時には有効、、、時には有効、、、物の見方・捉え方を変えようとして ネガティブな経験もしたが、 時には有効策だという事も ついでに述べておきたいと思う。 例えば、お姑ごんが 飼い犬(または子ども)のしつけの仕方まで色々言ってきたとしよう。 「甘やかしすぎじゃないの?」 「別に吠えてもいいじゃないの。 好きなだけ吠えさせなさい。」 この二つの文を直のメッセージとして受け取ってしまうと、 余計なおせっかい焼きに見えてしまうのは当然で、 おせっかい焼きを嫌だと思うのは 基本的に、言葉や行動によって 自分の領域が犯されるから(テリトリー侵害)というのが 一つの理由だと思うのだ。 それなら、おせっかい言葉・行動などを 自分の領域から少し離す努力をしてみるといいかもしれない。 上記の二つの言葉の場合は、 少し噛み砕いて受け取るようにして、、、。 「甘やかしすぎじゃないの?」 →「自立出来るように手伝ってあげましょうよ。」 若しくは、 「これ以上の世話が無くとも、 (貴方のしつけがちゃんと行き届いていて) この子はしっかりしているから大丈夫。」 「別に吠えてもいいじゃないの。 好きなだけ吠えさせなさい。」 →「私にとってもこの子はいとおしいから、 好きな事をさせてやりたいわ。」などと訳するのも手だと思うのだ。 ちょっと違う角度から見る・聞くことによって、 自分を取り巻く世界が少し良く見えてくる事もあるかもしれない。 また、自分を言い聞かせる手段として使うのではなく、 この際、口に出して言ってみると尚GOODだと思うのだ。 自分に言い聞かせるようにして心の中に溜めてしまうと、 段々「自分だけ努力して意味も無い!」、 「我慢するのはこりごり!」 などと必要以上に疲れてしまう可能性も避けられないので、 注意が必要である。 表現の例としては、 「そうですねー。 この子はしっかりしてますし、 これ以上の世話は必要ないですよね。」 「お気持ちはうんと分かります。 私にとってもこの子はいとおしい存在ですし、 出来れば好きな事を十分にさせてあげたいです。」 などと同意の意を込めて言うと、 お姑ごんの攻撃をひらりとかわす結果になったり、 会話の主導権がお姑ごんの手から自然に離れたり、 いい結果を生む事もある。 |