はじめに
近年の情報通信技術・物流網の著しい発展は我々の生活に大きな影響をもたらしている。世界中どこにいても誰とでも瞬時に交流できる。インターネットショッピングも急速に普及し、注文すれば翌日には商品を届けてくれる物流網も整備されてきている。このような事例を見聞きすると我々の経済活動から「空間」は消えつつあるように思える。しかし、実際には、我々の経済活動において「空間」が依然として重要な意味を持っていることが学術研究において明らかにされつつある。このような背景を踏まえ、本連載では空間経済に関する話題について、できる限り平易な言葉を用いて近年の学術的知見や政策的含意を紹介していく予定である。第1回目では、空間経済を分析する上で重要なキーワードとして"3D"を紹介する。
空間経済を"3D"で観察する
ここまで読まれた方の中には、そもそも「空間」とは何を意味するのだろうかと感じた方もいるかもしれない。通常、空間経済で考えている「空間」とは、「地理空間」を意味する(注1)。それでは、「地理空間」はどのように分析されているのだろうか。そこで登場するのが、"3D"という視点である。この「3つのD」はそれぞれ、密度 (Density)、距離 (Distance)、境界 (Division)を表している。世界銀行による2009年世界開発報告 (World Bank, 2009)において、この"3D"が経済活動の地理的な変遷を説明する上で重要なキーワードとされている。実際に、空間経済に関する学術研究はこの「3つのD」と密接に関連している。
図1を用いて、もう少し"3D"の詳細に踏み込んでみよう。各地域経済内において、「密度」は都市化や地代と大きく関係している(都市経済)。また、各地域経済間の交易では、「距離」が重要な要因となる(地域経済)。さらに、各国経済間での貿易においては、「距離」だけでなく国や経済連携協定・自由貿易協定といった「境界」が大きな影響力を持っている(国際貿易)。このように"3D"が我々の経済活動に影響を与える重要な要因となるが、それぞれが独立に作用をしているわけではない。空間経済学では、「人口移動」が地域経済間における様々な空間的差異をもたらすことが分かっている。人口移動が重要な役割を果たす背景には、我々は「消費者」であり、かつ「労働者」でもあるという2面性に起因する。つまり、消費における需要と生産における労働投入の移動が同時に起こっていることを意味する。例えば、距離の影響が強い場合は各地域への財の輸送が容易にはできない。人が集まることで域内での需要が増え、かつ規模の経済を利用して生産することで、分散して生産するよりも高い賃金を得られる可能性がある。しかし、同時に密度の上昇が起こり、地代の上昇を通じてより安く居住できる地域への分散力も働く。Fujita et al. (1999)で述べられているように、最終的には、人を引き寄せる「求心力」と人を分散させる「遠心力」とのバランスによって、経済活動の空間的分布が決まっている。
空間経済学は、まさに"3D"の相互作用を考慮に入れながら経済活動の空間的差異を説明することを目指したものであり、その副題が示す通り"Cities, Regions, and International Trade"に対する新しい統一的な理論的枠組みを提供しているのである(注2)。
経済活動の集積は自然条件だけでは説明できない
図2は日本における人口密度の地理的分布を示したものである。明らかに、東京圏、大阪圏という限られた地域に多くの人口が密集していることがわかる。では、なぜ経済活動はこれほど一部の地域に集中しているのだろうか。空間経済学はこの問いに対し重要な視点を提供している。そのためにはまず2つの側面を整理する必要がある。1つは"First Nature"、もう1つは"Second Nature"と呼ばれる概念である (Cronon, 1991)。
都市が拡大する条件として、自然条件は大きく寄与する。たとえば、広大な平野があること、交易に便利な土地であること、居住に適した環境であること、資源が豊富にあることなど、さまざまな自然条件の優位性が考えられる。このような外生的な要因がFirst Natureに当たる。一方で、現実の都市規模を見ると、実はFirst Natureだけでは説明しきれないほど集積を示している。そこで、Second Natureという概念が登場する。Marshall (1890)が指摘したように、経済活動の集積の背後には財・人・知識のより活発な交流が影響している。このような都市の魅力を高める内生的な要因がSecond Natureと呼ばれる。つまり、人が集まることで都市の優位性が増し、その結果、更なる人を引き寄せるという循環的因果律によって、一部の都市はその規模を徐々に拡大しているのである。
空間経済学は、このSecond Natureを理論的に説明することに成功した学術分野であり、クルーグマン教授の1991年の論文 (Krugman, 1991b)によって空間経済学、新しい経済地理学という新しい分野が始まったとされている。そして、クルーグマン教授は、その一連の功績を称えられ、2008年にノーベル経済学賞を受賞している(注3)。
グローバル化とローカル化が併存する経済
経済のグローバル化が進む一方で、経済のローカル化も同時に進んでいることが指摘されている (藤田, 2011; Moretti, 2012)。貿易可能な工業財の生産ネットワークは国境を越えて拡大しどこでも消費可能になる一方で、貿易できないサービス財の生産・消費は局所化する傾向がある。情報通信技術や物流網の発達によって、どこにいても遠い国・地域との交流・交易ができるようになったのは確かである。しかしながら、集積が我々の経済活動に大きな影響を与えていることも明らかになっている。これは依然として近接性からの便益が存在していることを示唆している。人的資本の形成、イノベーション促進、生産性向上等に関して、密に集まっていることが重要な役割を果たしていると考えられる(注4)。
森川 (2014)が示すように、先進国における国内総生産の大部分を占めるサービス産業は「生産と消費の同時性」という特徴を持っており、集積の経済が生産性をより高めるという実証結果を得ている。したがって、サービス産業では、"3D"のうち密度が非常に大きな役割を果たしていると考えられる。また大都市でしか消費できない多種多様なサービス財の存在は都市のローカル化をさらに進め、それがより多くの消費者を引き寄せ、その結果、さらに生産性も高まるという循環も考えられる。このように財の特性も考慮しながら"3D"の視点を持つことは、空間経済に対する鋭い洞察力を我々に与えてくれる。
まとめ
連載の第1回目では、空間経済を分析する際の重要な視点"3D"を紹介した。今後の連載においても、この「3つのD」を意識しながら、詳細について議論していく予定である。次回は、空間経済の視点から「なぜ大都市ほど賃金が高いのか」について学術研究を紹介する予定である。