野菜への関心が控えめなライター、ココロ社です。
お漬物。嫌いな人は少ないが、「可及的速やかにお漬物が食べたい」と切実に想う人もまた少ない……そんなイメージのおかずである。
しかしわたしは最近、「可及的速やかにお漬物が食べたい」 と想う人になってしまった。
また、「ぶぶ漬けでもどうどす?」という有名なフレーズについて、どう思うだろうか。
「京都でこう言われたら早く帰ってほしいという意味だよね」と思うに違いない。しかしこれもまた、今となっては、おいしいぶぶ漬けに出会えていないからだろうと思う。
今回は、とくにお漬物に興味がない方に、わたしのグレイスフルな体験をお伝えしたく筆を執った次第である。
──などとブツブツ独りごちながら訪れたのは東京は深川不動堂。最寄り駅は門前仲町。
深川不動堂は、元禄16(1703)年創建。成田山の不動明王を出開帳したことがはじまり。いまの感覚なら、東京国立博物館の法隆寺館のような感じだろうか。
当時成田山まで行くのは何日もかかったのだから、江戸城のすぐそばに成田山の不動明王がお越しくださったときたら、それこそお祭り騒ぎである。
創建当時から流行最先端のお寺だったのだけれども、その勢いは今も衰えず、創建310年の記念に作られた、本堂の真言梵字壁(古代インドのサンスクリット文字で、祈りの言葉のようなもの〈真言〉が記されている)に釘付けになってしまう。
博物館などではなく、本堂をこんなに大胆に建立するなんて……と感動する。
そうこうしているうちに10時40分。そろそろ例の店に行くべき時間である。
このあと説明口調になってしまうけれども、このお店のすばらしさを120%満喫するために心をこめて書いたので、ぜひ最後まで読んでいただきたい。
お店は不動堂から最も近い場所にある店で、その名は「近為(きんため)深川1号店」。
不動堂の眼の前にあるのだから、深川を代表するソウルフードなのかしらと思いきや、明治12(1879)年創業の京漬物のお店である。
11時に開店なのだけれども、20分ほど前に到着して並ばないと、お漬物の店なのに、かなり並ぶことになってしまうかもしれない。
ここで、「なのに」という表現に違和感を持つ人は少ないと思う。ふつう、人は肉や炭水化物のために並ぶものであり、お漬物をいただくために並ぶというのはちょっと変わっていると思うかもしれない。しかし、一度行ってみると、並んででも行きたいと思うはずである。
このお店、ありていに言うと、「お漬物屋さんのイートインスペース」。外から見ていると、そのすばらしさに気づかずに素通りしてしまう人もいるかもしれないが、店内の雰囲気も、料理も、最高にフォトジェニックなのである。
そもそも、待っている間も、茶店のようなベンチで深川不動堂をぼんやり眺めていればいいだけであり、待っているという感覚がない。
並んでいる間にメニューを渡されるのだが、メニューを見てから決めるとなると、どれも魅力的で気が動転してしまうかもしれないので、何を頼むべきかについて説明させていただきたい。
このお店は、ぶぶ漬けのセットと定食の二通りがあるのだけれど、ぶぶ漬けのセットがいい。まず東京でぶぶ漬けをいただく機会が少ないから、ここでぶぶ漬けと出会っていただきたいし、ぶぶ漬けの場合、ひとりでお店に行ってもおひつでごはんが提供されて夢のようだからである。
念のため書き添えておくと、「ぶぶ漬け」というのは、お漬物でいただくお茶漬けのことで、文字面だけを見ると簡素な食事に思えてしまうが、少なくともこのお店では簡素どころか絢爛豪華であり、このあとじっくり説明させていただきたい。
また、「ぶぶ漬けにするぞ!」と決意を固めても、さらに選択肢があるところがうれしくも悩ましい。「京のぶぶづけと玉子焼」(1,390円)「京のぶぶづけと鮭(粕)」(1,690円)「京のぶぶづけと銀だら」(1,990円)がある。松竹梅とあったら竹を選ぶのが正解という俗説があるが、せっかくだから「京のぶぶづけと銀だら」を選んでみた。ぶぶづけのためにこのお店に来たものの、京都のお店の銀だらの粕漬が食べられるという状況にいて、それを選ばない手はないだろう。行かれる方は「京のぶぶづけと銀だら」の文字列を銘記していただければと思う。
店の中は、囲炉裏のテーブルがあるが、基本的に相席。おひとりさまもウェルカムである。
開店すると席に案内され、ほどなくしてほうじ茶とお漬物が供される。
お漬物が前菜として成り立つのかと思うだろうけれど、心配ご無用である。
こちらのお漬物は、平均的なお漬物より塩分が控えめで瑞々しく、ほうじ茶をお供にして夢中で食べてしまう。
左から時計回りに、柚こぼし、詩仙きゅうり、しばづけ。
この中でひときわ輝くスターは「柚こぼし」。東京進出の際に考案されたメニューで、近為を代表するお漬物である。
口に含むと、柚子の香りがまさにこぼれてくるようであり、大根のしゃっきりとした食感と瑞々しさにうっとりとしてしまう。もちろんごはんのおかずにもよいのだろうけれど、あえて一対一で向き合いたい……という気持ちになる。
なお、食べ終えてしまったら、おかわりをいただけるシステムになっている。
もちろん、気になったお漬物は、帰りに買って帰ることができる。
お漬物に夢中になってトリップしている間に厨房で「京のぶぶづけと銀だら」が作られており、15分ほど経ったタイミングで供された。心の準備をするためのお漬物とほうじ茶だったはずだが、メインが想像以上にカラフルで認識が追いつかない。
このセット、ぎゅうぎゅう詰めだけれども、右側の銀だら粕漬、佃煮のお皿と、写真の外になるけれどデザートのお皿が、タワー状のコンパクトなお重に入っていた。それも大変可愛らしかったのだが、お店の人に「お重から出しましょうか」と言われ、気が動転してしまい、お重の写真を撮る前に、思わず「はい」と言ってしまったので撮れていない。ぐるなびライター失格……。
とにかく冷静でいることが難しい名店なのである……。
おひつに鎮座しておりますごはんは、軽くよそってお茶碗3杯分。
好きに食べてよいのだけれど、まずは温かいうちに銀だら粕漬とごはんをいただく。
箸を乗せただけで身がほぐれはじめて、ありがとうございます……と思ってしまった。
上品な粕漬の風味が隅々まで行きわたっていて、フレンチのメインの魚料理のような華やかな味。
お漬物のお店なので、魚料理にはそんなに期待すべきではないと思っていたのだが、よく考えたら、京漬物のお店が出す銀だらの粕漬なのだから、特別おいしいのは当然なのだった。
銀だらの余韻に浸りながら、手はぶぶ漬けの準備を始める。
とりあえず、最強のぶぶ漬けを作ってみようという、謎のチャレンジ精神が頭をもたげてきた。
まず、茶釜からお湯をとって急須に淹れる。
緊張してお湯をこぼしてしまい、お手拭きでリカバリーした。
じわじわお茶が抽出されている間、ぶぶ漬けの盛り付けをする。
カラフルな漬物たちは、1時の方にある漬物から時計回りに、大原しば、竹の子のしょうゆ漬(白いけれどしょうゆ漬である)、奈良漬の胡瓜、千本漬沢庵、桜漬け、青じそ、中央は、茄子。
お皿にあるものの7割をごはんに乗せて、お茶をかける。残りの3割は最後にとっておく。
完成。お漬物のお茶漬けが、インスタ映えの極致である。
なんと豪華なぶぶ漬けだろうか……。
雑にかきこんでも、口の中では、フレッシュな野菜の味がハーモニーを奏でる。
なお、お店的におすすめなのは、お漬物にお茶をかけてしまうのではなく、別々でいただくこと。つまり「あったかいものはあったかいままに」、「冷たいものは冷たいままに」とすれば、(インスタ映えはともかく)いっそうおいしくいただけるので、試してみていただきたい。
いまどきないとは思うけれど、もし京都で「ぶぶ漬けでもどうどす?」と言われたら、丁重にお断りして帰らねばならないのかもしれないが、こんなぶぶ漬けが出てくるのなら、気まずさに耐えてでも、ぶぶ漬けをいただく道を選ぶことだろう。
そして、最後は、3割残しておいたお漬物と佃煮と梅ちりめんで有終の美を飾る。
左上から時計回りに、きゃらぶき、いにしえ(大根の天日干し)、鰊の棒煮、味しめじ、中央は幻の梅。
ふつうはこれだけで軽くごはん3杯はいけるおかず量。
こんな贅沢をしていいのかしらと少々の罪悪感を覚える。
そして、ビジュアル的にも重要な地位を占めている梅干しだけれども、酸味も塩味もほとんどなく、梅の華やかな香りが凝縮されていて、ああ、これが本当の梅干しだなと実感した。いままで食べてきた梅干しとはまったく別次元。「梅干し=すっぱくてしょっぱい」と思っている方は、じゅうぶんに心の準備をしてから食べていただきたい。
そしてリンゴ風味のゼりーで〆。
前菜のお漬物から銀だら粕漬、そしてぶぶ漬け……と、コース料理をいただいたときのようなドラマチックな旅だった。
お漬物とぶぶ漬けの素晴らしさを写真と文章でお伝えするよう努力してきたけれど、この感動をどれくらいお伝えできたか少々不安だ……。少しでも気になったら行ってみることをおすすめする。
紹介したお店
近為(きんため)
住所:東京都江東区富岡1-14-3
TEL:03-3641-4561
著者プロフィール
ココロ社
ライター。主著は『マイナス思考法講座』『忍耐力養成ドリル』『モテる小説』。ブログ「ココロ社」も運営中。
ブログ:ココロ社
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