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2025年01月24日
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背番号28(その7)

背番号28の最終回です

残すところ4名になりました 全員が投手だね
 福原さんはついこの間まで現役だった気がしちゃうんだけど 引退してもう8年も経つのよね

そのあとを受けた選手がちょっともたついてしまい この度2024年ドラフト2位のルーキー今朝丸投手が着けることになりました 左右の違いはあるけど江夏さんのように記憶にも記録にも残る選手になってほしいよ
 では順次見ていこうね

福原 忍 投手

広島県三次市出身で広陵高校。同年齢の二岡智宏とともに強豪の看板を背負ったが3年時には地区予選3回戦で新井貴浩がいた広島工業高校に敗れるなど甲子園には出場できなかった。

卒業後は東洋大学に進んだが1部リーグで14試合1勝4敗、防御率4.87と低迷し、チームも4年時には2部リーグに降格してしまう。しかし2部リーグでは速球の威力が増して6勝を挙げ、1部リーグ昇格の原動力として活躍しMVPを獲得している。

1998(平成10)年のドラフト会議でタイガースから3位指名され入団し、定詰から背番号「28」を譲られた。

ルーキーとして迎えた1999(平成11)年は野村克也が新監督に就任した年で、福原の速球の威力を高く評価して即1軍のブルペンに入れる。実際この年に記録した155キロは当時タイガースの投手の歴代最速と言われた。


監督の期待に応えた福原は1年を通じて安定した力を発揮し、54試合すべてにリリーフとして登板、10勝7敗9セーブ、防御率4.09の成績を残している。

しかし、先発投手のコマ不足から2000(平成12)年から2001(平成13)年の2年間は前半戦で先発、後半戦ではリリーフという起用をされる中で5勝9敗3セーブ、9勝12敗1セーブと成績を落とす。

星野監督に代わった2002(平成14)年には肩を壊して25試合1勝2敗、防御率5.10に終わり、オフには「右肩関節唇損傷修復手術」を受けている。

故障の影響は2003(平成15)年にも及び、わずか5試合しか登板できず2勝2敗に終わっている。一部では「もう福原はダメかも」という見方さえ出始めていたが、この間に速球だけに頼らず変化球を織り混ぜて打ち取る投球へのモデルチェンジを試みており、翌年の復活へとつながっていく。


2004(平成16)年、監督に就任した岡田彰布は福原を先発ローテーションに固定し、29試合すべて先発で投げさせた結果、10勝15敗と負け越し(リーグ最多敗戦)はしたが、自己最多の148三振を奪い、防御率3.87と見事に復活している。特に巨人戦にぶつけられることが多く、8試合に先発しており、6勝0敗で防御率1.73と頑張った。

 2005年(平成17)も引き続きローテーションを守り8勝14敗で2年連続のリーグ最多敗戦投手ではあったものの防御率は3.51と向上しており、リーグ優勝に貢献している。ただし、日本シリーズはロッテに4連敗に終わったことで先発の機会がなく、第4戦にリリーフで登板しただけに終わっている。


 続く2006(平成18)年にはキャリア最高の12勝5敗の成績を挙げ、防御率もリーグ2位の2.09、奪三振119はチーム最多だった。

 ところが2007(平成19)年にふくらはぎの張りから春季キャンプに出遅れたことで躓き、ここから4年間、低迷のシーズンを過ごすことになる。

 2007年が19試合2勝8敗、2008(平成20)年は8試合3勝2敗、2009(平成21)年も3勝10敗、そして2010(平成22)年にはプロ入り12年目にして初めて0勝に終わっている。

こうなってはさすがに「もう終わったな」と思うファンも多く、福原の名が忘れられそうな気配が漂ってきた。

 そういう状況だったが、2009年に就任した真弓明信監督は、2010年以降福原をブルペンに配置換えしており、2011(平成23)年には55試合すべてリリーフ登板、2勝3敗11ホールドと復活にこぎつけることができた。

 2012(平成24)年に就任した和田豊監督も引き続き福原をリリーフで使い、60試合2勝4敗1セーブ18ホールド、防御率1.76と成績がアップする。

 その後の3年間は150キロを超える球速も戻り、メッセンジャーが効果的に使っていたゆるく落差のあるカーブを織り交ぜながら、150キロ台のストレートとフォークで短いイニングを抑え込むパワーリリーフピッチャーとして絶頂期となった。

2013(平成25)年14ホールド、2014(平成26)年38ホールド(タイトル)、2015(平成27)年33ホールド(タイトル)とセットアッパーの役割を十分果たしている。


 2016(平成28)年、新監督となった金本知憲から投手キャプテンに指名されたが、「これまで自信を持っていた真っすぐがことごとく打ち返される」という状況に陥り自ら申し出て4月20日に登録抹消されファームへ。

 ところがファームの試合でも1アウトも取れずに降板する試合が何試合も続いていく。好調が持続せず、「調子が上がってきたなあと思ったらすぐに打たれ出してしまう」と本人が感じるようになり、さらには「何で空振りが取れへんのやろ?」と自分のボールが明らかに威力を失ったと自覚するに至る。

とどめとなったのは8月27日の鳴尾浜での広島戦。9回に登板するとエラーやヒットで走者が埋まった後に投げた真っすぐを、岩本貴裕にものの見事に3ランホームランにされたことで「オレの真っすぐはアカンのかなあ」と思ったという。


福原は9月23日に引退を表明し18年間の現役生活に終止符を打った。タイトルを取った前年の成績からは想像もできない凋落と幕切れだった。

引退時に「18年間のプロ野球人生で日本一にはなれませんでした。そこは後輩たちに託します」と語っていたが、ファーム投手コーチとして迎えた2023(令和5)年に現実となって感慨無量だったのではないか。


現役通算成績は595試合(先発146)に登板、83勝104敗29セーブ118ホールド、1338回1/3を投げ1081奪三振、自責点519、防御率は3.49である。現役18年間を背番号「28」で通したのは素晴らしい。

引退後もタイガースに残り、2017年から2年間はファームの育成コーチ、2019年から4年間は一軍投手コーチ、2023年からファームの投手コーチを務めている。

小野 泰己(たいき) 投手

福岡県北九州市出身。折尾愛真高校に進んで2年時からエースとしてチームを支えたが甲子園出場はならず、2012(平成24)年のドラフト会議を前にプロ志望届を提出。

しかしどこからも指名は無く、富士大学へ進学することになる。3年秋季に4戦4勝、4年の秋季にも5戦5勝するなど通算12勝1敗の好結果を残してドラフト候補となる。

2016(平成28)年のドラフト会議でタイガースから2位指名されて入団し、引退した福原が着けていた「28」を継承しているが、そのときのコメントは「歴代凄い投手が着けられていた。プレッシャーに負けないようにしたい」だった。


ストレートのMAXは157キロを計測するなど、184センチの右本格派として期待が高く、1年目の2017年は1春季キャンプで1軍組へ抜擢され、金本監督が「ドラフト1位以上の価値がある。将来は大エースになる器」と絶賛している。

開幕は2軍だったが5月21日に1軍デビューを果たし、15試合すべて先発で起用されている。結果は2勝7敗、78回2/3を投げて奪三振63は立派だし、防御率4.35は目をつぶれる数字だろう。


2年目の2018(平成30)年には開幕から1軍のローテーションに入って23試合すべてに先発起用されている。126回1/3を投げてリーグ最多の81四球、防御率は4.77と前年より悪く、まだまだ制球に不安定感があったが7勝7敗、奪三振96と成長を見せている。このまま順調に伸びてくれればという期待は膨らんだ。

 ところが2019(令和元)年、春季キャンプで右ひじに違和感があり戦線を離れると、ようやく6月1軍に上がり14試合に中継ぎで登板し5ホールドを記録する好投を見せたが、改めて先発調整を命じられてファームに戻され、そのままシーズンを終えてしまった。

 2020(令和2)年は1軍に上がることさえできず、制球難も治らないままファームで1年間を過ごす。

 その後も2021(令和3)年が12試合、2022(令和4)年は背番号をルーキーの鈴木に明け渡し「98」に変えるが1軍ではわずか5試合の登板だった。この2年間はいずれもリリーフ登板ばかりで勝ち星も無い。


結局は三振を取る能力は高いが四死球も多いという欠点の克服には至っておらず、2022年のオフに戦力外となりトライアウトを受けてオリックスと育成契約して入団、4月には支配下選手契約している。

オリックス1年目の2023(令和5)年は5試合に登板するも勝ち負けは無く、防御率は6.00。オフに戦力外~自由契約選手を経て、オリックスと再び育成契約を結んで残留する。

 2024(令和6)年はファームで好投したが支配下に戻れず、オフに育成枠での再契約となった。

鈴木 勇斗 投手

鹿児島県日置市出身。鹿屋中央高校では2年生からエースを務めたが甲子園には手が届かなかった。

創価大学に進むと通算10勝3敗、124回2/3で122奪三振、防御率1.66の成績を残しドラフト候補となる。


 2021(令和3)年のドラフト会議でタイガースが2位で指名したのを受け入団し、小野から背番号「28」を譲られる。
 持っているものは素晴らしく、150キロを超えるストレートを軸に多彩な変化球もあって三振が取れるサウスポーとしての期待が込められたものだろう。


 しかし現実は厳しく、2022(令和4)年から3年間を経過したがいまだ1軍昇格は無く、2024(令和6)年のシーズンが終わって自由契約となり、改めて育成選手として契約している。背番号は「121」となってしまった。

今朝丸 裕喜 投手

兵庫県神戸市出身、高校は報徳学園。2年春、3年春・夏と3季で甲子園大会に出場しており、2年春と3年春には準優勝している。


2024年のドラフト会議でタイガースが2位指名。背番号「28」の継承者となった188センチの本格派右腕。ぜひ大エースを目指してほしい。


まとめ

これで「28」は終了です 読破いただいたみなさんお疲れ様でした
 福原さんは最初に野村監督がリリーフとして酷使したのが問題だったとおもうなあ しかも2年目からは先発だったりリリーフだったり都合よくつかわれて3年で一度壊れてしまったのよ

それでも先発で復活し また壊れて次はリリーフで復活という厳しい野球人生だったね それで83勝してるんだから本来なら100勝以上できたんじゃないかっておもうよ

次の小野さんてあまり記憶がないのよね 金本監督が初めて見て絶賛したっていうくらいだから有望だったとおもうけど 一度の故障が致命的になった感じだわ

鈴木投手はファームの試合で何度か見てるけどボールは速いんだよ 少しフォームも変則で左打者は打ちづらい気がするんだけど今のところ1軍で使ってもらえないどころか育成になってしまったのね この素材は生かしてほしいとおもってる

今朝丸君にはホントに期待してるけど 投手陣の層が厚い今はじっくりファームで育ててほしいな 4年目ぐらいから1軍でというつもりで好いとおもう

これで「28」は終了です 今のところ江夏さんを超えるどころか近づく選手すら出てきてないよね これから今朝丸君に期待が集まるとおもうけど タニマチの皆さんは あんまりプレッシャーかけたり悪い遊びにお誘いするなんてことの無いようお願いしますよ!

背番号29につづく 


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Last updated  2025年01月24日 08時00分08秒
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