オタク・イズ・デッド現象とそのまとめ
で、以下が、肝心要のオタキング本人のコメント。
岡田斗司夫のプチクリ日記: オタク・イズ・デッド
僕は先日のイベントでひとことも「最近のオタクはダメだ」とか「いまのアニメはつまらない」とか言ってない。
「昔のようなオタクが減ったのはケシカラン」とも言ってない。
そのように受け取った人がいても、それはその人の「理解の限界」であって、それに反発されたり賛同されても困るばかりですよ。*2
また、イベント中に定義した「オタクとは」というのも、「僕はこう考えてるけど、もちろん君たちとは違うでしょ?」という基準線でしかなく、いわゆる系論の一部だ。
重要な本論は「貴族→エリート→アイデンティティ」という流れの変化そのものであり、問題の本質は「共通文化への忠誠心を含む、同族意識の淡泊化」なんだけどね。
インディアンや在日韓国人の例を出して説明したんだけど、そのところをレポートした人がほとんどいないのが残念。
でも、あの部分こそが「なぜオタクが死んだ、といえるのか」のキモのはずだよ。
そして、その「インディアンや在日韓国人の例を出して説明したんだけど」の部分のレポート(?)
zozo_mix's fotolife - 岡田ロフト'06.05.24_No4(注:写真画像です)
おまけに、引用の引用で、岡田斗司夫や唐沢俊一という、「オタク貴族」の「正体」について。
大月 「おたくって結局、高度経済成長の「豊かさ」がなきゃ成り立たなかった意識のありようだと思うんですよ。岡田(斗司夫)とか唐沢俊一なんかはある意味典型です。親は大金持ちだし、子供部屋が何十畳っていう、こんなの普通ねえだろうっていう環境で、親がカネとヒマとを惜しみなく投入したからああいうヘンなもんが出てきた。だからといって、あれを目指しちゃいけない。たまたまああなってるわけなんだから。ただ、彼らは間違いなくある種のカルチャーエリートではあったわけですよ。”おたく”ってのはだからプライドもあったし、エリート同士の付き合い方もあったんだけど、それが今は商品化されて薄く広がっちゃったでしょ。つまり、大衆化したおたくにかつてのカルチャーエリートとしてのおたくが呑み込まれつつあるんですよ。」
ここからわかることはつまり、
岡田斗司夫という人物は、「オタク・クリエイター主義」に対抗して「オタク・消費者主義」を打ち出していたと思われていたわけだけれども、その実態は、決して「一般消費者階級出身のエリート」などというものではなく、むしろ、まさしく生まれながらの「文化エリート」であったということ、全ての発言はそこに源を有していたのだということです。
これは、今に至るも「“庶民にわかりやすい芸術”を展開した」として一般市民から絶大な人気を誇る、芸術家=アーティスト、岡本太郎という人物が、当時のマンガ界の大御所である岡本一平と超売れっ子詩人だった岡本かの子の息子として生まれ、そして、第二次大戦直前にはフランス留学までし、その時には『贈与論』で有名な、かのマルセル=モースに師事していた「超文化エリート」だったという厳然たる事実と、極めて似通ったものだといえるでしょう。
ですが逆に、それ故に、彼が「文化エリート」である故に、さらりと「インディアンや在日韓国人の例を出して説明した」ということ、そしてそれが一般の参加者やブロガーに受け止められなかったこと、理解されなかったことの理由は非常に分かりやすいものとなります。
いわばここでは、生来の環境格差、あるいはアカデミズム的な知の格差が露見しているのです。
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これを読みましょう。
そうすればたぶん、彼が「カルチャー」=「文化」という単語に込めた意味が、わかるでしょう。
これは、おそらく世代格差の問題ではありません。むしろ、社会格差の問題というべきなのでしょう。