人権・校閲
こちら人権情報局
(2012/10/05)
■「組織のがん」と言わないで
筆者の同僚は、「『組織のがん』などという言い方が頭に来る」と言います。彼女の夫はがんと診断され、闘病の末、今はだいぶ元気になりました。ただ、それを近くで見て一緒に闘った家族としては、「がん」を「取り除くべきもの」の比喩に使った表現を見聞きするのは耐えられないことなのです。国語辞典にも載っているほど一般的な使い方だからか、「嫌だと思うことをみんなに分かってもらえない」と嘆いていました。
日本語では昔から当たり前のように病気や障害を比喩に使ってきました。たとえば大変な仕事を「骨が折れる」、猪突(ちょとつ)猛進で周りが見えないことを「視野が狭い」などと言います。修飾語を重ねて説明するより、比喩を使った方が簡単に相手に伝わる気がします。
多くの人は、けがの骨折や視野狭窄(きょうさく)症などを思い浮かべて使っているのではありません。しかし「がん」のように現に苦しんでいる人がいる病気や障害を比喩に使えば、悪気はなくてもその病気や障害で苦しんでいる人を傷つけてしまうことがあります。プライベートの会話ならともかく、公的な立場の人の発言や、新聞のように多数の人に向けた文章では、人を傷つけたりしないような配慮はやはり必要でしょう。
■公人の発言なら批判を受けることも
最近では7月に、自民党の石原伸晃幹事長(当時)が、民主党分裂の影響で国会審議が停滞しているとして(民主党は)「脳死ですね」と発言し(7/3産経新聞)、「臓器移植法を問い直す市民ネットワーク」が「マイナスイメージの代表のように使用される『脳死発言』は、脳機能不全状態の患者の人権・人格を無視するもの」だとして抗議声明を出しました。
少し前になりますが、2007年に麻生太郎首相(当時)が講演で、国内外の米価を比較するたとえ話の中で「7万8千円と1万6千円のどっちが高いか。アルツハイマーの人でもわかる」と話して、批判されました。
これらは公的な立場の人としては、配慮に欠けた発言と言われてもやむを得ないでしょう。
それでは、最近他紙の電子版に載ったこんな記事はどうでしょうか。
ある政治家が「日本銀行はもっと景気刺激策をとるべきだ」と述べたという記事でした。「『インフレマインドをつくるには、インパクトが必要だ。例えて言うのであれば、(日銀は)ディスコのDJだ』『DJが音量を上げるとみんな手をたたいて喜ぶ』。(略)ディスコのたとえ話を使って、○○氏は、難聴になるのでDJ役の日銀は徐々に対策を打ち出すべきではなく、人々を幸せにするためには一気にやるべきだという」
筆者は難聴者なので、自分がイヤなことの代表として引っ張り出され、「あいつのようにならないためには……」と言われたような気がしたのです。
大きな音を聞き続けると難聴になりやすいというのは事実です。ただそのことをイヤなことの比喩として出されて、神経を逆なでされたような気分になりました。話をわかりやすくしようとして難聴を比喩として持ち出したのに、話があまりわかりやすくなっていないこともあり、「記事は必然性もないのに難聴をイヤなことの例として出した」と受け止めました。
■思いめぐらし、悩みながら
ただ、このようなケースはまだ多くの人の同意は得られないかも知れません。もし、自分が校閲記者として担当している記事に出てきても「自分がイヤなのは確かだが、それは新聞として配慮すべきなのか」などと悩んだことでしょう。
「新聞としてどのような表現をすべきか」に正解はありません。これからも弱者の立場に思いをめぐらし、「無用に傷つけてはいないか」に気をつけつつ、紙面作りに携わっていこうと思いを新たにしました。
(山村隆雄)
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