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'''ワグナー事件'''(ワグナーじけん)は、[[1913年]][[9月4日]]に[[ドイツ]]、[[バーデン=ヴュルテンベルク州]]のミュールハウゼン村(現在はミュールアッカー市([[:de:Mühlacker|Mühlacker]])の一部)で発生した[[大量殺人]]事件。日本では、[[1938年]][[5月21日]]、[[岡山県]][[苫田郡]]で[[津山事件]]が発生した際、この事件と多くの共通点が指摘された<ref>筑波昭著 『津山三十人殺し ―日本犯罪史上空前の惨劇―』96~104頁 新潮文庫 2005年 ISBN 978-4101218410</ref>。
'''ワグナー事件'''(ワグナーじけん)或いは'''ミュールハウゼン虐殺事件'''(Massenmord in Mühlhausen)は、[[1913年]][[9月4日]]に[[ドイツ帝国]]・[[ヴュルテンベルク王国]]のミュールハウゼン村(現在の[[ドイツ|ドイツ連邦共和国]]・[[バーデン=ヴュルテンベルク州]]ミュールアッカー市([[:de:Mühlacker|Mühlacker]])の一部)で発生した[[大量殺人]]事件。
 
'''ワグナー事件'''(ワグナーじけん)は、[[1913年]][[9月4日]]に[[ドイツ]]、[[バーデン=ヴュルテンベルク州]]のミュールハウゼン村(現在はミュールアッカー市([[:de:Mühlacker|Mühlacker]])の一部)で発生した[[大量殺人]]事件。日本では、[[1938年]][[5月21日]]、[[岡山県]][[苫田郡]]で[[津山事件]]が発生した際、この事件と多くの共通点が指摘された<ref>筑波昭著 『津山三十人殺し ―日本犯罪史上空前の惨劇―』96~104頁 新潮文庫 2005年 ISBN 978-4101218410</ref>。
 
== 犯人エルンスト・アウグスト・ワグナー ==
'''エルンスト・アウグスト・ワグナー'''<!--/エァンスト・アオグスト・ヴァーグナー-->(Ernst August Wagner)は、[[1874年]][[9月22日]]、バーデン=ヴュルテンベルク王国のエグロスハイム([[:de:Ludwigsburg-Eglosheim|Eglosheim]])という村で、貧農の家の10人中9番目の子として生まれた。父は飲酒好きでうぬぼれの強い性格、そして母はいつも愚痴をこぼす陰険な性格で、性的にだらしがなかったといわれる<ref>{{sfn|中谷陽二著 『精神鑑定の事件史』 |1997|p=160頁 中公新書 1997年 ISBN 978-4121013897</ref>}}。ワグナーが2歳の時に父が他界、母は別の農夫と再婚するがワグナーが7歳の時に離婚、一家は極貧状態に陥った。ワグナーは、学校の成績は優秀で活発である一方、名誉欲が強く、異性への関心も早くから示し、18歳ごろからは[[オナニー]]癖により、[[コンプレックス]]を抱くようになったともいわれる。
 
20歳で教員試験に合格したワグナーは、各地の国民学校で教鞭をとるようになった。この頃のワグナーは、周囲からは「礼儀正しく、おだやかで、親しみがもてる」人物と見られていたが、内面では上昇志向が強く、他人を軽蔑し、知識人を気取って「標準[[ドイツ語]]」で話すのを好むなど、過剰な自意識を抱いていたようである。また、文学への関心も強く、この頃から多くの詩や戯曲を執筆し始めている。
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== 犯行 ==
1913年9月4日の朝5:00ごろ、デガーロッホの自宅で、ワグナーは最初に妻を、それから自分の4人の子供を次々と刺殺した。
 
その後、自転車でシュトゥットガルト市に向かったワグナーは、午前8:10分発の列車で、そこから12kmほど北にある都市[[ルートヴィヒスブルク]]市に向かった。自転車は手荷物として預けたが、銃3丁、実弾500発以上、拳銃2丁、革のベルト、縁なし帽などを旅嚢内に、さらに[[リボルバー]]1丁を上着の内側に携行していた。
 
ルートヴィヒスブルクで軽い食事を済ませたワグナーは、午前11:00ごろ、そこに住む親戚の家を訪れ「これからミュールハウゼン村に行っている子供たちを迎えに行く」と告げている。その後、近くの駅から、午後1:00発の列車でビーティッヒハイム市([[:de: Bietigheim-Bissingen|Bietigheim-Bissingen]])到着したワグナーは、夕方7:00ごろには自転車でビーティッヒハイムを出発、夜11:00ごろにミュールハウゼン村到着した。
 
村に到着したワグナーは、村のあちこちで放火、炎から逃げ出して来た人々を無差別に銃撃し、9名を殺害、12名に重傷を負わせた。ワグナーは男性のみを殺害しようと考えていたが、死者に女性が含まれていることを後に知って非常に後悔したという。また、村の家畜数匹も負傷した。被害者の大半は心臓を撃ち抜かれていた。ワグナーは、警官2人と怒り狂った村の住人達に打ち倒され、重傷を負って捕らえられた。この時の負傷により後に、ワグナーは左腕の[[切断]]手術を受けている。
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== 犯行の動機 ==
ハイルブロンで行われた審理や、[[精神科医]]による精神鑑定により、ワグナーの一連の凶行の動機が明らかになった。ワグナーの供述によれば、ミュールハウゼン村に教師として赴任した時に、酒に酔って[[獣姦]]行為を行ったという。ワグナーは自分のその行為が村の住人に知られるようになり、自分が嘲笑され、迫害されていると思い込むようになった。そこでワグナーは家族を道連れにして自殺する決意を固め、さらに村の住民達へ復讐しようと企てたのであった。子供達を最初に殺害したのは、自分の死後、彼らが生きてゆくのを不憫に思ったためだという<ref>{{sfn|中谷 |1997|p=169頁</ref>}}
 
しかし、事件後もワグナーの獣姦行為を証言する者は一人も現れなかった。ワグナーは獣姦行為が人に知られるのを恐れていたが、それを最初に明らかにしたのは結局自分自身であった。また、ワグナーの獣姦行為については、ワグナーが死ぬまで詳細を語ることを拒んだため、実際どのようにそれが行われたのか、本当にワグナーがそのような行為を行ったのか、もはや確認することは不可能である。
 
=== 責任能力の欠如により免責 ===
判事は[[偏執病]]により責任能力がないことを認め、ワグナーは免訴された。ワグナーは1914年2月4日、ヴィンネンデン([[:de:Winnenden|Winnenden]]、シュトゥットガルトの約20km北の都市)の療養所の一人部屋に収監された。バーデン=ヴュルテンベルクの司法史上、被告人が責任能力の欠如により免訴されたのはこれが初めてであった。
 
ワグナーは死刑を望んでいたため、自分の精神鑑定を行った精神科医を憎悪したという。
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== 参考文献 ==
* 筑波昭著 『津山三十人殺し ―日本犯罪史上空前の惨劇―』新潮文庫 2005年 ISBN 978-4101218410
* {{citation|和書|last=中谷|first=陽二著 『|title=精神鑑定の事件史|series=中公新書 |volume=1389|date=1997年 ISBN 978-412101389711-25|isbn=4-12-101389-1}}
 
== 外部リンク ==
* [httphttps://www.landesarchiv-bw.de/sixcms/detail.php?template=hp_artikel&id=11254&sprache=de/themen/praesentationen---themenzugaenge/72386 「残酷な殺人者から作家へ」、バーデン=ヴュルテンベルク州公文書館のサイト内の事件の紹介記事] {{De icon}}
* [httphttps://www.landesarchiv-bw.de/sixcms/media.php/25120/45574/File0002.pdf ワグナーの供述調書のPDF版、同じくバーデン=ヴュルテンベルク州公文書館のサイト] {{De icon}}
* [httphttps://www.landesarchiv-bw.de/sixcms/media.php/25120/45573/File0001.pdf ワグナー事件の証言記録のPDF版、同上] {{De icon}}
* [http://www.muehlhausen-enz.de/muehl.php Mühlhausen an der Enz:ミュールハウゼン村のサイト] - 事件の現場となった村の現在の様子や、事件の記念碑などの写真閲覧できる。 {{De icon}}
* [http://www.muehlhausen-enz.de/personenwagner.php ワグナーの詳細] - ワグナー本人の写真、事件の記念碑写真、事件現場になった詳細な地図が閲覧できる。{{De icon}}
 
{{Normdaten}}
 
{{DEFAULTSORT:わくなあしけん}}
[[Category:ドイツにおける大量虐殺]]
[[Category:ドイツ帝国の事件]]
[[Category:ドイツの火災]]
[[Category:一家殺傷事件]]
[[Category:放火事件]]
[[Category:銃乱射事件]]
[[Category:無差別殺人事件]]
[[Category:大量殺人]]
[[Category:1913年のドイツ]]
[[Category:バーデン=ヴュルテンベルクの歴史]]