いま、の状況
被害をうけた皆さん、大丈夫でしょうか??
え〜
素直に今の状況を書きます。
僕が3歳の頃猪苗代に越してきました、小さい頃からよく、両親は、お金の話を二人でしていました。
まあ、具体的に言えば、「支払いが足りない、」「お客さんが少ない」だとか、
昔からけして裕福な家庭ではないことは、小さいながらに、よくわかっていました。
それでも週末は父はスキーに連れていってくれました、
その頃は全然滑れないのに、楽しくないのに、なんで毎週?
そんな気持ちでした。
でも滑れるようになると、楽しくて毎日のようにスキーに行ってました。
兄と週末はバスに乗って近くのスキー場に行って朝から夕方まで、お昼もリフトでおにぎり、それでもめちゃくちゃ楽しかったです。
小学生になると、新しいスキーが欲しくなったり、ゲームが欲しかったし、でもそれを買えるほど家には余裕がなかったです。
毎年、お下がりのお下がり、新品を買ってもらえることなんて、ほんとになかったです。
そして、小学校5年生の頃に兄と二人でホテルリステル猪苗代のフリースタイルのジュニアチームに入りモーグルを始めました。
チームに入りみんながモーグル用のスキーやブーツを使ってるのを見て、ほんとにうらやましかったし、「なんで???」って思ってました。ずっと、
兄と冬になると、古いウエアをだしてはいろいろ組み合わせてそれらしくする、そんな感じでした。
買ってもらえなかったし、買ってなんて言えなかったです。
それから
しばらくすると兄はどんどん成績を出し、それに負けないようひたすら頑張ってました、
中学3年になると、兄と一緒に、目標だった全日本ナショナルチームに入ることができました。
以前はナショナルチームに入れば用具も遠征費全部無料で、できると思ってました。
実際はそんな甘くはなく、用具も遠征費も自己負担でした。
その頃は国内の大会の旅費に2回の海外遠征、
両親も「ここまで来たから!」っていって無理して大会も遠征もないお金を出してくれて、行かせてくれました。
高校に入ると、兄と私は日本代表としてワールドカップに出場することがでました。
でもそれと同時に、年、6回の海外、一年の半分は海外でスキー、
兄と二人で1年間に500万円はゆうに超えていました。
お金が無いのに。。そう思ってましたが、自分はやりたくて仕方なかった、それに、小学生からの夢だったオリンピックにだって出たくて、辞めたくもなかったことは、事実です。
父は多分昔からジーンズと時計が好きだったと思います。
ワールドカップを転戦するうちに、ちちはジーンズも時計もしてなかった、言われなくても、わかるくらい、スキーでお金を使いました。
そんな時でも、両親は一度も、「スキーをやめてほしい」なんて言わなかったんです。
言いたかったでしょう、どんどんペンションは辛くなるからです。
だから、自分も、やらなきゃいけない、そう思えたのかもしれません。
高校卒業後、現在所属させて頂いてる、宮城県の忍建設に就職が決まり、スキーを続けていける。すごく嬉しい。
そして、ペンションに負担がなくなる!すごくそれが嬉しかったです。
そして夢だったオリンピックにだって今では出ることができました。
それはもちろん今の所属、忍建設の忍さんはじめ皆様のおかげです。
でもスキーの楽しさを教えてくれた父、それを支えてくれた母、
両親がいなかったらこんなことは絶対になかった。
最近は、兄弟も自分のやることで、家を出て、
ペンションは父母で悠々自適にペンションを営むことが出来ていました。
最初は、「つぶれるー」ってよく父がよく言っていました。でももう15年以上こうしてペンションをやって来れています。
たまに家族がそろう、そんな感じで過ごせていました。
そんなとき、この地震です。
家族はみんな無事でした。
ペンションにはたくさんの避難してくる人が来ています。
前回のブログにも書きましたが、
たくさんくる避難者をまかなっていくのは大変です。
父は町や、県に働きかけ、「どうにか補助してくれないか?」
と、なんでか相手にしてくれない。そんな状況です。
今日、原発で、でた放射能は福島や茨木ではほうれん草や牛乳に食品規定を超える放射能が検出され、需要が無くなります。
こうゆう状況は続くでしょう。
宿泊、ホテル、農業、経営はできない、
町も県も何もしてくれまい、
父は、ペンションを閉めようか、といっています、
どうにかならないかと、一生懸命やってきた父がそういったのみて、どうにかしたい、そう思います。
でも何をしていいか、
わからない、
このブログを読んで、少しでもいい案があれば教えてほしい。
なんでもいいです。
何か、働きかける方法があれば、教えれほしい。
両親にはもっと長くペンションをやってもらいたいんです。
ただそれだけです。