私はここ1年半のあいだ、平日はほぼ毎朝5時半に起き、歯を磨いてコーヒーをいれ、机の前にすわって執筆を始めるということを繰り返してきた。書いていたのは、過去400年間の偉人たちが、私がいまいったようなことに、どう対処してきたかということ(後略)。(「はじめに」より)
つまり『天才たちの日課 クリエイティブな人々の必ずしもクリエイティブでない日々』(メイソン・カリー著、金原瑞人・石田文子訳、フィルムアート社)において著者は、「偉人たちが最高の仕事をするため、毎日どう時間をやりくりしていたのか」を調べ、まとめているわけです。
興味深いのは、何時に寝て何時に食事し、いつ仕事をしていつ頭を悩ませていたかなど、「日常のごく平凡な事柄」に焦点を当てている点。また、モーツァルト、ベートーヴェン、キルケゴール、マルクス、フロイト、ユング、ウディ・アレン、デイヴィッド・リンチ、スティーヴン・キング、アンディ・ウォーホル、ゴッホと、161人におよぶ人選も幅広くユニークです。
きょうはそのなかから、何人かの日常を引き出してみたいと思います。
フランシス・ベーコンの日課
アイルランド生まれの画家ベーコンは、はたから見ると、無秩序を糧に生きているように見えたのだそう。なにしろアトリエはひどい散らかりようで、壁は絵の具で汚れ、床の上には本、絵筆、紙、壊れた家具などの破片がひざの高さまで積み重なっている状態。そのことについては、「きちんと片づいた室内では、自分の創造性はなくなってしまう」と話していたと記されています。
また、絵を描いていないときは、とことん快楽に浸ったことも特徴のひとつ。1日に何度も豪華な食事をして大量の酒をあおり、刺激的なものにはすぐ手を出し、たいてい夜更かしをして、同世代の誰よりも派手に遊んだというわけです。しかし、伝記作家のマイケル・ペピアットによれば、ベーコンは「本質的に習慣の奴隷」で、生涯を通じてほとんど変化のないスケジュールに従っていたのだとか。夜更かしが続いても、夜明けとともに起き、5~6時間仕事をして、終えるのは正午くらい。そのあと飲みを続けていたということです。
長い夜の終わりに「もう一杯やろう」と知人を自宅に誘ったのは、不眠症との闘いを少しでも先延ばしするため。眠りにつくため睡眠薬に頼り、ベッドに入る前に古い料理本を繰り返し読んでリラックスしたものの、一晩に2~3時間しか眠れない状態。それでもからだは健康で丈夫だったというから不思議です。
運動はカンバスの前を行ったり来たりするのみで、ベーコンの考える健康によい食生活とは、ニンニク入りのサプリメントを大量にのみ、卵黄とデザートとコーヒーを控えることだった。そのいっぽうで、1日にワイン6本、レストランでの豪華な食事を2回以上続けた。(24ページ)
それでも頭がぼけることも、ウエストが太くなることもなかったというのは驚異的。ちなみに、二日酔いのときに仕事をするのが好きな理由は、「頭にエネルギーが満ちて、思考が冴えわたる」からなのだそうです。(23ページより)
村上春樹の日課
長編小説を書いているときの村上春樹が、朝4時に起き、5~6時間ぶっとおしで仕事をするというのは有名な話。午後はランニングか水泳をして(両方のときも)、雑用を片づけ、本を読んで音楽を聴き、21時に寝る。
「この日課を毎日、変えることなく繰り返します」2004年の『パリス・レビュー』で村上はそう語っている。「繰り返すこと自体が重要になってくるんです。一種の催眠状態というか、自分に催眠術をかけて、より深い精神状態にもっていく」(97ページより)
長編小説を仕上げるのに必要な期間ずっとそれを続けるには、精神的な鍛錬だけでは足りない。それが村上の考え方。体力が、芸術的感性と同じくらい必要だというわけです。
ジャズ・クラブの経営者を経て、1981年にプロの作家としてデビューしたとき村上が気づいたのは、「作家らしくすわってばかりの生活をしていると、急激に体重が増える」こと。また当時は1日にタバコを60本も吸っていたため、生活習慣を根本的に変えることを決意したのだそうです。結果、妻とともに田舎へ引っ越し、タバコはやめ、酒の量も減らし、野菜と魚中心の食事に。そのときから始めた毎日のランニングは、25年以上続いているといいます。
この習慣の唯一の欠点は、人づきあいが悪くなること。しかし結果として行き着いたのは、「自分の人生で欠かすことのできない関係は、読者との関係だ」というスタンスだったと説明されています。(97ページより)
スティーヴ・ライヒの日課
「僕はぜんぜん朝型人間じゃないんだ」(107ページより)
ミニマル・ミュージックの巨匠として知られるアメリカの作曲家、スティーヴ・ライヒはそういっているのだといいます。実際、いままでに書いた作品の約95パーセントは正午から午前零時のあいだに書いたものなのだとか。
具体的には、運動をしたり、祈祷をしたり、朝食を食べたり、ヨーロッパのエージェントがいるロンドンに仕事の電話をかけたりするのが午前中。そのあとピアノかコンピュータの前に腰を落ち着けると、以後の12時間を何回かに分け、集中して仕事することを目指すのだそうです。もし2~3時間集中してやることができたら、そこでしなければならないのは、お茶を飲んだり、ちょっとした用事をしに出かけたりすること。そうやって小休止をとることは、とても効果があるのだといいます。
特に有効なのは「なにか小さな問題が生じているような場合」で、そういうときにいちばんいいのは、その問題から離れて注意をどこかよそに持っていくこと。すると、必ずとはいわないまでも、解決策が自然と浮かんでくるのだそうです。
ライヒは、インスピレーションがひらめくのを待つという考えには同意しないものの、なにかのひらめきを、普通より強く感じてつくった作品はあると信じているとか。長く仕事を続けることによって、ときどき、そういったひらめきに遭遇できるようになるという考え方です。
決まったやり方はないけれど、その可能性に心を開いておくことこそが重要だとライヒ。それはつまり、次の作品がなにか思いがけない要素を持つかもしれないということだと主張しています。(107ページより)
「創造的な活動の周辺について書かれたものであって、成果について書かれたものではない」からこそ、「これは表面的で軽い内容の本だ」と著者は記しています。しかし、軽く読みやすいエピソードの端々に、私たちにも応用できそうなヒントがたくさん隠れているのもまた事実。
それ以前に、さまざまな「天才」たちの日常に触れることができるので、とても楽しみがいのある内容だといえます。
(印南敦史)