2005/12/post_78.html
>下記は、配布資料の内容を転載したものです。
・・・
>2004年9月4日、原告のスティーブ マクガワンさんは眼鏡を購入しようと、友人と2二人で大阪府大東市にある眼鏡店に入ろうとしたところ、店内から出てきたこの店のオーナー(被告)に「出てけ、黒人嫌い、ドア触らない、ショーウィンドーに触らない、じゃま無理」ときつい口調で言われ、まるで犬を追い払うかのような手つきで入店を拒まれたという事件です。
>自分に向かって発せられた言葉の中で、「黒人」という言葉だけが分からなかったマクガワンさんは、すぐに携帯電話で日本人の奥さんに「黒人」という言葉の意味を尋ねます。そこで、自分が人種によって入店を拒否されたこと、つまり差別をされたことを知るのです。
▼黒人差別訴訟:原告の損害賠償請求を棄却 大阪地裁
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/photojournal/news/20060130k0000e040071000c.html
>翌日、原告と一緒に店を訪ねた日本人の妻が「昨日、何があったのか」と尋ねた。経営者は「店の前に変な人がいて入店できないと、客から電話があり、店から離れてもらった。若いころドイツにいたことがあって、黒人から嫌な思いを受けた」などと説明。妻と言い合いになった。
>判決後、会見したマクガワンさんは「人間以下の扱いを受けた気分。数世紀前の米国南部にいるようで悲しい」と涙をぬぐった。原告代理人の丹羽雅雄弁護士は「差別はなかったとしながら、被告がなぜ入店を拒否したかを明らかにしていない。著しく不当な判決だ」と批判した。
あるコリア系日本人の人生
▼あるコリア系日本人の人生
(aml[AML 5771] 金信明さんの投稿より引用)
私の父は現「朝鮮民主主義人民共和国」の元山近郊の農村で1918年1月9日(戸籍謄本による)に生まれました。日本による植民地支配下の朝鮮で育ちました。父の父(祖父)「金國禎」は、元々農民でしたが、土地を奪われ、元山で行商をしていました。そのため、私の父「金仁義」は少年時代、非常に貧しい生活を余儀なくされたと聞き及んでいます。ある時、腹が空いてたまらなくなり、日本人が経営する農地にあったトマトを盗み食い、それを見つかって、日本人の農民に半殺しの目にあうまで殴られたこと。その姿を(自分の子が殴られているのに)ただ、ただ、見ているしかなかった祖父のこと。その祖父から「日本人の子供とケンカをしても、絶対に勝ってはいけない」と教えられて育ったそうです。
父はロクに教育も受けられず、幼くして日本人が経営する蒲鉾屋に丁稚奉公し、口代を稼ぎました。勉強がしたくて、したくて、たまらなかったと言います。「日本に行ったら、中学校に行けるかもしれない。」そんなかすかな望みを抱いて、父が単身日本に渡ってきたのは18才の時です。蒲鉾製造の技術は身につけているから、蒲鉾屋にでも勤めながら、「中学校に行きたい」と思ったのです。父の言によれば、当時の朝鮮の中学校は「日本人を優遇するため、朝鮮人は3人しか入れなかった」そうです。父は遠路、元山から釜山を経て玄界灘を越えて日本に着き、頼るすべもなく東京に着き、張り紙の求人広告を見て、本郷の朝日新聞の配達所に住み込みで働くことが出来ました。まだ、「創氏改名」が行われていなかった時期でしたが、日本人になりすまさなくては雇ってもらえないと考え、父は自分で「日本名」を作り、雇ってもらったそうです。
元山で日本人が経営する蒲鉾屋に勤めていましたので、自分では「日本語がうまいからばれないだろう」と思っていたそうです。しかし、新聞配達所の同僚には「朝鮮なまり」ですぐに朝鮮人とばれました。しかしながら、同僚には「画学生」など当時の日本人としては風変わりな、そして自分でも苦労を重ねている人々が多く、彼らは父の言葉の「なまり」を直してくれたり、進学の応援をしてくれたりしたそうです。(本郷の朝日新聞配達所での親切は、父にとっては一生忘れがたい出来事であり、そのため戦後仙台で電気工事会社を経営しながら、商売上の必要から「葬儀」などの記事がでる地方紙「河北新報」を購読する一方で、何の役にも立たない、一日遅れの記事が載る「朝日新聞」を購読し続けていました。)
新聞配達をしながら、父は夜学の電気学校に通い、電気工事の資格を得て、日本の電気会社に入りました。日本の電気会社に勤めているとき、日本人の上司の紹介で、私の母である日本人「松澤ひで」と見合い結婚しました。「内鮮一体」が叫ばれ、朝鮮人と日本人との結婚が奨励されていた時期でもありました。すでに「創氏改名」が事実上強制され、本貫である「清風金氏」を残すために「清金仁義」と称して、1943年7月20日「婚姻届出」したと戸籍謄本にはあります。
父の会社生活も順調に行くかと思われていましたが、だんだんと15年戦争が逼迫していく中で、会社も国策により「統合」され、朝鮮人である父には勤めづらい、差別的な職場へと変質していきました。そのため、父は会社を辞め、地方回りをはじめました。電気の技術があるため、ラジオの修理など地方回りをしながらも、生活することが出来たそうです。しかし、朝鮮人で、ラジオ等の知識があり、住居を転々と変える父は「特高」に目を付けられ、「逮捕」され、「拷問」を受けたこともあったそうです。スパイと疑われたからです。
日本敗戦後、朝鮮人は解放されましたが、多くの朝鮮人が「在日朝鮮人」として日本に残ったことは周知の通りです。
父は仙台市に移り、「日電」という電気工事会社を興しました。しかし、仕事の関係、差別のせいからなのでしょうか、父は日本国籍を取得し、母方の姓である「松澤」を名乗るようになります。父の日本国籍の取得の方法については、母方の婿養子となったのか、「帰化」したのか、戸籍謄本を見ても分かりません。ただ、日本国籍取得後、父はその出自を隠して生活するようになったのは間違いない事実です。日本社会の差別がそのような選択を父にさせました。そのため、私は父が朝鮮人だということを20才になるまで知りませんでした。
しかし、父は、後になって、仕事から引退し、朝鮮にも2度帰国し、弟にも会い、両親の骨を一部持ち帰り、仙台の「松澤家」の墓に埋めました。そして、子供達が成長し、仕事からも引退した後に、朝鮮人としての正直な生き方を公然とはじめました。朝鮮帰国時に貰ったハングルの「書」や朝鮮関係の書物が父の机に置かれるようになりました。
私の手元には父の朝鮮帰国時の写真約百枚があります。また、父と弟(私にとっては叔父)との手紙の束があります。私が「金」を名乗るようになった時、心配しながらも一番喜んでくれたのは父でした。
父は、1996年11月4日、心の中で「朝鮮人」としての民族への回帰を果たし、その生涯を閉じました。私はそのような父の思いを精一杯背負いながら、現在、日本国籍ながら、「朝鮮人」として生きています。