今から6年前、未曾有の震災に見舞われた日本に、世界各国から温かなコメントと多くの義援金が寄せられた。その中で台湾からの義援金は総額200億円にものぼる。なぜ、これほどのお金を集めることができたのか。あのとき、台湾では何が起きていたのか。
台湾在住30年の作家・木下諄一は綿密な取材から、日本人が知らない真実を浮かび上がらせ、それを小説として書き上げた。『アリガト謝謝』。発売前に重版が決定した話題の一冊は、どのようにして産み出されたのか? 執筆の舞台裏を聞いた。
あまりにも多岐にわたっていた寄付金の出どころ
――木下さんは台湾ではすでに台北文学賞を取られていますが、日本の読者には「はじめまして」の方が多いと思います。まずは簡単な経歴を教えていただけますか?
初めて台湾に行ったのは僕が学生だった1980年です。言葉を勉強するのが目的で、1年半ほど台湾にいました。
その後、日本で商社に就職したのですが、もう一度海外に行こうと昔のつてを頼って台湾に移り、大学の語学センターで日本語講師として働きました。さらには、観光雑誌の編集長を8年務め、独立して編集プロダクションを立ち上げたところ、うまく軌道に乗りまして。
ビジネス的にはよかったんですけど、自分の業務がどんどん社長業に傾いていくわけですよね。それにスポンサーや政府の意向で書けないこともたくさんあって、ストレスを感じていたんです。
その経験からぐっと気持ちが小説の方に向かいまして、2008年には日本に帰って小説に専念しようと。そのタイミングで知人から「こんな文学賞があるよ」と勧められて、一念発起して小説を一本書きあげたんです。
――それが台北文学賞を取られた『蒲公英之絮』ですね。では『アリガト謝謝』の企画の経緯を教えていただけますか?
ちょうど2013年の夏から秋にかけて、友達から「3・11の被災地の方が台湾について知りたがっている」と聞いたんです。子供を修学旅行で台湾に行かせたいとおっしゃっている親御さんや自ら台湾に行った方……やはり義援金のことが大きかったのだと思います。
――そこから企画を?
そうですね。被災地の方々に台湾のことをお伝えするのは私にも出来ることだと思ったのですが、私は東北の人間でもないし、軽々しく書ける題材ではありません。
では、被災地の方が知りたがっている台湾の情報ってなんだろう? と考えたとき、義援金がどのようにして集まったかというのは、みなさんの知りたいことでもあるのではないかと思ったのがきっかけです。
――本作は代表処(外交の窓口機関)の職員・真奈を中心にした1章、台湾の人々がそれぞれの形で義援金を集める2章、デザイナーの愛子が有志で台湾の新聞に感謝広告を打つまでの3章からなっています。木下さんのお話ですと、本作は2章からスタートしたということになりますね。
はい、芽が出たのは2章からです。
――2章は5つの単独の物語で構成されています。どうやってこの5つを選ばれたのでしょう?
まずはじめに台湾の外交部のデータを見たのですが、寄付金の出どころがものすごく細かく多岐にわたっていたんですね。そこでまず最初の壁にぶちあたりました。これは単独の人の話にはなりえないし、どの話を抽出しよう? と。
そこで考えたのが、象徴的な5つのカテゴリーのなかで、それぞれの物語を作るということ。
1つ目は日本統治時代に日本語教育を受けたおじいさん、おばあさん世代の話。2つ目はそれとは逆の今の若い人たちの話。3つ目は将来を担う子供たちの話。4つ目はボランティアの人たちの話。5つ目は921大地震(注・1999年に台湾中部で起きた大地震)の被災者の方が日本から大きな援助を受けているのでその話にしようと。