2014年4月13日(日)
民主主義の安定 着実に
インドネシア総選挙結果
9日に行われたインドネシアの総選挙で、与党・民主党が大幅に得票率を減らし、野党3党を下回る見通しとなりました。この結果は、汚職が選挙の焦点となったことを反映する一方、1998年のスハルト政権崩壊後の民主的な改革が着実に進んできたことを示しています。(ジャカルタ=松本眞志 写真も)
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汚職をめぐっては、起訴された党員数の最も多いのが野党・闘争民主党あるいはゴルカル党で、民主党はそれよりも少ないとの調査があります。一方世論調査では、民主党が「最も汚職が多い党」とみなされています。
汚職に国民幻滅
こうした実態と世論との格差の背景には、民主党指導部の汚職に対する国民の幻滅の大きさがあります。同党は2004年の総選挙で、クリーンなイメージで高支持率を獲得しました。ところがアナス前党首の収賄容疑を受けて、13年の臨時党大会で党首を交代。今年1月には逮捕されました。
一方の野党は、闘争民主党が第1党となる見通しですが、得票率は突出したものではありません。大統領予定候補であるジャカルタ州知事のジョコ・ウィドド氏の人気を受けた躍進です。
第2党のゴルカル党はスハルト政権時代の与党として「スハルト時代に経済は安定していた。ゴルカルが勝てば経済はよくなる」と主張。草の根までの組織力を背景にたたかいましたが、得票率は減りました。
第3党となるグリンドラ党は、プラボウォ元陸軍特殊部隊司令官が大統領就任を目指し、09年に初めて選挙に参加。貧困の縮小など「六つの指針」を掲げています。選挙中は闘争民主党に批判を集中、イスラム勢力との連携を図ることで大きく支持を伸ばしました。
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選挙は一部で、票の買収などいくつかの不正が報告されましたが、全体としてインドネシア国民が自分たちの意思を表明する場として定着していることを浮き彫りにしました。
98年以後の変化
1998年のスハルト政権崩壊後、現在大統領は直接公選制となり、労働運動や政治活動の自由化にともなう新党結成の条件も生まれています。
パラマディナ大学のジャヤディ・ハナン教授は「ユドヨノ政権下でクーデターも起きず、アチェの分離・独立を目指す動きも2005年に収束した。問題は残されているものの、民主主義は安定してきたといえる」と語っています。