テーマ:☆動物愛護☆(3967)
カテゴリ:動物の解放・動物の権利を考える
この本が感動を呼んでいるという。 為谷は憤りを感じましたけど・・・。 2009年11月3日付けの読売新聞の「動物と生きる5」からお送りします。 (>印付きは新聞記事からの引用です) >(5)食べる 命いただくこと >「命をいただく」ことを知る試みも行われている。 >10月23日、三重県松阪市の県などが出資する松阪食肉公社と、 >隣接する県松阪食肉衛生検査所を、同市立天白(てんぱく)小学校 >6年生児童38人が訪れ、牛の解体を見学した。 > 床を踏みしめて立っていた肉牛が、頭を「と畜銃」で撃たれ、 >ごろっと横になって転がってきた。すかさず白い作業着に >身を包んだ職員がナイフでノドを切り裂き、血抜きのためにつり下げる。 >頭を切り落とし、皮をはぎ、おなかを裂くと、白い胃などの内臓が摘出される。 >「おー、出てきた」。下の階で行われる作業の光景を、 >ガラス窓越しに食い入るように見つめる子どもたち。 「ヒトだけじゃなく、あらゆる動物は他の生物の命をいただいて生命を維持している」 などということがまことしやかに言われ続けてきました。 だから、他の命に対して感謝しましょう、ということですね? 確かにそうですね。霞を食って生きられるのは仙人だけ。 ヒト以外の動物も他の動植物を餌にして生きている。 だから他の命をいただいている、ということです。 これまで為谷はこの表現になんら違和感を抱いてはいなかったのです。 それどころか、「その通りだよね」と思っていました。 ところが、読売新聞のこの記事を読んで、ふと気づいたのです。 「命をいただく」なんてあり得ないことだ、と。 このことは姉妹ブログの管理人、南茶手クンが書いたので、そちらでご覧下さい。 牛はもう意識が無くて痛くないの【種差別について考えよう】 http://plaza.rakuten.co.jp/nanchattevegan/diary/200911090000/ 新聞記事全文はこちら(2009年11月3日 読売新聞) http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/renai/20091103-OYT8T00311.htm 人気blogランキングへ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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