時をさかのぼる
約 5,000 年前、古代都市メンフィスの外れに当時のエジプト人が王の墓として建設したピラミッド。この遺跡群は、現在もギザの街に高くそびえ立っています。ズームインして探索してみましょう。
巨大な建造物:
大ピラミッド
建設年
4,500 年前
使用されたブロック石の数
2,300,000 個
建設期間
20 年
真実を掘り起こす
ピラミッドは、何世紀にもわたってエジプト学者や考古学者によって研究されてきましたが、
その歴史の多くは今もなお謎に包まれています。
これまでに明らかになっていることをまとめてみました。
歴史
歴史
第 1 ピラミッドの建設は、第 4 王朝(エジプト史の全第 31 王朝中)の紀元前 2,600 年頃に始まったとされています。エジプト古王国に属する第 4 王朝は、紀元前 2,613 年~2,494 年までエジプトを支配しましたが、これは、クレオパトラ女王の時代より 2,500 年以上も前のことです。
場所
場所
ピラミッドは古代エジプトの都市、メンフィスの外れに建てられたとされています。メンフィスは、ピラミッドを建設した王たちが住む第 4 王朝の首都でした。ナイル川に近いことが、ギザのネクロポリスまで建材を運ぶのに有利な立地条件だったと考えられています。
目的
目的
ピラミッドは、古代エジプトのファラオ(王)たちを天へ導くための墓として建設されたと言われています。王は死後、ミイラ化されて木製の棺に収められ、さらに石棺(サルコファガス)に収められました。また、王の遺体は、調度品や宝飾品など、死後の世界でも重要となる道具とともに埋葬されました。王たちがピラミッドを建設したのは、自らの亡き骸を収めるためだけでなく、死後もその権力を誇示し続けるためでもあったのです。
建材
建材
ピラミッドの主な建材は石灰岩ですが、その他にも花崗岩、玄武岩、モルタル、泥なども使用されました。1 つのブロック石の重さは平均 2.5 トンで、その多くは船で 800 km も離れた場所から運ばれたものです。当時の人々がどのようにしてブロック石を高い所までつり上げることができたのかは、現在も明らかになっていません。また、大ピラミッドにはおよそ 550 万トンの石灰岩が使われており、これは世界一高い建物であるブルジュ ハリファのなんと 10 倍を超える重量です。
労働
労働
現在、ピラミッドの建設には何万人もの人々が携わったとされていますが、実際の数を知ることはできません。近年まで、ピラミッドの建設には奴隷が使役されていたと考えられてきましたが、現在では季節労働者が現場に居住しながら働き、死後には埋葬もされていたことがわかっています。ある労働者の一団が自分たちのことを「メンカウラーの酔っ払い」としたためた落書きが、ピラミッドの内側に残されています。
この有名な遺跡を訪れるために、何百万人もの観光客がこの道を旅してきました。遠くにクフ王、カフラー王、メンカウラー王のピラミッドが、まるで人工の山のように高くそびえ立っているのが見えます。
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カフラー王のピラミッドの近くまで進み、滑らかな白い石に覆われていた当時の様子を想像してみましょう。長年の間に、墓室内の遺物と同じように表面の化粧石も略奪されてきたため、現在ではこのような姿になっています。180
度回転すると、メンカウラー王のピラミッドが見えます。
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人間の頭とライオンの胴体を持つ大スフィンクスは、三大ピラミッドの東側に鎮座しています。全長 73 m、高さ 20 m
の世界最大級の彫像に近付いてみましょう。鼻が消失していますが、その経緯はわかっていません。
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三大ピラミッドを巡る
ギザのネクロポリスの主な観光スポットを訪れてみましょう。世界有数の遺跡をお楽しみください。
ギザのピラミッドは世界で最も古く、多くの人々を魅了してきた建造物の一つです。数千年前に建設されたこれらのピラミッドは、大昔の文明社会において高水準な技術が確立されていたことを証明しています。過去にさかのぼって、この古代遺跡群をゆっくりご覧ください。
ギザのピラミッドは約 4,500 年前、エジプトの黄金時代と呼ばれる第 4 王朝時代に建てられた建造物です。その建設は、クフ王、息子のカフラー王、孫のメンカウラー王の 3 代のファラオ(王)により約 85 年の歳月をかけて行われました。これらの墓には 3 つの小さな王妃のピラミッドが隣接しています。
カフラー王の頭とライオンの胴体を持つと言われている石灰岩の彫像、大スフィンクス。スフィンクスは、死後の世界で太陽神の加護をもたらすと王たちによって信じられていた神話上の生き物です。何世紀もの間、大スフィンクスは砂漠の砂に埋もれたままでしたが、現在では全身が発掘されています。
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ギザの三大ピラミッドの中で最も小さいピラミッドはメンカウラー王の墓で、遺跡群の南端に位置しています。メンカウラー王のピラミッドでは貴重な埋蔵物が出土している一方で、考古学的に大きな失望ももたらされています。まず、内部で見つかった人骨が実は別の場所から移されたものだったという事件があり、さらに、ピラミッドで発掘された石棺は輸送中に船とともに沈没してしまいました。
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古代の人々がギザのピラミッドのような巨大な建造物をどのようにして造ることができたのかは、正確にはわかっていません。ピラミッドを建設するには、巨大なブロック石をギザ台地まで運搬し、傾斜路と滑車、てこを使用して正確な角度でブロック石を積み上げていく必要がありました。奴隷ではなく、報酬を受けた何万人もの労働者によって造られた三大ピラミッドの技術は、三大ピラミッド以前の階段ピラミッド式から大きく進歩したものでした。
王の死後、脳と内蔵が摘出された遺体は 70 日間かけてミイラ化され、ミイラが完成すると「開口の儀式」などの一連の儀式が行われました。こうした儀式により、遺体に再び生命が宿り、死後の世界でも息をして話すことができると信じられていたのです。その後、ミイラとなった遺体は木製の棺に収められ、さらに石棺に収められました。一部のミイラでは、後のツタンカーメンのマスク(Google Cultural Institute で見る)のように、マスクがかぶされたものもあります。
古都メンフィスの郊外に建設された三大ピラミッドは、現在のエジプトの首都カイロから車ですぐに行ける場所にあります。大都市に近いことは観光客にとって便利である一方で、騒音、光、大気汚染といった課題ももたらしています。
現存する世界の七不思議
紀元前 2 世紀に世界の七不思議の一つに選ばれたギザの大ピラミッドは、その中で唯一現存する建造物です。
古代エジプト人による驚きの技術をご紹介します。
古代遺産の保存
ギザのピラミッドは、永遠に残るように建設されました。現在のところ、古代の世界七不思議の中で唯一残っているものなので、その目的を果たせているといえるでしょう。
その類いまれな建設技術のために、古代エジプト人が現代の技術による助けを借りずにどのようにしてギザのピラミッドを建設することができたのか、今でも確かなことはわかっていません。4,500 年もの間、風雨にさらされてきたギザのピラミッドが現在も人工の山のようにそびえ立つ姿は、建設に携わった人々の知恵を反映しています。古代エジプトの遺産は、これらの遺跡として保存されているのです。
このたび、ギザのピラミッドをストリートビューという新しい方法で保存することができました。自宅だけでなく職場や学校でも、画面でドラッグするだけで 360 度ぐるっと見回して、古代の技術を間近に観察することができます。
ストリートビューでは、サッカラのネクロポリス、カイトベイ要塞、カイロ要塞、空中教会、アブメナ遺跡といった、エジプトのその他の遺跡も訪れることができます。