仙台の私立高 暴行、いじめ認める 根性焼き「両者合意」

http://www.kahoku.co.jp/news/2012/08/20120809t13025.htm

同校によると、生徒が昨年11月以降、肩や腕などを殴られたとする訴えは、同級生らが認めたため、いじめと判断した。別の男子生徒からことし5月、20回以上受けたとされる「根性焼き」は、「1回は自傷行為、残りは両者の合意があったようだ」とした。根性焼きをした男子生徒は7月末に自主退学したという。
被害生徒に自主退学を勧め、受け入れないと退学処分にする方針を伝えた理由について、同校は「根性焼きの痕を見た生徒の意見を踏まえた」と説明した。処分は生徒らの不服申し立てを受け、保留になっている。

外形的には「自傷行為」であっても、それが、意に反して無理に強いられているのであれば、被害者を利用した間接正犯、と評価されるべきものでしょう。また、外形上、「合意」があるように見えても、真意でなければ同意は無効で、同意があると評価されても、こうした見るも無残な火傷を身体に残すような行為は、社会的相当性を逸脱し違法性が高く、傷害罪が成立するというのが、現在の判例・実務の考え方と言えると思います。
仙台の私立高校も、日本の法秩序の中にあるはずですから、いじめられたほうが退学を求められるという不思議な対応を含め、日本の法秩序に反する措置は、そのような措置しか講じられない関係者の排除を含め、速やかに是正されるべきでしょう。
いじめが横行し、それに、学校、教育委員会関係者の愚かな対応が拍車をかけ悪化させる、という構図が、全国的に目立つ気がします。それだけ学校や教育委員会が劣化しているということでしょうか。

2012年08月09日のツイート

来週は東京にいません

来週月曜日夜から来週末まで、東京を離れ、さるところへ行きます。事務所自体は休みではなく(時間帯によっては事務員も不在のこともありますが)、私自身も、メールは、随時、チェックしています。半分休んでいる、といった状態ですね。
再来週月曜日から、平常の状態に戻ります。
いろいろなところで夏休みを過ごされる方が多いと思いますが、事故等に注意して、楽しくお過ごしください。

キラキラネームに賛否「個性的な子へ」「読めないのは問題」

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120810-00000544-san-soci

亜人夢(あとむ)、瑠美衣(るびい)、羅偉我(らいが)…。名付け相談に実際に寄せられた名前候補の数々だ。こういったアニメのキャラクターのような名前の子供が増えているという。「キラキラネーム」と呼んで肯定的にとらえる人がいる一方で、不快に感じて「DQN(ドキュン)ネーム」と呼ぶ人も。

私は実務家なので、「読めない」という点に引っかかりを感じますね。名前を呼ばれたり読んでもらう、という機会は、成長するに従い、無数の場面で生じますから、いちいち、どう読んだらよいかわからない、というのは、その子にとって不便でわずらわしいだろう、ということは、こういった名前をつける際に考えておいたほうが良いと思います。
ただ、こうした名前が増えてきて、世の中のあちらこちらにいるようになれば、人々に慣れが生じて、今ほどネガティブな話題にはならなくなるのではないか、という気もします。個々人が、ネット上で自分自身を紹介する、何らかのページを持つのが普通、という状態に、日本も徐々になると思われますから、読めない、わからない、ということも、そういうページを読めばすぐにわかるので困らない、ということになる可能性はあるでしょう。
あとむ、とか、るびい、らいが、といった裁判官が死刑判決を宣告したりする日も、間もなくやってくるでしょう。

「那智の滝」登った3人、礼拝所不敬などで書類送検

http://topics.jp.msn.com/wadai/j-cast/article.aspx?articleid=1274456

礼拝所不敬罪は、刑法188条1項に規定されていて、「神祠、仏堂、墓所その他の礼拝所に対し、公然と不敬な行為をした者は、6月以下の懲役若しくは禁錮又は10万円以下の罰金に処する。」とされています。
那智の滝、が、「その他の礼拝所」にあたるかどうかが、まず問題となりますが、礼拝所とは、宗教的な崇敬の対象になっている場所で、神祠、仏堂、墓所はその例示であると解釈されていますから、那智の滝も該当はしそうです。特に問題となりそうなのは、滝を登るのが「不敬な行為」に該当するかですが(公然性は肯定できるでしょう)、礼拝所の神聖さを汚し一般人の宗教感情を害する行為、と解釈され、刑法の教科書では、対象物の損壊とか汚損、といった行為が例示されていて、「登る」という行為が、客観的に不敬な行為に該当するかどうかには、やや微妙さがあるような気がします。客観的にそのような行為である、とされても、行為者の主観面で、そういった不敬な行為に該当する、という認識、認容がなければ、犯罪の故意が欠けることになります。
検察庁の判断が注目されるところでしょう。