「先達ては老生の面倒なる御願に対し早速御調査詳細の御回答下され難有存候。然る所貴文中○○大学教授○○○○氏現存の如く御認め有之候も同博士は××大学教授にしてたしかに昨年中物故せられ居候。賢弟も愈々完全なる Zerstreuter Professor になられたるものと感服仕候。呵々。」これは永年ドイツに滞在している親戚のH教授から私への書信の一節である。Zerstreuter Professor は訳すればボンヤリ教授で、ドイツでも昔から教授先生というものは世故にうといぼけ者と相場をきめ、アメリカ人を成り金、アイルランド人を
実は題して放心教授列伝としたいが見渡したところ私の周囲には私に比肩し得る放心家はない。そこで一家の伝を以て満足せざるを得ないのである。蝙蝠傘を一月に一本、万年筆を二月に一本の割で紛失するなぞは誇るに足らない。蝙蝠傘の紛失記は別の雑誌に書いたことがあるが、警視庁の遺失品係を見学した時、これが一つの尨大なる倉庫をうずめているのを見て私の同輩が天下に
かくて省線電車の中で座席のわきに立てかければ必ず置き忘れ、市内電車の出入口に近い手すりに柄の曲ったところを引っかけたまま置いてくる蝙蝠傘、郵便局や銀行の窓口で署名するたびに捨ててくる万年筆、講壇の上に放りぱなしで学校を出て昼頃ねじを巻こうとして気がつく懐中時計なぞはここに記す価値がないとなると、さて何を書いたものか。考えればまだいろいろある。それを思い出してポツポツ列べる前に、ありふれたかつ紛失物中最多数を占める蝙蝠傘の中に一つ変ったのがあったから一例報告しておこう。今年の春、雨の日の朝出勤の省線電車中である。いつも降りる御徒町駅についた時あいにく非常にこみあっていた。私は片手に傘を握り片手にカバンを下げて遮二無二突き進んで行った。ようやく出るとすぐ扉がしまったがやれやれと落ち付いて階段を下り、駅から出ようとして初めて雨が降っているのに気がついた。傘を開こうとすると既に私の手にはない。人混みの中を扉のしまらぬうちに出ようとする努力に気をとられて傘をいつの間にか手放したと見える。この時の私の蝙蝠傘はたぶん東京駅あたりまで押しあっている人の背中と背中の間に挟まれて直立したまま運ばれたにちがいない。
私は毎日家へ帰る途中、本郷通りや上野広小路辺でよく買物をする。それも書籍その他自分の入用品を買うことは少くて、子供達への土産の玩具や画本、ないしお弁当のおかずになりそうなものなど、すこぶるよき父親ぶりを発揮するのである。その買物の場合の一〇パーセントにおいて何か忘れる。買物をすれば金を払う義務と品物をもってくる権利とがある。たいがいはその権利の方を忘れるのでことに紙幣を与えて釣銭を待つのに時間がかかるとその間に私の頭は遠く買物という事柄から離れてしまう。そして受け取った銀貨や銅貨を蟇口の中にザラザラしまい込むとやっと用がすんだという気分になってそのまま店を出てゆくのである。驚くのは店の子僧やおかみさんで水菓子の袋や絵本の包み、時によっては煮豆佃煮の類の竹の皮入れを持って私のあとを追いかける。先にいった権利と義務のうち、無意識に私を強く支配するものが義務の方らしいのでたいがいは買ったものを忘れるが稀に義務の方を忘れ、金を払ったつもりで包みだけぶらさげて出そうになることがある。この時は万引きみたいではなはだきまりの悪いおもいをするが私の態度が明らかに間が抜けているとみえて警官を煩わすほどの事件を惹き起したことは幸いにまだ一度もない。
学生の時徴兵猶予願いを忘れて、これはお上のことに属するので何とも始末のつけようがなく、よんどころなく一般壮丁とならんで褌を一着に及び検査をうけたことはいつか書いたことがあった。結婚式の日には教室で実験していて時間を忘れていた。宅から猛烈な催促の電話をうけて
留学中には旅行の都度チャンとプランをつくってゆく友人の尻についてまわったのでたいして失敗もしなかったが、ベルリンの郊外に住んでいたので大学に通うのにベルリン市の周囲をまわる東京の山手線のようなのを利用する。ある日いつも降りる駅を度忘れをしてベルリンのまわりを二まわりまわったことがあった。またある夏ドイツの北海のヘリゴランドという小島の研究所に行って魚をとっては解剖していたが、人の真似して海水浴に行こうとして島の小さい町で海水帽を買った。いろいろある中に
ネクタイを忘れることがしばしばある。ベルリンでも電車にのって気がついて頸を押えたまま下宿へとんで帰ったことがある。日本に帰ってから数えれば十回に近い。たいがいは電車にのって人のネクタイを見ると気がつくが大宮に住むようになってからはとりに帰ると間に合わないので上野駅まで我慢して駅の地下室の売店で買って結んで行ったことが二度、そしてまた一度は講堂へ出る前に初めて気がついた。時、折しも盛夏であったので、わざとカラーをはずしワイシャツの襟を折って流行の尖端を行く開襟党のごとくよそおって出たら学生がわっとはやした。それは何と鑑定してであったかつい聞かずにしまった。解剖実習の時カフスを取り外したまま忘れて会に出席したりすることは挙ぐるに暇がないくらいである。
宅にいて和服をきるとしばしば裏返しにきる。綿入れや袷せはめったにそんなことがないけれども
この例をいくらあげても私は最初期していたような興味がさらに乗ってこないからこの辺でやめるが大日本の教育機関という大きな機械の歯車の一つを勤めている私がかくのごとく Zerstreut であって今までどうやら大失態も仕出かさなかったのは、自分の上にも下にも同僚にもいわゆる鵜の眼鷹の眼リンクスの眼の鋭い人達がそろっていてこのボンヤリ者を支えていてくれたからであろう。しかしかくのごときものが現代ないし将来の Arzt にはもちろんのことその昔放心なる物の代表とせられた Professor にも適せぬのは本篇の冒頭に述べたようで深く諸君の戒めとして貰いたい。これにて今回の修養講話の終りと致します。