コラム:英国離脱なら欧州で何が起こるか=唐鎌大輔氏
唐鎌大輔 みずほ銀行 チーフマーケット・エコノミスト
[東京 29日] - 為替市場では、にわかに「Brexit(ブレグジット)」、すなわち英国の欧州連合(EU)離脱懸念の高まりを受け、英ポンドが急落している。「ブレグジットはEUの政治的求心力低下」との思惑からユーロを手放す動きも強まっており、英国発の政治問題が欧州通貨取引の一大テーマとして浮上してきた感がある。
恐らくこのテーマが為替市場で支配的になるであろう4―6月期を前に、英国のEU離脱をめぐる簡単な論点整理と市場予測を行っておきたい。
<目立つメリット、見えにくいデメリット>
2月19日のEU首脳会議は英国からの要請に応じたEU改革案を全会一致で採択した。キャメロン英首相は同案を叩き台として6月23日の国民投票でEU残留・離脱の意思を問うことを表明しており、同内閣は残留支持を呼び掛けている。事前調査では拮抗が伝えられながら、ふたを開ければ大差で残留支持派が勝利した2014年9月のスコットランドのケースとの比較を今後多く目にすることになろう。
だが、今回のケースは2つの点で事情が異なる。まず、離脱派が翻意する可能性はスコットランドのケースを下回りそうだ。
スコットランドが英国から独立した場合、自治権を得る代償として英ポンドが使えなくなるなど、明確かつ致命的なデメリットがあった。だが、英国がEUから離脱する場合、委譲していた権限は戻り、通貨は据え置き、何より移民流入を制限できるという目に見えるメリットが大きい。残留派が離脱派を説得するのは難儀しそうである。
また、直前の政治的な懐柔が難しそうだという面もある。スコットランドのケースでは投票直前に英国が権限移譲を示唆するなど「餌(えさ)」を提示したことも影響したと言われる。だが、欧州委員会のモスコビシ委員は、仮に国民投票で離脱が支持された場合でも、プラン「B」はないと断言している。
すでにEUが「飲まされた」改革案は相当な譲歩を含み、これ以上の妥協はないというのが欧州委員会の公式見解だ。直前まで世論を見ながら妥協案で手を打つという展開は今のところ期待できない。逆に今後、テロなど社会不安をあおる出来事があれば離脱派が勢いづくだろう。
現状、電話調査に基づく世論調査などでは残留派が優勢であり、筆者もそれをメインシナリオに置くが、今後離脱派が盛り返してくる芽はある。
<影響度はギリシャより「マシ」か>
過去のギリシャ危機がそうだったように、英国のEU離脱の悪影響に関し、今後、様々なシミュレーションが出てこよう。だが、直感的に今回のケースはさほど不透明感を伴わないように思われる。
例えば、ギリシャ危機の際、最も懸念されたのが通貨の切り替え問題だが、すでに述べたように英国にはポンドというユーロよりも歴史ある自国通貨がある。この点はギリシャ危機との最大の違いだ。
また、英国はEU域内の自由移動を認めるシェンゲン協定を締結しておらず、パスポートコントロールは撤廃されていない。ヒトの往来に関しては、もともと欧州統合に参加していないのである。通貨ユーロとシェンゲン協定は「欧州統合の象徴」として双璧をなす存在だが、英国はどちらにも参加してこなかった。英国離脱によって統合プロセスに大きな支障があるとは思えない。
また、EUから離脱しても欧州経済領域(EEA)や欧州自由貿易連合(EFTA)に加盟し、域内での関税メリットなどを享受できる道は残る。例えば、EEAやEFTAに残留できれば、関税メリットを享受した上で欧州単一市場のルールも引き続き適用される。関税も市場のルールも(通貨も)変わらないなら、影響は限定的なものになるかもしれない。
だが、EEAに残り、ヒト・モノ・カネ・サービスの移動の自由を確保するということは、引き続きEU規制の管理下に置かれることも意味する。現実的にはEFTAによる自由貿易連合への加盟を狙う可能性が高いのかもしれない(例えばスイスはEEAには非加盟だが、EFTAに加盟している)。
いずれにせよ、ギリシャやスコットランドのケースと比べれば、通貨変更を伴わないという点で「マシ」な印象はある。英国内のEU離脱派も恐らく同様の思いを抱いているのだろう。
<懸念される企業流出やスコットランドの再反乱>
もちろん、だから離脱しても問題ないという話にはならない。EUから離脱して、EEAやEFTAからも距離を置くシナリオも考えられる。その場合、英国は現在享受している共通関税や単一市場ルールに絡んだメリットなどを失うことになる。
この場合、税制面でメリットを感じていた民間企業には英国から流出する誘因が出てくるだろうし、域内金融機関にとってはそれまで認められてきた単一ルールが適用除外になることが大きな影響を持ち得る。具体的には、1993年以降、域内金融機関に認められてきたユニバーサルバンキング・ルールやシングルパスポート・ルールなどは適用されないことになる。
そもそも国際金融センターとしての地力を備えたシティを有する英国で銀行免許を取得すれば、自動的にEU全域で業務が可能になるという状況があり、それが金融機関の英国進出を促していた側面は無視できない。かかる状況を踏まえれば、英国のEU離脱は金融機関が他のEU加盟国に業務を移管する理由になり得るだろう。ブレグジットは同時に企業の英国離脱という意味も含みそうだ。
なお、14年のスコットランド住民投票は、英国残留が繁栄の道ということで辛うじて決着したという経緯がある。それゆえ、スタージョン・スコットランド首相は、企業の流出を招きかねない英国のEU離脱が決まった場合、再び独立を賭けた住民投票を行う方針を明らかにしている。英国にとっては「泣きっ面に蜂」の展開と言えよう。
それ以外にも悪影響はある。すでに大手格付け会社が方針を示しているように、EUから離脱すれば、双子の赤字を抱える英国の資金調達をめぐり不安が高まる可能性は高い。こうした動きは英国の金融機関の資金調達コスト上昇に直結するはずであり、それを起点とした「国際金融ショック」というシナリオも浮上してくる。
<ユーロ相場の急落シナリオは杞憂か>
注目される為替相場への影響はどうなるか。冒頭述べたように、英国のEU離脱が決まれば、ユーロは急落を免れないだろう。こうした相場の動きはある程度うなずけるものだ。
EU政策当局からすれば、離脱する国が英国であるという事実以上に、離脱の「前例」を作ること自体が深刻な問題となる。リスボン条約50条に離脱規定が記されている以上、英国が「蟻の一穴」となり、ギリシャを筆頭としてドミノ倒し的に離脱機運が高まるケースがないとは言えない。そこまで想定するならば、ユーロ相場が継続的に下落するのはうなずける。
だが、そうした極端な崩壊ケースを除けば、ユーロ下落が長引くとは考え難い。かねて指摘しているように、ユーロ圏としての経常黒字は今や世界最大であり、昨今のディスインフレ状況を踏まえれば実質金利も思うように下がらない状況にある。
ギリシャ危機をめぐる緊張がピークを迎えた昨年3月から8月にユーロドル相場が騰勢を強めたのは、それまで投機的に進められてきたユーロ売りがリスク回避ムードの高まりに応じて巻き戻され、ファンダメンタルズの強さが意識されたからだ。通貨圏崩壊への確信がよほど無い限り、ユーロ相場の急落シナリオに賭け続けるのは得策ではない。
*唐鎌大輔氏は、みずほ銀行国際為替部のチーフマーケット・エコノミスト。日本貿易振興機構(ジェトロ)入構後、日本経済研究センター、ベルギーの欧州委員会経済金融総局への出向を経て、2008年10月より、みずほコーポレート銀行(現みずほ銀行)。欧州委員会出向時には、日本人唯一のエコノミストとしてEU経済見通しの作成などに携わった。2012年J-money第22回東京外国為替市場調査ファンダメンタルズ分析部門では1位、13年は2位。著書に「欧州リスク:日本化・円化・日銀化」(東洋経済新報社、2014年7月)
*本稿は、ロイター日本語ニュースサイトの外国為替フォーラムに掲載されたものです。
*本稿は、筆者の個人的見解に基づいています。
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