誰もが自分はオープンマインドだと思いたいもの。しかし選挙の時期になると、たとえ最高の人格者でも、最悪の部分が引き出されてしまうものです。考えも知識もかなり「広い」人でも、自分で思っているほど柔軟ではなく、またそれを公然と認めています。なぜそうなのか、それをなんとかする方法はないのか、考えてみましょう。
オープンマインドというのは、従来、ある物事や考え方が正しいかもしれないし、正しくないかもしれない、ということを認めるということです。私たちは皆、多くのことに対してクローズマインドであり、それは本来、悪いことではありません。たとえば、あることが間違っているとわかったら、それはさっさと捨て去るべきです。事実上間違っていることに対し、柔軟な考えをもつ暇がある人などそういませんし、もし、どんなことにもオープンマインドだったら、正誤や真偽がはっきり証明されないかぎり、なんの意見を形成することもできなくなってしまいます。幸いなことに、オープンマインドを保ちつつ批判的思考を行うことは可能ですが、それには努力が必要です。
反対意見は既成概念を補強する
誰でも、人から間違っていると言われるのは嫌なものです。本来であれば、誰かが自分の考えに異論を唱えてきたら、その新しい情報を受け入れ、それに対する自分の考えを再検討するのが望ましいのでしょう。ところが、実際はその逆になることが多いのです。自分の考え方に抵抗する新しい情報を提示されると、それまでの考えをより強固にするようになります。いわゆる反発作用です。
実例として、今年もっとも目立っているのは、ヒラリー・クリントン氏とバーニー・サンダース氏の支持者同士の反発作用です。サンダース側からもっともよく聞くのは、クリントン氏は現実主義的すぎるし、権力志向が強すぎるので、信頼に値しないという主張です。それに対し、誰かが、たとえばフェイスブックで異論を唱えようものなら、サンダース氏の支持者がよってたかって自分たちの主張を裏付けるリンクを貼っていきます。クリントン氏の支持者も同様のことをするので、双方が、自分たちの持論を裏付けるような論点だけをぶつけ合う、容赦ない応酬合戦になるだけです。おそらく、誰もヘッドライン以降のリンクの記事など一文とて読んでいないはずです。
このように、既成概念は、新しい情報の吸収を難しくします。これでは、新しい発想に対してオープンマインドを保つことは困難です。上に挙げた例は単純で、私が見聞きした、不特定の知人のやり取りですが、こうしたことが起きるのは、フェイスブックの空間だけではありません。著者でありジャーナリストのDavid McRaney氏のブログ「You Are Not So Smart」で、いくつかの事例が紹介されています。
科学者らが、1996年の大統領選におけるボブ・ドール候補とビル・クリントン大統領の討論を、双方の支持者に見せて観察したところ、討論会の前は、皆自分の支持する候補者が勝利すると信じている、という傾向がわかりました。2000年には、心理学者らが、モニカ・ルインスキー事件が起きている間、熱烈なクリントン支持者と反クリントン有権者を分析しました。その結果、クリントン支持者は、クリントンが宣誓下で偽証したことが受け入れ難く、ルインスキーのことを信用に値しない不倫相手と見なす傾向にあったことを発見しました。反クリントンの人々は、もちろん正反対の意見です。次は2011年に早送りし、FoxニュースとMSNBCが、ニュース専門ケーブルテレビ局同士の縄張り争いを展開したときのことです。 両局とも、一定の視聴者層の考えを脅かすようなことは絶対にしませんと約束していました。つまり、視聴者が偏った情報を吸収するのは確実ということです。
要するにこういうことです。私の考え方に抵抗してごらんなさい。私はあなたの反対意見について批判的思考を行う代わりに、自分がいかに正しく、あなたがいかに愚かかを悶々と考えますよ――ということです。人は、自分の考え方を脅かすような物事を示されると、混乱したり、ともすれば怒ったりしますが、自らの考えを改めるようなことはめったにしません。記事の論調がどうであっても、そうなのです。より中立的な論調で異論が提示されれば、相互理解につながるのではないかと思う人もいるでしょうが、絶対にそうはなりません。論調が中立的であればあるほど、その考え方を退けたくなる(あるいは自分の味方になるような解釈をする)のです。
残念ながら、この問題を改善する手立ては、あまりありません。せめて自分が間違っている可能性を受け入れ、とりあえず論争を回避したり、自分を怒らせる記事を放置したりして、気持ちが少し落ち着いてから再考する、くらいのことしかできないのです。
人が注視するのは、自分に直接の利益をもたらすこと
当然と言えば当然ですが、私たちは、自分に直接影響がおよぶことに、より注目し、そうでないことは二の次にします。そのため、クローズマインドになりやすいのは、自分に直接影響しない問題のことが多いと言えます。そういうテーマは多く存在し、特に、階級、人種、性的傾向などが一般的ですが、一番説明しやすいという観点から、ここではお金の問題を例に取りましょう。
もっとも単純な例が、大学の学費ローンの負債です。どの候補者も、学費ローンの過重負債に対するなんらかの立場を示し、なんらかの対応策を用意しているかの姿勢を見せています。もしあなたが、現在、学費ローンで多くの負債を抱えているとしたら、自分にもっとも利益をもたらす候補者は誰かを検討するはずです。それが、ある候補者をほかの候補者よりも支持する大きな論拠の1つとなるでしょう。トランプ氏の、教育省への予算を削減し、連邦政府が学費ローンで金儲けをしないようにするというアプローチに賛成する可能性もあるでしょうし、クリントン氏の、低金利ローンへの借り換えを提供するプランのほうに魅力を感じるかもしれません。また、大学を出たばかりの人なら、学費ローン改革に関する演説内容をもっとも注視して、自分に直接利益をもたらすプログラムを提言する候補者を支持し、ほかの問題は二の次になるはずです。
もちろんその逆もしかりで、大学に行かなかった、あるいはローンを完済した、また自費で学費を払うことができたために学費ローンを抱えていない有権者もいます。そのような場合なら、学費ローンの問題を気にすることなどないでしょう。それどころか、あまりにも無関心すぎて、なぜこんなことが大きな政策ポイントなのかと不思議がるかもしれません。ともすれば、学費ローン改革に必要な財源のしわ寄せが、いつか自分に来るかもしれないと考え、反学費ローン改革の側に投票したいと思う可能性もあるのです。
対立する2つの意見を一度に理解するのはとても難しいことです。一生懸命働いてすでにローンを完済した人や、自費で大学に行った人なら、自分が損をしたように感じたり、なぜ、ほかの人は自分と同じように払えないものか(理由があるのは明らかなのですが)と考えたりするでしょう。また、給料の半分が学費ローンの支払いに消えてしまい、家賃を払うのに苦労している人だったら、政府がなぜ、今までこの問題に対処しなかったのか理解に苦しむはずです。そして、支払金額のうち、元金よりも利息の占める割合のほうが大きい場合は、借り換えをするのが賢明な選択肢です。
もちろん、この問題は途方もなく複雑で、さまざまな変動要因があるのですが、大半の人は、自分自身が得る利益以上のことを認識することができません。
人が、自分に直接影響のある問題について話すときは、だいたい、利己的な見地でものを見るという事実があります。だからと言って、どういった見地で考えるのが有効なのかと言うつもりはありませんが、自分自身に直接影響する政策に関してオープンマインドを維持するのは、非常に難しいということは言えます。自分自身を問題の諸要素から切り離して、世のためを考えるというのは困難なことです。オープンマインドと言えば必ずついて回るのが、他人の立場に立って物事を考えようという陳腐なアドバイスです。しかし、自分の考えを改めるには、おそらくそれしかないと思うのです。
人は反対意見など読まない
先ほど、オープンマインドを目指すなら、さまざまなソースの反対意見を読み、それぞれの主張についてじっくり考えを巡らせた上で、自分の意見を形成すべきだと言いました。しかし、正直な話をすれば、実際そんなことをする人はまれです。
もちろん、反対政党の候補者同士の討論会ならたくさんの人が見ます。それによって、自分はあら探しばかりせずに、反対側の意見にもちゃんと耳を傾けていると納得している人もいるでしょう。しかし、共和党の討論会を見る理由は、オープンマインドうんぬんよりも、エンタテインメント目的ではないでしょうか? トランプ氏特有の言動を見るのが楽しいのです。彼に賛同するなら支持活動をしているはずです。そうでないのに見ている人は、テレビに向かって声を上げる格好の機会だからです。テレビに向かって叫ぶのは楽しいことだと、私も思います。感情を高ぶらせ、政治的イデオロギーについてぶちまけるのは楽しいです。でも認めましょう。大半の人は、反対側の意見を読んで、批判的思考のモードになり、社会問題を深く考える、などということはしていないのです。
反発作用は根強く、仮に時間をかけて反対意見を読んだとしても、持論をさらに補強するだけになってしまうのが常です。「オープンマインドで相手の意見を読んでみた結果、こんなところには不賛成ですが、こんなところは、新たな発想の参考になり、こんなところは、さらに学んでみたいと思います」などという対応ができる人は少ないでしょう。大半の人は、反対意見を読むときに、それが正しいか間違っているかという観点に立ちません。最初から間違っていると決めつけているか、違った意見を読むという自虐的行為をすることで、自分の意見をさらに煽り立てるための燃料にしたりします。
この問題に対する最良の解決策は、持論の表明を控え、反対意見に耳を傾けることです。そして、反応することも、ケチをつけることも控えます。読んだり見たりするときは自由ですが、人と会話しているときは、黙って聞いたほうが、本当は相手の主張をよく理解することができるのです。そして自分の意見で反論する前に、その新しい発想を、じっくり寝かせましょう。
オープンマインドで政治的な会話に臨むのは、非常に難しいのが事実です。単純な次元で難しいのです。私はかなり以前から、スーパーヒーローものの映画はもう散々だという意見を形成し、皆がどんなに絶賛しようと、自分が『デッドプール』を楽しむことはあり得ないと決めつけています。たしかに愚かでナンセンスです。しかし、こうした低い次元で自分のクローズマインドについて考えてみると、少なくとも、自分の偏りをマクロレベルで認識することができるのです。この程度の努力で十分だと願うばかりです。
Thorin Klosowski (原文/訳:和田美樹)