文化の違いがあることは、承知しています。
その文化の違いはどのようなものであり、この差違はどこから生まれたのでしょうか。
曖昧な質問ですが、具体的な例を交えた回答をお待ちしています。
危険に対する接し方の違いではないでしょうか?
欧米人は銃声がするとまず伏せるが、日本人は銃声がした地点を探そうとするという話を聞いたことがあります。
具体的にどのような危険があるかはともかく、危いかもしれないからやめておくという判断をする人が多いんだと思います。
「文化」以前に、特に米国発のSNSには実用上の目的の違い(個人が特定されることに意味がある)という側面があるので、その点について。
Facebookが、元々は「ハーバード大の学生同士の交流の場」として立ち上げられたもので、実名+顔写真が前提だった、という話はお聞きになったことがあるかと思います。そのFacebookのインターナショナルマネージャーのインタビューから(少し論点ずれてるかもしれませんが):
http://ascii.jp/elem/000/000/135/135542/index-2.html
「携帯電話やメールなどの交流は実名でするものです。日本にもFacebookのアクティブユーザーがいますが、実名で登録・利用してくれています。その中で匿名で登録すると浮いてしまうし、出す情報も信頼してもらいづらくなります。安心して使える環境にしているので、使うメリットを感じてもらうためには実名で登録するのをおすすめします」
たとえばどこかを訪れる時など、これまでは現地の友人にいちいち電話やメールをしていました。しかし、連絡し忘れることもあります。そんな時、Facebookにブログや写真という形でアップロードするだけで、見せたい友人たちにそれらの情報を伝えることができるというわけです。実際、オリバン氏は日本に訪れていることをFacebookに書いただけで、日本にいた頃の同僚や友人らから、「日本にいるのか、飲みに行こう」という誘いが寄せられて、改めてFacebookの便利さを実感したそうです。
また、人脈作りを前提としたビジネスSNSのLinkedInについて、次のような記事もあります(中央大学の折田明子助教による)。
http://it.nikkei.co.jp/internet/news/index.aspx?n=MMIT2E00002306...
http://it.nikkei.co.jp/internet/news/index.aspx?n=MMIT2E00002306...
LinkedInが提供するサービスは個人のプロフィル、個人同士をつなぐネットワーキングとメッセージ、求人と求職のマッチング、そして会員同士が質問に答えあう「Answers」に整理できる。そして、これらの基本となるのがオンラインの履歴書としてのプロフィル機能である。
このプロフィルを元に知人とのネットワーキングが作られるほか、プロフィルが検索対象になることで新規採用ポストの募集、ヘッドハンティングといった新しいビジネス上の出会いが生み出される。
……
ここで入力した名前をずっと使っていくため、でたらめな名前でも登録できないことはないが、知人同士が互いに探し、ネットワーキングすることを考えるなら、仕事上で使っている名前を登録するのが自然だろう。
こういったサイトのほか、2004年に開始された写真共有・SNS(オンライン・コミュニティ)のFlickrも、ユーザーネームとは別に実名を表示している人が多いです(比較的新しいユーザーさんはそうでもないかもしれませんが)。私はFlickrは2005年から使っていますが、英語圏および欧州の人たちの多くは、Profileのページに実名が書き添えられています。欧米以外でも、政府によるネット検閲が報じられている国(UAEなど)のユーザーさんにも実名の方が多いようだし、アバターは顔写真ではなく自分の撮影した好きな写真を使っているにせよ、オフ会での集合写真や互いに撮影しあった写真が広く公開されているのも見かけます。ただ、私がつながっている人たちは実名で絵を描いていたり写真家として仕事をしている方々も少なくないので、偏りはあるだろうと思います。
一方で、オンライン・コミュニティでもSNS以前のフォーラム(掲示板)では、不特定多数の目に触れる場所にあるのはユーザーネームだけという人も多くいましたし、今でも特定のアーティストのファンが集うフォーラムなどを見てみると、ユーザーネームだけとか、実名はファーストネームだけ(例えば、ユーザーネーム Question155 という人が、Jamesとだけ表示させている、など←例は架空です)というケースが多くあります。自分の顔写真をアバターにしている人もいますが、それと実名(フルネーム)の公開とは特に関連性がありそうな印象は受けません。
で、このようなところでメンバーとして出入りしていて感じたりしたのは、「誰かに呼びかけるときに名前をつけないとしっくりこない」(単に "Hi." と言うだけではすわりが悪く、"Hi, Question155." というのも人間を相手にしている感じがせず、"Hi, James." と言いたい)という感覚がけっこう強いのではないか、ということです。私も「あなたのことを何て呼べばいい?」と聞かれたことが複数回あります。(日本のオンラインコミュニティなら誰もそんなことは聞かず、単に「nofrillsさん、こんにちは」でやり取りすることになりますよね。)
「実名」については、英ガーディアン紙のコミュニティ・ガイドラインが典型的かもしれません。コミュニティ内で互いに人間として認識しあい、信頼しあうためには、匿名性が高かったり背景がつかみづらかったりするユーザーネームより実名のほうがよい、という考えかたです。人間らしい名前でないと、ユーザー同士で個人攻撃合戦みたいになることがある、という点でのコミュニティ運営の配慮が強いかもしれません。
http://www.guardian.co.uk/communityfaqs/#q38
Q: Why do you ask for a real name on the profile?
A: We want to promote a culture of trust within our community interaction areas, and sometimes usernames can be a bit anonymous or mysterious and difficult to properly engage with.
Sometimes being anonymous is a good thing - and of course you still have that option - but if you want to add a name to your profile (might be first name, real name or what you might like to be known as) it can help others to treat you as a real person, and not just a weird username.
欧米人の呼び合う時に、人間らしい名前でないとしっくりこないから、というのは正に感覚の違いだと思います。これが何でもいいのが日本人なんですね。
英ガーディアン紙のガイドラインがなくても、うまく回るのは、日本語を話す大半が同一民族・同一地域で形成されているという信頼があるからでしょうか。
日本語のコミュニティでは実名でなくても予め、ある程度の信頼があるのかもしれません。
アメリカの教室で「ハイハイ」と手を挙げる人が多いのを見た事がありますか?
こういうのが社会的に推奨されます。社の会議でも、意見を言わない人はいないのと同じだと言われます。もう一つは「正解」がないことが挙げられます。なので「これが間違いだったらどうしよう」というのがありません。アピールしてなんぼなのです。
日本では黙って先生の授業を聞くのがよいとされます。また「間違い」が存在します。間違いを言って教室で笑われた経験がある人も多いのではないでしょうか。正解は集団によって異なるので、個人的には問題がないと思っても、後で検索されて「あいつこんなこと言っていた」と言われる恐れもあるかもしれません。
ホフステードという人が「多文化世界―違いを学び共存への道を探る」の中で、おもしろい例を挙げています。アメリカ人はオランダ人の履歴書を見て「もうすこし派手に自分の経歴をかざればいいのに」と考え、オランダ人はアメリカ人の履歴書を少し割り引いてみるのだそうです。(ホフステードはオランダ人)なので、個人主義の国にもいろいろな違いがあるということでしょう。
個人主義というキーワードは最もわかりやすい動機のひとつだと思います。
恐れや怖いと言ったこともたしかにありますね。
欧米では匿名を使うことが比較的恥ずかしいとのこと。
日本と逆ですね。なんでだと思いますか?
ようつべで、まさにそのこと(日本人は自分の動画をアップしない)が不思議だと言うアメリカ人がいました。
日本人の友達に、君も動画アップしたら?と言ったらヤダって言われたらしいです。
意訳になりますが、以下のような主張でした。
日本人は見るばっかじゃなくて、アップしようぜ。
なぜ? 恥ずかしいの!? 人に批判されたりするのが怖いの?
みんなアップしてんじゃん、一般人なんだから恥ずかしいとか気にする必要ないんだよ。
ほっときゃいいんだよ!
おまえらももっとアップしろよ! 友達になろうぜ~!
っていうのを延々と5分位語っていました。
そのなかで、
「リアルで人に見られる(例えば街中で)のと、動画で見られることの、一体何が違うというの?」
ということも言っていました。
まさにそこが一番認識の違うところなのではないかとおもいます。
なお、その外人はイケメンでした。
その動画見たことあるかも。Youtubeでは日本人は単に恥ずかしがりだと認識されてるみたい。でも、ニコニコ動画見るとそんなことなくてたくさんの人が動画をアップして注目されてる。でも顔隠しは多い。不思議です。
注目されたくても目立ってはいけない、出る杭は打たれるの文化ですね。
かつて日本にも「fj」などを始めとするネットニュースのコミュニティがあ
りました。そこは学術的なネットワークjunetをベースとしていたので、
実名や所属会社名が広く使われていました。
しかしその実名文化が広まらなかった理由ですが、主観になりますが、
fjはある種の偏執狂的な攻撃や抗議が多くなされた場でもありました。
その個人が所属する組織が、fjでの発言に対する抗議を理由に解雇され
た事例もあったようです。
fjが「ネットに参加する組織(会社や大学)の共同体」として始まった
がゆえに、すべての発言が「AAA社のBBBです」というような、肩書きを
暗にしょった発言と扱われ、「個人の責任による発言」という概念が
成立していなかったのかもしれません。
fjの文化が、日本におけるネット黎明期においてかなり重要であり
影響力が広かったが故に、fj以外の場では反動として「実名は危ない」
「避ける」という風潮が過度に広まったのかもなと個人的には思っています。
不幸な歴史ですね。
欧米に行くと掲示板をいたるところで目にします。大学や公共機関をはじめ、カフェや飲み屋にもあります。それらの掲示板をみると、ルームメイトの募集や家具の売買、趣味のサークルなど様々な情報が個人情報とともに掲示されています。日本にも掲示板はありますがポスターやお知らせなどの掲示物が多く利用状況が全く異なる気がします。(最近はそうでもなくなってきましたが・・・。)
前置きが長くなりましたが、SNSも掲示板の延長と捉えれば、欧米の方がご指摘のような利用の仕方をするのも、なんとなく納得できます。(私は・・・)
確かにネットは怖いから、と答える日本人は多いと思います。
逆に考えると欧米人は、怖くないんですかね。
女性は特に怖がっているように感じます。