新島襄ブロンズ像
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新島襄ブロンズ像
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新島襄ブロンズ像

新島襄ブロンズ像

西波止場の銅像

新島襄ブロンズ像

新島襄ブロンズ像
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評価分布
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旅行タイプ別評価
新島襄ブロンズ像について
赤レンガ倉庫群を歩いて少し過ぎると舟に乗った新島襄のブロンズ像を見つけることができます。鎖国の時代にあっても海外へ行きたいという強い信念で脱国を果たします。
※掲載されている情報や写真については最新の情報とは限りません。必ずご自身で事前にご確認の上、ご利用ください。
所在地 | 〒040-0053 北海道函館市末広町24 地図 |
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交通アクセス | (1)赤レンガ倉庫群から歩いてすぐ |
新島襄ブロンズ像のクチコミ
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1864年出国、1875年帰国
1843年に生まれた新島襄は、1864年に密航という形で日本を出国し、1890年に46歳で短すぎる人生を終えた方ですが、出国してから亡くなるまでの26年間というものは、ぎゅっと濃縮された密度の濃い人生であったようです。彼が日本を出国した場所が函館であり、そのブロンズ像が赤レンガ倉庫群の西の外れを右手に曲がった海岸沿いに建っています。私が訪れた日は、何か整備工事の途中らしく立入禁止となっていて、案内板の内容を読めるほどの距離には近づくことができませんでした。
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- 行った時期:2018年9月4日
- 投稿日:2019年1月30日
このクチコミは参考になりましたか? 3
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武田斐三郎の教えを得に
ベイエリア西にある像です。新島襄といえば、同志社大学の前身創設者で、渡米帰国後に創設しました。武田斐三郎の教えを得にこの地に来たというところです。吉田松陰とは、数十年の違いで犯罪者とならずに偉業を成し遂げました。ハリスト正教会やロシア病院の出来事は興味深いです。
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- 行った時期:2014年8月
- 投稿日:2018年11月16日
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新島襄ブロンズ像
北海道函館市にある西波止場近くの末広緑地にたたずむ新島襄のブロンズ像。1864年箱館から密出国すべく、小舟に乗り込んで外国船に向かう姿を再現しているそうです。
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- 行った時期:2023年9月
- 投稿日:2023年9月17日
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新島襄ブロンズ像の基本情報
※掲載されている情報や写真については最新の情報とは限りません。必ずご自身で事前にご確認の上、ご利用ください。
名称 | 新島襄ブロンズ像(ニイジマジョウフロンスゾウ) |
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所在地 |
〒040-0053 北海道函館市末広町24
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交通アクセス | (1)赤レンガ倉庫群から歩いてすぐ |
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新島襄ブロンズ像に関するよくある質問
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- 新島襄ブロンズ像の交通アクセスは?
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- (1)赤レンガ倉庫群から歩いてすぐ
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- 新島襄ブロンズ像周辺のおすすめ観光スポットは?
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- クラフトベース モノクラ『レザークラフトKen』 - 約190m (徒歩約3分)
- 金森赤レンガ倉庫 - 約160m (徒歩約3分)
- 函館の坂道 八幡坂・基坂 - 約160m (徒歩約2分)
- 函館市北方民族資料館 - 約230m (徒歩約3分)
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- 新島襄ブロンズ像の年齢層は?
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- 新島襄ブロンズ像の年齢層は50代以上が最も多いです。
- ※クチコミ情報から、年齢層を掲載しています。参加者年齢の目安としてご利用ください。※詳細は各プランの内容をご確認ください。
新島襄ブロンズ像の訪問者傾向
みんなが行った時期
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1月
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2月
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3月
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4月
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5月
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6月
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7月
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8月
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9月
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10月
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11月
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12月
訪問者の特徴
- 滞在時間
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- 1時間未満 100%
- 1〜2時間 0%
- 2〜3時間 0%
- 3時間以上 0%
- 混雑状況
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- 空いている 67%
- やや空き 33%
- 普通 0%
- やや混雑 0%
- 混雑 0%
- 年齢層
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- 10代 0%
- 20代 0%
- 30代 13%
- 40代 13%
- 50代以上 75%
- 男女比
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- 男性が多い 100%
- やや男性多 0%
- 約半数 0%
- やや女性多 0%
- 女性が多い 0%
- 訪問人数
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- 1人 86%
- 2人 14%
- 3〜5人 0%
- 6〜9人 0%
- 10人以上 0%
- 子供の年齢
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- 0〜1歳 0%
- 2〜3歳 0%
- 4〜6歳 0%
- 7〜12歳 0%
- 13歳以上 0%