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ことば談話室

センポン専従記――選挙の魔物と戦う前線部隊

加勢 健一

 7月に予定される参院選に向けて、候補者選びなど各政党の動きが活発になってきている。今回の焦点は、今のところ、昨年末の衆院選で大勝した自民党と、連立を組む公明党が、参院でも非改選組と合わせて多数を占められるかだ。

 朝日新聞でも、そんな「夏の政治決戦」に向けた準備が始まった。センポンが立ち上がり、全国に向けて指示を発している。

 センポン=選本。社内の選挙本部のことを指す。平時の選挙事務局が、国政選挙を前にすると本部に衣替えする。全国の取材網を統括するのが、東京本社の選挙本部だ。その東京選本に、昨年の衆院選の際、校閲センターから筆者が一人、8カ月にわたって配属された。参院選に向けて同僚にバトンタッチしたが、改めて選本の役割と経験について振り返ってみた。

 ●9カ月前から総選挙モード

 「衆院選に向けて来月から選本専従、お願いね」

 昨年3月、こう人事を告げられた。日ごろ所属している校閲センターから籍を離れ、選挙が終わるまで選本事務員として身を置くことになる。私にとっての衆院選は、早くもここから始まった。

選挙本部拡大参院選に向けて「選挙事務局」は「選挙本部」へと衣替えした=朝日新聞東京本社
 選本の一番の役割は、政治部や社会部といった本社内の各出稿部署や地方の取材拠点である総局に対し、公示日や投開票日の本番に正確で素早い選挙報道をするために必要な段取りを示し、サポートすることだ。

 ふだん選挙事務局には数人の事務局員がいるが、国政選挙や統一地方選挙が近づくといろんな部署から記者らが集まって作戦を練り、準備作業に当たることになっている。

 実は以前、大阪本社の校閲センターにいた時も1年ほど、大阪選本に専従し、2010年参院選と11年統一選を担当した。

 だが、投開票日がかなり前に決まる参院選や統一選と違い、衆院選は首相が解散を宣言して初めて、公示日・投開票日の日程が示される。いつ選挙になるか見通せない中での準備作業。政局をにらみつつ、いつかいつかと「その日」を待ち構える日々は、姿を見せない魔物と戦うような心持ちだ。

 選本での私の担当分野は、大きく分けて二つ。(1)立候補予定者リストの管理(2)候補者情報の管理だ。

 (1)は、どの政党からどんな人物が立候補表明したかを日々チェックし、リスト化していく作業。民主、自民の2大政党や公明、共産などの主要政党に加え、衆院選では橋下徹・大阪市長率いる「日本維新の会」が全国で350人規模の候補者を擁立する方針と伝えられ、「第三極」として注目された。そのため全体の立候補予定者数は過去の選挙に比べ、大幅に増えるだろうと覚悟した。

 そして(2)は、候補者の人となりを紙面で端的に伝えるための「候補者情報=略歴」づくりに関わる作業。各選挙区の候補者の略歴を実際に作成するのは各地の担当記者だが、前もって記者向けにルールとノウハウをレクチャーする必要がある。昨年4月、西部、大阪、東京の各本社で担当記者に集まってもらい、研修を開いた。記者のなかには過去いくつもの選挙報道に携わってきたベテランもいるが、多くは経験の少ない若手記者。独特の作法に慣れてもらう必要があった。

 ●大学出てすぐ大臣…なわけない

 選挙にどんな人物が立候補するかを「分かりやすく公平に」伝えるための略歴づくりには、一定のルールがある。たとえば、文字数や体裁がばらつかないようにする▽どんな仕事で生計を立てているかを示す――といった具合に、様々な観点から配慮している。

 そんななか、研修でひときわ大事だと強調したのは「その人がどんな経歴をたどってきたか、なるべく来歴が分かるような略歴づくりを」という点だった。

 一例を挙げると、元首相・森喜朗氏の70字までで示す略歴(09年衆院選時点)はこうだ。

日本体育協会長・日本ラグビー協会長<元>首相・党幹事長・党総務会長・建設相・通産相・党政調会長・文相・新聞記者▽早大商学部▽能美市下ノ江町

 略歴の並べ順は、最近から過去へとさかのぼって表す。森氏ほどの「大物」ともなると、各種団体の役員や政党の役職、大臣など歴任のポスト名がずらりと並ぶ。それはそれで重要だが、ポイントとなるのは「来歴が分かる」ということ。大学を出ていきなり大臣になったわけではないだろう。そこで生きてくるのが「新聞記者」の4文字。森氏は若かりし頃、日本工業新聞で記者を務めた経験があるので、それをあえて書き加えるのだ。

 選挙があるたび、略歴づくりに先立って、各地の担当記者が立候補予定者に「調査表」の記入をお願いする。調査表というのは履歴書のようなもので、まさにその人物の来歴を知るための重要な資料となる。

 だが、当選回数を重ねた議員ほど、記入してもらった調査表には政府や政党の要職がずらりと並び、当選前の経歴には触れない傾向がある。また、それまで所属していた政党を離党して別の党へ移った人物ならば、そのことを積極的に語りたがらない。労働組合や利益団体など特定の出身母体を持つ人物も、時としてそれを隠そうとする。選挙戦で支持を広げるため、偏ったカラーを印象づけないように徹するのも彼らの戦術である。

 ただ報道機関としては、たとえ立候補予定者にとって都合の良くない事柄であっても、必要ならばきっちり伝えなければならない。研修では特にこのことを強調し、追加取材したうえで略歴を充実させる努力をすることを共通認識としてもらった。

 ●試される「ネット選挙」時代

 野田佳彦首相(当時)の衆院解散宣言により、衆院選は12月4日公示、16日投開票と決まった。一時は「年内はないだろう」との観測も流れたが、日程が固まったことで一挙に臨戦態勢に突入した。

 略歴づくりでは、最後の最後までひやひやさせられた。盛り込む情報のひとつに「政党から候補者への推薦」のデータがあるが、公示前日の最終点検の段階になって、国民新党が複数の民主党候補に出していた推薦情報の一部が、連絡ミスで盛り込まれていないことがわかった。急いで各総局の担当者に連絡して略歴を修正してもらい、事なきを得たが、ろくに寝られないまま公示日に突入することになった。

 そして公示当日。選挙管理委員会に立候補を届けた人の数は、実に1504人。これは戦後、現行憲法下の選挙となって以来最多だった。「日本維新の会」のほか、小沢一郎氏と滋賀県知事の嘉田由紀子氏が手を組んだ「日本未来の党」などが加わり、候補者乱立の様相となった。

 選本メンバーは、公示日と投開票日は新聞編集フロアの一角に陣取り、各部署や総局と細かくやりとりして全体の情報の流れをとりまとめる。公示日は候補者をもれなく掲載し、投開票日はいち早く「当打ち」を促して開票結果を紙面などに盛り込んでもらうことができれば、長い戦いは念願のゴールを迎える。魔物退治の役割を何とか果たし、年の瀬に胸をなで下ろせた。

 綿々と受け継がれた選本のノウハウにも大いに助けられたが、今年に入り、選挙を取り巻く環境はがらりと変わろうとしている。「ネット選挙」の解禁だ。インターネットを使った選挙運動を解禁する公職選挙法改正案が衆院本会議で採決され、全会一致で可決された。7月の参院選から適用されるという。

 候補者はメールやツイッターで自らの政策を発信し、ユーチューブなどの動画サイトを使って政策を自由に訴えることもできるようになりそうだ。メリットに限って言えば、有権者にとってこれほど候補者にアクセスしやすく、豊富に情報を得られる手段はない。

 だが、新聞社の選挙報道は少なからず変わるに違いない。ネット選挙解禁によって各所で起こる出来事そのものを報道することはもちろん、インターネットのどんなサイトを閲覧すれば候補者の主張をよりよく知ることができるか、手引き役を買って出る必要もあるだろう。

 その際、選本の課題として確実に言えるのは、個々の候補者が使うインターネットツールをどこまで把握し、情報を追いかけるかということ。膨大な作業量になるはずで、骨が折れそうだ。ネット解禁によって、選挙を取り巻く状況がどう変化していくか、検証する必要にも迫られるだろう。「姿の見えない魔物」がまた増えて、選本の対応力がさらに試されていく気がする。

(加勢健一)