ニートについて
私はこの世界ではかなりの甘ちゃんではあるが、曲りなりにも2ヶ月弱のニート的な生活をしてみて、ニートという存在について気づいた点がいくつかあるので、取り急ぎまとめてみたいと思う。
・ニートにも素質が必要
まず、"ニートでいつづける素質"というものが存在するということに気づいた。
おそらく向上心が高かったり、社会への貢献欲が強かったり、とにかく人と関わることが好きだったり、そういうタイプの人間はニートを長期間続けることは難しいだろう。
実際、私が前職を辞める際、周囲の声で多かったのは「1ヶ月も経てば暇で暇で飽きてくるよ。」「すぐ働きたくなるよ。」という意見だった。
彼(彼女)らは皆、前述した「ニートの素質が低いタイプ」なのだと思う。
しかし、高いニート素質を持った人間は違う。
数ヶ月何もやるべきことがない状況が続いたところで、特段飽きない。「暇で困る」という感情を持ち合わせない。テレビやPCなどのデバイスがあれば無為な一日を"あっという間に"やり過ごすことができる。直接日光を浴びなくてもピンピンしている。腐るほど時間があるのに、やるべきことが発生したら後回しにできる。一日何もしなくても、夜ぐっすり眠れる。
このような永遠の無職状態に耐えうる特別なぐうたら精神力(社会的・経済的な面は別次元とする)を有しているのである。この素質以外は、何一つ努力の必要はない。それがニートだ。
これらの素質の存在に気づいたと同時に、恐ろしい新事実として浮かび上がったのが、自分は高いニート素質を持ち合わせた人間である、ということである。30年目の真実である。
ヤバイヨー!ヤバイヨー!
とはいっても、ぐうたら精神力に気づいて危機感を感じている分、素質が中途半端。というムリポジで乗り切ることにする。
※ムリポジ=ムリにポジティブに考えること。
・ニートの情報量はすごい(推定)
ニートは、情報収集にかけられる時間という点では無敵である。
テレビやインターネット、雑誌新聞などから得られる二次情報という二次情報をほぼリアルタイムで受動することが可能なのがニートである。
一般的なサラリーマンでは絶対に叶わない「国会中継を生で全部見る」「朝・昼・夜のワイドショーで情報の変遷を見守る」「すべてのニュース速報を生で見る」などの奥義を発動できるのがニートである。
これはもはや、社会的価値を生み出していないニートが、社会情勢に最も詳しい、というジレンマ的状況が生じていると言っても過言ではない。
これだけの情報量を持ち合わせる世界中の余剰人材リソース(=ニート)を活用してグリッド・ニーティングを実現したら、何かできるかもしれない。ただ、何か成し遂げたらニートじゃない感じするので、具体的なことは考えない。
(冷静に考えると、にちゃんねるとかが、とっくにそれに近いことを実現しているのかも。)
とにかく世間は、ニートの言葉を、「ニートの言うことなんて」などと頭ごなしにバカにするべきではない。むしろ自分より社会情勢に詳しいかもしれない人物の言葉として、用心深く聞き入るべき。かもしれない。
・ニートには収入がない
ニートには収入がない。預金残高が増えることがない。
残高が底をつくリスク、すねをかじっている相手の堪忍袋の緒が切れるリスク。あるのはリスクだけである。
・・・これ以上何か言うと怒られそうなので自重する。
・意外とニートの心に刺さる言葉がある
社会的な批評や金銭面でのお説教などがニートにとって耳の痛い苦言となることは容易に想像できるが、実際のニート的生活の中で"意外と"心に刺さる言葉を発見した。
「毎日なにやってるの?」
という一言である。
大抵の場合、この一言の発言者に悪意も説教や批判の意図もない。純粋に疑問に思って聞いているだけに他ならない。
しかし、発言者の軽い気持ちに反して、聞き手ニートは、思いもよらない方向からやってきたビッグウェーブに成す術なく突き落とされる格好となる。
毎日なにやっているの?という無邪気な問いの中に、ニートは邪気の幻覚を見る。
人間である以上、何もやっていない、とは言えない。だがニートらしいニートであれば言葉に具現化できるほどの何かをやってもいないから、返答に窮する。
結果、「一昨日は、買い物行った」など、数日前の比較的行動的な部分的事象を取り出して取り繕うしかなく、非常に微妙な雰囲気になる。
というわけで、微妙な空気を作りたくなかったらニートに「毎日何やってるの?」と尋ねることは避けるほうが妥当と言えるだろう。
以上、取り急ぎのご報告ではあるが、誰かにとって参考になれば幸いである。