万引きはなくなるけれど
202X年、めっきり数が減った本屋は古き活字文化を愛する一部好事家(こうずか)の集う場所となっていた。普通の人は本が読みたければ、電子ブックリーダー(電子書籍を読むための端末)で目当ての著者やテーマを検索し、購入ボタンを押すだけだ。一冊わずか60秒ほどで、家にいながら世界中の読みたい「本」が手に入る。わざわざ本屋に行く必要もない。
ブックリーダーに表示される「本」には、紙の手触りもなければ、インクの匂いもしないが、子どもたちにはとくに違和感はない。小学校入学と同時に電子教科書に親しんで育った彼らのなかには、紙の本を手にしたことのない者さえ珍しくなくなっている・・・。
最近、出版関係者が集まると話題の中心は「"黒船"電子書籍が出版界をどう変えるか」。仕事がなくなるのか、新しい知識が必要になるのか、本屋は、取次はと、話は尽きることがない。
昨年10月に日本でも販売を開始したアマゾンの「キンドル」、アメリカでの売れ行きが好調で供給が間に合わず、日本販売が1ヵ月延期されたアップルの「iPad」(5月末発売予定)など、様々な電子ブックリーダーが上陸・普及する2010年が、日本の「電子書籍元年」になることは間違いない。出版業界、特に本と本屋はいったいどう変貌するのだろうか。
冒頭の近未来図は、出版業界で働く人間たちの「悪夢」をSF風に描いたものだが、実際、電子書籍という"黒船"襲来に、本誌編集部でも様々な未来予想図が語られている。
「本がすべて電子化されれば、本屋さんは売るものがなくなるし、本屋さんに配本している取次業者もなくなるのか?」
「著作権の切れた古典の文庫なんか、全部タダで電子化されるから、出版社は大ダメージだ」
「それより、作家が直接、アマゾンと契約して電子書籍を出せば、出版社はいらなくなるぞ」
こんな心配事だけでなく、余計な想像まで膨らませる者も出てくる。
「でも、本屋さんが悩まされている万引きは、電子書籍になればなくなるな」
「ブックオフに本を売る人もいなくなるから、厳しいだろうね」
何か話題のタネができると、ああでもない、こうでもないと喧(かまびす)しいのが、週刊誌編集部の習性。ただ、電子ブックリーダーの普及により、電子書籍市場が拡大していくことが確実ないま、編集部内だけで騒いでいても仕方ない。そこで、本誌は今回、特別取材班を組み、当事者だからこそ書ける「"黒船"に翻弄される出版業界」を取材した。
最初に話を聞いたのはITジャーナリストの佐々木俊尚氏。最新著『電子書籍の衝撃』は発売前の1週間に限り、定価の10分の1にあたる110円で電子書籍の形で販売した。同書の冒頭には、あるアメリカ人ブロガーのこんな言葉が紹介されている。
<昔はインターネットのメールのことを『email』と呼んでいたけど、気がつけば『e』がとれて単なる『mail』になった。だから『ebook』(編注・電子書籍のこと)もそのうち『book』と呼ばれるようになるんじゃないかな>
言われてみれば、その通り。それも「e」がとれるまで10年もかからなかった。佐々木氏が言う。
「15世紀にグーテンベルクが印刷技術を発明し、紙の本が広がったとき、こんなものは濡れたら破れてしまうと、わざわざ羊皮紙に書き写させた修道院があったそうです。
いま日本の出版業界で、電子書籍は普及せず、紙の本が残ると思っている人は、その当時、どんな文化的変化があったかを知るべきです。そして、いかに大きな変化があっても、書物という文化はちゃんと続いた。そう考えると、紙の本はなくなる可能性があるし、なくなったからといって、電子書籍が新たな本の文化になれば、さほどの問題ではないでしょう」