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ことば談話室

私だけがなぜ悪者?~「ロンリー・ウルフ」(上)

藤井 秀樹

 「お父ちゃん、絵本読んで」。4歳になったばかりの長女にせがまれ、一日1回は絵本の読み語りをする。ひとくちに絵本といっても昔話や民話のたぐいから創作童話、テレビのキャラクターものなど様々であるが、長女がまだ幼いこともあり、擬人化された動物が登場するものが多い。一説によれば、日本での3~5歳用の絵本の約7割に動物が登場し、約半数は動物が主題となっているという。

◇動物園はパラダイス

 絵本には、じつに様々な動物が登場する。犬、猫、ウサギ、キツネ、熊、パンダ、虎、ヘビ、カニ、昆虫……。これらの動物を、実際に一つの空間に押し込めたりしようものなら、たちまち弱肉強食の血なまぐさいバトルが繰り広げられるだろうが、絵本の中の世界では、異なる動物それぞれが同じ言葉をしゃべり、種の違いを超えて対等・平等にふるまい、共存する。まさにアダムとイブが追放される以前の「エデンの楽園」そのものである。

拡大絵本にはさまざまな動物が登場する=「ポポくんのミックスジュース」(accototo ふくだとしお+あきこ作、PHP研究所)から

 楽園のことを英語でパラダイス(paradise)というが、これは古代ペルシャ語のパラデイソス(paradeisos)に由来しており、それはアッシリア帝国やバビロニア帝国に存在した古代の「動物園」のことだったといわれる(渡辺守雄ほか著「動物園というメディア」青弓社)。様々な動物がわけへだてなく集まる姿は、このうえない平和と調和を感じさせ、心癒やされるものである。子供をひざに乗せ、一緒に絵本を読みかつ語る時間は、子供だけでなく、自分にとってもすごく楽しい。

◇招かれざる客

 そんな心地よい気分で読み語りをしながら、ふと気がついたことがある。

 絵本ではいろいろな動物が入れ代わり立ち代わり、異なる役をつとめ、様々な作品世界を展開する。ある時はスポットライトの当たる華やかな主役、ある時は主役を引き立てる脇役、またある時はその他大勢の片隅でほんのちょっぴり顔だけをのぞかせる、セリフなしのエキストラ……。そんな動物たちの中で、どうもオオカミだけが疎外されているのではないか、そんな印象を受けたのである。

 絵本に登場する動物で、一、二を争う人気者といえばウサギであろう。動物の出てくる絵本には必ずといっていいほどウサギが登場する。京都大学大学院教育学研究科の矢野智司(さとじ)教授はウサギについて、描きやすいことに加え、「跳ねる」という運動が、子どもにとっては重力から解放された喜びを感じさせる経験であることが、ウサギを魅力的なものにしていると述べている(「動物絵本をめぐる冒険」勁草書房)。これに対しオオカミといえば、悪役の代表格である。あまりにも有名な古典的名作「3匹のこぶた」「赤ずきん」「おおかみと7匹の子やぎ」の「オオカミ受難三部作」(と私が勝手に命名)では、いずれもオオカミが悪役として登場し、最後に(オオカミにとっては)悲惨な結末を迎える。そんなオオカミでも、他の作品では「普通の動物」として出てきてもよさそうなものだが、「その他大勢」で登場する動物たちの中に、オオカミの姿を見いだすことは、まず皆無である。

拡大オレ悪役?(大阪・天王寺動物園のオオカミ)

 我が家の絵本を調べてみると(絵本は1冊1000円前後と高いので、ほとんどが古本か、人様からの頂き物である)、全部で104冊あった。このうち擬人化された動物が登場するのは54冊、その中でオオカミが出てくるのはたった3冊で、例の「三部作」しかなかった。私(1968年生まれ)の子供の頃を振り返ってみても、読書体験が貧弱だったせいもあろうが、物語に登場するオオカミは決まって「悪役」であったし、親に連れられて見に行った人形劇やぬいぐるみ劇でも、オオカミは凶暴な悪役として登場するのが常で、それ以外の状況でオオカミというものを目にした記憶がない。やはりオオカミは「招かれざる客」なのだろうか。

◇語源を探ると

 ことばを巡るコラムなので、まず語源を調べてみた。オオカミは、奈良時代末期の仏典注釈書「新訳華厳経音義私記」に「大神也」とあり、「大神」が語源といわれる(山口佳紀編「暮らしのことば新語源辞典」講談社)。ほかに「大噛(大咬)」の義(貝原益軒「日本釈名」など)や、「犬」の別音Kamからくるとする説(与謝野寛「日本語原考」)もあるが、「大神」説が有力とされている。

拡大オオカミが描かれたお札
 日本では古くから超自然の能力を持つ聖獣とされ、山の神の化身・使者として敬われた。「真神(まかみ)」はオオカミの古称であるが、「古風土記逸文」によると、明日香(奈良県明日香村飛鳥)の付近に老いたオオカミがおり、多くの人を食ったので、土民が恐れて「大口の神」といい、その土地を「大口の真神の原」と呼んだという(平岩米吉著「狼 その生態と歴史」池田書店)。「大口の真神の原」の地名は万葉集にもあらわれている。また、日本書紀の欽明天皇のくだりにも、オオカミへの呼びかけとして「貴神(かしこきかみ)」と記されている。

 中世以降は「おおかめ」と呼ばれることも多かった。日本語にポルトガル語の語釈を付した「日葡(にっぽ)辞書」(1603~04年)にも、Vocame(おおかめ)がYamainu(やまいぬ=ニホンオオカミの別名)とともにオオカミの意として収録されている。

 また、オオカミは「オイヌサマ」と呼ばれて埼玉県秩父市の三峯神社、東京都青梅市の武蔵御嶽神社、浜松市の山住神社などで神としてまつられ、オオカミを描いたお札も売られている。厄よけのほか、「お犬」は「老いぬ」に通じるとして健康・長寿の神として信仰を集めているという。

 欧米語では、オオカミを意味する英語のwolf、フランス語のloupなどは、スイスの言語学者ピクテ(1799~1875)によると、インド・ヨーロッパ語系のアーリア語で「略奪する、盗む」の意である動詞varkから派生したVarka(略奪者)からきているという(C.-C.&G.ラガッシュ著、高橋正男訳「狼と西洋文明」八坂書房)。

◇漢字では「良い」のに

 そういえば、オオカミ(狼)という漢字には「良」が使われている。もしかしたら良い意味があるのかも知れぬと思い、「漢和大辞典」(学研)を引くと、「狼」は「けものへん」に「良」という音符(発音を表す記号)を合わせた文字だという。「良」は穀物を水で洗い、きれいに冷たく澄みきったさまを表す。これをオオカミの性質にあてはめ、「冷酷な性質の動物の意」としている。一方、茨城大の加納喜光名誉教授は、この「冷たく澄んだ感じ」は、オオカミの「蒼灰色(そうかいしょく=青みを帯びた灰色)の毛色の特徴」をさすものだとしている(「動物の漢字語源辞典」東京堂出版)。これに対し、同じ漢和辞典でも「漢語林」(大修館書店)では、音符の「良」を「浪」に通じて「なみ」の意味にとらえており、「おし寄せるなみのように群れをなして襲うオオカミの意味を表す」としている。

 また、作家の荒俣宏氏による「世界大博物図鑑」(平凡社)では、中国名の狼(ろう)は、この動物は獲物を追う際、獲物がどの方角に逃げたらオオカミにとって良いか(捕らえることができるか)を占うからだ、という説を紹介している。

 「狼」の漢字自体の意味としては、「みだれる」「もとる、たがふ」「あらい、すさむ」(諸橋轍次著「大漢和辞典」大修館書店)など、あまり良からぬ意味が多い。

 中国では、オオカミの糞(ふん)を燃やすと、その煙はまっすぐに立ちのぼり、風が吹いてもなびかないといわれ、これをのろしとして用いた。「のろし」に「狼煙」の字を当てるのはこのためである。また、無法で荒々しい振る舞いや、物が乱雑に取っちらかっていることを「狼藉(ろうぜき)」というが、これはオオカミが草を藉(し)いて寝たあとの、草の乱れた状態にちなむ。

 いずれにしても「狼」の字自体に良い意味はないわけで、少なくとも漢字の「狼」に関しては、いいヤツなんじゃないかと思って期待していたが、当てが外れてしまった。

(藤井秀樹)

次回はオオカミと人間の歴史的なかかわりを探ります。

(つづく)