先日、ある女性が誇らしげにこう言っているのを聞きました。「ここ2週間、忙しくて4時間しか寝てないのよ」。彼女に不満な様子はなく、むしろその事実を鼻にかけているかのような節すらあるから不思議です。こういう人はよくいるものです。
このように、いつもは合理的であっても、なぜ人は非合理的な行動をとるのでしょうか? その理由は、私たちが「新たなバブル経済」の真っただ中にいるからだと私は考えています。そのバブルはあまりに大きいため、先進国で生きる私たちの生活が、その影響を受けてしまっています。いえ、バブルの病に侵されていると言った方がいいかもしれません。今回のバブルは、過去のバブル(世界最初のバブルである17世紀のチューリップバブル、シリコンバレーのITバブル、サブプライムローンの不動産バブルなど)によく似ていながら、そのどれよりも強力です。私はそれを、「あれもこれもバブル」(The More Bubble)と呼ぶことにしました。
バブル経済下においては、資産価値が信じられないほどに過剰評価されます。ただし、それもバブルが崩壊するまでの話。崩壊してしまえば、なぜあんなにも無根拠に浮かれていたのかと、頭を抱えることになるのです。いま私たちが過剰評価している資産は、「あれもこれもやる」「あれもこれも手に入れる」「あれもこれも達成する」という、ジム・コリンズが言うところの「規律なき"もっと"の追及」(the undisciplined pursuit of more)の現れなのです。
今のバブルは、「スマートフォン」「ソーシャルメディア」「極端な消費者主義」という3つの強力なトレンドが、不自然に手を組むことで発生しています。その結果、情報だけでなく、意見も過剰にあふれています。過去の歴史を見ても、他人が何をしているのか、それゆえ自分が何を"すべき"かを、これほどまでに知っていた時代はありませんでした。その過程において、私たちはあるデマを擦り込まれてきました。それは、「成功とは、あれもこれもこなせるスーパーマンになること」というデマです。おかげで私たちは、忙しさを鼻にかけるようなところがあります。忙しくしていることが、重宝され成功するための秘訣だとばかりに。
私たちは、"もっと"の麻薬に取りつかれているだけでなく、その密売にも加担しています。我が子を「いい大学」に入れようとするレースの中で、あきれるほどの量の宿題、スポーツ、クラブ活動、ダンス、そして絶え間ない習い事を、子どもたちに押しつけているのです。それと同時に、忙しさ、睡眠不足、ストレスも与えています。
"もっと"の問題に対する解決策は、いつだって"もっと"です。もっと多くのテクノロジーを生み出すには、もっと多くのテクノロジーが必要。自分の時間を解放してもっと多くのことに取り組むには、もっと多くのことをもっとたくさんの人にアウトソースすることが必要......
幸いにも、「規律なき"もっと"の追及」を防ぐ方法があります。それは、「規律ある"少なさ"の追及」(the disciplined pursuit of less)。多くの人がそれに気づき、シフトを始めています。私はそのような人を、「本質主義者」(Essentialist)と呼んでいます。
本質主義:大切なことにフォーカスする
「本質主義者」とは、大切なことに集中し、それ以外を排除するようにライフデザインしている人のこと。この種の人々は、思考を巡らせるために朝の散歩に出かけ、本当の週末(働かない)を手に入れるために交渉し、毎晩テクノロジーをオフにする時間を決めて、家庭におけるテクノロジーフリーゾーンを築いています。彼らは、Facebookの時間を減らし、本当に大切な友達との電話に時間をかけます。相次ぐ会議に駆け込むのではなく、予定表に空白を用意し、そこで大切な仕事に取り掛かります。
本質主義者のムーブメントは、大きなうねりとなって押し寄せています。これに対応するため、Googleのお昼寝ポッドやTwitterの瞑想ルームなど、企業間で競争すら起きているのです。今年のダボス会議では初めて、マインドフルネス(自分の身体や気持ちの状態に気づくための「こころのエクササイズ」)に関するセッションが多く見られました。その熱狂ぶりは、TIMEマガジンがこれをムーブメントではなく、それを超えた「革命」と表現したことからもうかがえます。
このようなシフトが起こっている1つの理由は、「非本質主義者」でいるよりも、ずっと気分がいいから。要らなくなった洋服を箱に詰めて、誰かにあげたときの感覚を知っていますか? クローゼットの不要物がなくなり、自由な気持ちになります。これと同じことを人生において大っぴらにやるのは、さぞかし気持ちがいいことでしょう。人生における詰め込みすぎのクローゼットを解放し、非本質的なものを誰かにあげてしまったら、どれだけの自由とエネルギーを感じられるのか。そうすれば私たちは、本当に大切な、数少ないことに集中できるようになるはずです。
いつか必ず訪れる「あれもこれもバブル」崩壊のとき、私たちは、いかに価値のないことに大切な時間を無駄に費やしてきたかを知ることになります。たくさんの些細なことのために、本当に大切な数少ないことをあきらめてきたことに気づくのです。そして、つめこみの人生は、不動産バブル崩壊後の住宅のように、空っぽであったことを思い知らされるのでしょう。
スケジュールを制限して、本質主義者になろう
4半期に一度、個人的オフサイトミーティングを
4半期に1回、オフサイトミーティングを(現場を離れた場所(off-site)で行われる会議)行う企業が増えています。日々の業務よりも、戦略的質問を問うことに価値を見出す企業が増えている証拠でしょう。企業と同様、個人レベルでも、ささいなことにつまずかないように、4半期に1回程度は、何が本質的で何がそうでないのか、じっくり考える時間が必要です。私は、「"3"のルール」をおすすめしています。「3カ月」に1回、「3時間」かけて、今後「3カ月」で達成したいことを「3つ」挙げること。
十分な休養で、卓越した仕事を
K. Anders Ericssonは、論文「The Role of Deliberate Practice in the Acquisition of Expert Performance」において、パフォーマンスの「良い人」と「優秀な人」の大きな違いは、練習に費やした時間であると発表しました。この結果は、マルコム・グラッドウェルの「1万時間の法則」としてご存知の人もいるかもしれません。
次に、これに気付いている人はあまり多くありませんが、「良い」と「優秀」を区別する第2の要素は、睡眠時間です。エリクソンの研究では、トップレベルのバイオリニストらの平均睡眠時間は1日8.6時間と、平均的なバイオリニストよりも長時間眠っていることがわかりました。
新しい活動には有効期限を
人間関係や記憶の構築において重要な役割を果たすのが、習慣。でも、すべての新しい活動を習慣にする必要はありません。あるイベントで成功を収めたら、それを楽しみ、記憶に残したうえで、次の一歩を踏み出しましょう。
毎週1つのチャンスにNoと言う勇気を
「本質主義の力」を実感しているある会社幹部は、今後数年、週に10時間程度の時間の確保が必須になるという理由から、企業の顧問職を断ったといいます。彼女は、それを断ったとき、自由になれた気がしたと言います。チャンスに「No」と言うのは勇気が要ることですが、そうしなければ、本当に時間を費やしたいことのために時間を確保することが難しくなります。
100年後の人がこの時代を振り返ったら、私たちがいかに自己を無視してストレスに邁進していたか、そのバカバカしさに驚くことでしょう。私たちには、2つの選択肢があります。「あれもこれもバブル」崩壊までバブルの中に取り残されたままでいるか、その狂気に気付いて本質主義者の仲間入りを果たすか。後者を選べば、一度しかない大切な人生を、本当に大切ことに費やすことができるのです。
Why We Humblebrag About Being Busy | Harvard Business Review
Greg McKeown(原文/訳:堀込泰三)
Image remixed from B Studio (Shutterstock) and PublicDomainPictures (Pixabay). Photos by Elizabeth Ellis (Flickr) and Kris Arnold (Flickr).