「信じてる」「翼広げ」「そばにいて」……。あれ、このフレーズ、どこかで聞いたような。最近、紋切り型のJポップ歌詞が増えている気がしませんか?
先月、都内であった芸人マキタスポーツさんのライブ。尾崎豊「15の夜」風の曲に乗せ、バイクを盗まれた男の悲哀を熱唱すると、観客席に爆笑が起こった。
そんなマキタさんの自信作が、昨年発売した「十年目のプロポーズ」だ。
「強がりや 弱虫も 僕が全部 受け止めるから/大丈夫だから さあ 翼広げよう」
長年の研究で突き止めた「ヒット曲の法則」を元に、「キセキ」「桜舞い散る」「扉を叩(たた)こう」など、Jポップの定番フレーズを随所にちりばめた。
法則が的中したのか、曲は配信ランキングの上位に。マキタさんは「皮肉半分、からかい半分。手品の種明かしのようなものですね。表現者の手の内を知り、監視するような目つきで見た方がいい」と語る。
ネット上には「翼広げ過ぎ」「瞳閉じ過ぎ」と、紋切り型歌詞への批判が渦巻く。「今度いつ会えるかな」「胸が痛いよ」といった、ありふれたフレーズ満載の歌詞が自動的に生成される「J―POPジェネレータ」なるサイトが評判を呼んだこともある。
■ネットで可視化
「翼をください」(1971年、赤い鳥)や「ff(フォルティシモ)」(85年、ハウンドドッグ)、「愛は勝つ」(90年、KAN)など、名曲と呼ばれるものも含めて、紋切り型の歌詞は、実はいつの時代にもあった。
東京経済大の山田晴通教授(メディア論)は「紋切り型が悪いわけではない。むしろ多くの人に支持されるフレーズだからこそ、繰り返し使われてきた。最近、紋切り型が増えたように感じるのは、ネット利用の広がりで、紋切り型に対する批判が以前より可視化されやすくなったからではないか」と分析する。
■歌との関係希薄に
音楽評論「耳をふさいで、歌を聴く」執筆のために、段ボール3箱分のCDを聴いたという文芸評論家の加藤典洋さんは、歌詞が劣化したというより、歌と歌詞の関係性が希薄化した、と考えている。
「西野カナやGReeeeN、ファンキーモンキーベイビーズらは、歌詞が出来合いのファストフードみたい。西野の場合など、歌詞の連ごとに意味がバラバラで入れ替え可能。手や目だけのパーツの人体模型のようだ」。楽曲をパーツごとに切り売りする着うたの流行も、この「希薄化」の表れ、との見方だ。
大阪市立大大学院の増田聡准教授(音楽学)は「Jポップは、旧来の歌謡曲に代わる新たな枠組みとして登場した。紋切り型批判が起こるのは、『Jポップは最先端でなければならない』という信仰がいまだに生きていることの裏返し。若い女性の心情を類型的な言葉で表現した『ギャル演歌』だと思えば、西野カナの画一性も気にならないのでは」と指摘する。
Jポップの歌詞はどこへいくのか。
芸人のマキタさんによると、ここ数年は、ツッコミ目線でベタなものの揚げ足を取ることを楽しむ「ツッコミ高ボケ低」の時代だった。が、東日本大震災を境に潮目が変わったという。
昨年末のNHK紅白歌合戦では、出場歌手55組のうち、10組以上が「信じて」「信じたい」などのフレーズを歌った。「シュールでとんがった表現より、大味でみんなが共有できるベタなアンセム(賛歌)が求められている」(神庭亮介)
■全文掲載サイト アクセス伸ばす
歌詞に対するリスナーの関心の高まりを裏付けるかのように、歌詞の全文を掲載したサイトがアクセスを伸ばしている。歌詞サイト大手「歌ネット」の年間ページビューは、開設された2001年の2100万から、10年にはパソコン版と携帯版を合わせて6億1300万まで急増した。
運営会社「ページワン」の西山寧・事業部長は「音楽配信で購入した歌の閲覧や、カラオケの練習などの用途が多い。若い世代は、携帯小説のようなライトな読み物として、歌詞だけを独立して楽しんでいるようだ」と推測する。