私が貧困は社会のせいである事を諦めずに訴え続ける理由
私の友人、M君が面白いブログ記事を書いていました↓
詳しい内容は、ぜひ読んで頂くとして、簡単に説明すると以下の通りです
貧困は社会のせいだと言う人がいるが、自分は違うと思う。
大半は本人の責任で、国家は貧困当事者に対して福祉的な責任を果たしている。
すべての人がそうだとは言わないが、私はクズと呼んでもいい貧困当事者を何人も見て来た。
たとえば、生活保護が支給された日に、何も考えずにコンビニでバンバン買い物をして、無駄遣いしてしまい、結果、月末には生活費が足りなくなってしまう人。
元チンピラでコミュニケーション能力に問題があり、あらゆるコミュニティから出入り禁止になり、ホームレスになった男性。
その男性を自分の家に泊めていたが、前ケースと同じで、支出が無駄に多い。
あげくに、私の財布から金を盗み出し、それがバレた事から男性は姿を消す。
まだある。
動物を飼うのが趣味で、生活保護支給日に毎回、高い動物を買って一文無しになり、一か月間、廃品回収をしてしのぐ男性。
生活保護支給日に、腕時計を大量に買い込み、「俺って買い物上手いよなぁ~」と、しきりに言う50代男性。
こういう人達と出会った事から、自分は「貧困は個人のせいである」と悟ったのだ。
以上が記事の内容です。皆さんは、どんな感想を持ったでしょうか?
僕がこの記事を読んだ直後の素直な感想は、「気持ちは痛いほど、解る」、と言うものでした。
確かに、生活保護利用者の方の中には、無駄な支出が多い人もいる。
たぶん、生活困窮者、貧困当事者を支援する団体にボランティアとして関わった事がある人は、上記の記事を書いたM君の気持ちが手に取るように解ると思うんですよ。
と言うのも、貧困の支援現場にボランティアとして参加する時、貧困当事者の方に裏切られるのは前提だからです。あるある話しなんですよ。
僕もいくつか経験があります。
「生活に困っているので、助けてほしい」と連絡を貰ったので、生活保護の説明をするためにLINEを教えた事があります。
すると、深夜に「不安で眠れません」とか「どうすればいいんでしょうか?」などのLINEが頻繁に来るようになりました。
さすがに、深夜にLINEがバンバン来るのは眠れないので、辞めてほしい、と伝えました。
すると、「助けてくれるって言ったのに、騙したなぁ!」と、逆ギレされたんです。
それから、脅迫まがいのLINEが来るようになったので、支援者団体の連絡先を送って、ブロックさせて頂きました。他にも、ここに書けない事がまだまだある。
このように、誰かを助けようとすると、恩を仇で返される事はたくさんあります。
しかし、僕はそれでも「貧困は社会のせいである」という視点を失ってはいけない、と考えているんです。
ここで、きっと、この記事を読まれている人達は、こんな疑問を持ったのではないでしょうか?
「生活保護利用者の何人かが無駄な支出が多い事も知っている。
そして、当事者の人にひどい目にあっている事から、M君の気持ちが痛いほど解ると、あなたは言う。
では、なぜ、それでも、あなたは貧困は社会の責任である事を諦めずに訴え続けるのか?」
そこ、気になりますよね?、今回は、この疑問にお答えしたいと思います。
答えを先に書いておきましょう。いろいろとお伝えしたい事はありますが、一番重要なのは以下の答えです。
福祉が届かなかったが故に、人が亡くなってしまう事件が多数、存在するから。
これなんですよ。今回のキーワードは福祉と生存権です。
一つ一つ説明して行きましょう
札幌姉妹孤立死事件を覚えていますか?
2012年・1月に起きた札幌姉妹孤立死事件を覚えている人がいるでしょうか?
どんな事件だったのか?を説明するために、下の記事から引用してみましょう
【北海道姉妹凍死】死の前に3回生活保護窓口訪れ、門前払いされていた | 日刊SPA!
札幌市白石区のマンションの一室で、遺体で発見された40代の姉妹は、生活保護申請が認められず窮乏を極めて亡くなった。
姉の佐野湖末枝さん(42歳)は失業中で昨年末に病死(脳内血腫)しており、知的障害のある妹の恵さん(40歳)は姉の死後に凍死したとみられている。
料金滞納で電気・ガスも止められ、冷蔵庫の中は空っぽだった。
湖末枝さんは体調不良に苦しみながら就職活動や妹の世話をし、3度にわたって白石区役所に窮状を訴えていた。ところが、最後の頼みの綱の生活保護を受けることができなかったのだ。
この事件の重要なポイントは、3度にわたって白石区役所に窮状を訴えていた。ところが、最後の頼みの綱の生活保護を受けることができなかった、という所です。
これは、役所の水際作戦が原因で起きた事件なんですよ。
水際作戦とは何でしょうか?、以下の記事から引用してみましょう。
生活保護の水際作戦事例を検証する / 大西連 / 自立生活サポートセンター・もやい | SYNODOS -シノドス-
「水際作戦」とは、生活保護申請の唯一の窓口である福祉事務所が、本来保障されているわたしたち一人ひとりが制度にアクセスするための「申請権」を無視して、違法・不当に申請を受け付けなかったり、阻止しようとすることである。
札幌姉妹孤立死事件は、この水際作戦が起こした有名な事件なんです。
ここで、単刀直入に皆さんに質問させて頂きたい。
この事件、どう考えても社会の問題じゃないですか?
社会のせいじゃないですか?
もっと言うと、このような事件を「まぁ、かわいそうだけど、しょがないじゃん、個人の問題でしょ?」と、言って終わらせていいのでしょうか?
病気や知的障害があり、貧困状態になってしまい、最後には病死、凍死してしまった。
本当は生活保護で救済できたのに、役所は水際作戦で追い返してしまっている。
このような事件は後を絶ちません。
私はこういう事件がある限り、貧困になってしまう人の大半は本人の責任で、国家は貧困当事者に対して福祉的な責任を果たしている、とは思えません。
なぜなら、実際に水際作戦によって亡くなってしまった人達がいるからなんです。
「生存権・国の社会的使命」について明記した日本国憲法25条には、こんな事が書いてあります。
「すべての国民は健康で文化的な最低限度の生活を営み権利を有する」
「国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」
クズは嫌いだ、クズとは友達になりたくない。それは個人の自由だと思います。
しかし、クズだからって、死ぬことはない。べつに、生きていたっていいんです。
でも、だからと言って、すべて政治や社会のせいにしたいわけじゃありません。
以前、私はこんなツイートをしました。
貧困は社会の責任である。
— 浅野健太郎 (@billywilder8) 2017年6月1日
とは言え、社会が変わるまで待つ余裕はないので、個人的な責任を放棄する事は出来ない。
これが私の意見です。
社会の責任という視点と個人の責任という視点、この二つの車輪が必要だ、と思っています
詳しくは、ブログに書きます!
二つの車輪、どちらも必要です。
どちらか一つだけを選ぶ事は出来ません。
もし、貧困は個人のせいである、という意見だけが世論になれば、札幌姉妹孤立死事件のような事がまた起きてしまうかもしれない。
それは、避けなければなりません。
ぜひ、共に、この問題をじっくり考えて行こうではないか?!