松前半島の寺・神社・教会 ランキング
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- 3.07
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- 3.47
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- 3.00
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- 3.07
正面のお社は松前藩の先祖に当る武田信広公をお祀りしています。明治14年に造られ、現在の神明造りの社殿は大正12年総ヒノキ造りで再建されたものです。 信広公が約540年前コシャマインの蜂起を平定したとき、蠣崎季繁からおくられた名剣、来国俊など十余年振りの刀剣の外、豊臣秀吉から拝領したといわれる桐の彫刻、安政年間の松前市街図があります。
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- 松城バス停 徒歩 10分
- アクセス
- 2.92
- 人混みの少なさ
- 3.17
- バリアフリー
- 2.86
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- 4.17
- 桜の時期は素晴らしい! by しそまきりんごさん
大館にあって高徳山と号した。 光善寺(浄土宗) 天正三(1575)年建立され、高山寺と称したが、慶長七年光善寺と改称した京都百万遍忍教寺の末寺である。 後水尾天皇から山号と法衣を賜ったと言われています。 19世紀中ごろに作られた美しい庭園があり、境内には桜の名木、樹齢300年の血脈桜があります。 寺には松前藩10世藩主の子供・11世の主奥方等がお祀りされております。
- アクセス
- 松城バス停 徒歩 10分
- アクセス
- 2.79
- 人混みの少なさ
- 3.38
- バリアフリー
- 2.83
- 見ごたえ
- 3.79
- 蝦夷霞桜が咲けば最高。 by しそまきりんごさん
1625(寛永2)年に開かれた寺院で、戊辰(ぼしん)戦争の戦火をまぬがれ、江戸時代のままの伽藍(がらん)を残す貴重な建物です。 本堂・庫裏(くり)・惣門(そうもん)・鐘楼(しょうろう)・土蔵などからなり、本堂・庫裏は1842年(天保13)の建築で、平成4年、国の重要文化財に指定されました。
- アクセス
- 松城バス停 徒歩 10分
ピックアップ特集
- アクセス
- 3.00
- 人混みの少なさ
- 3.75
- バリアフリー
- 2.75
- 見ごたえ
- 3.50
- 仁王門と仁王像は見応えあります by きままな旅人さん
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- JR木古内駅から車で約7分
- アクセス
- 1.75
- 地元民じゃない限り気軽に行けるところではありません。函館から車で1時間以上かかりますよ! by 西の狸さん
- 人混みの少なさ
- 5.00
- 自分たち以外誰もいませんでした。 by 西の狸さん
- バリアフリー
- 2.75
- 見ごたえ
- 3.67
- 静かな雰囲気が好きであれば。 by 西の狸さん
雷公神社に伝わる知内町最古の古文書「大野土佐日記」によれば、元久2年(1205)、砂金を求めて甲斐の国(山梨県)からこの地に来た荒木大学が天下泰平と当所の安全を祈願し、賀茂の上社と下社の二社を創建した時に始まると伝えられる北海道でもっとも古い神社です。古来より、恋の成就を願う人がここでお参りすると、相手に心が通じると言い伝えられている神社でもあります。
- アクセス
- JR木古内駅 バス 15分 函館バス松前線
元町 徒歩 5分
- アクセス
- 3.10
- 人混みの少なさ
- 3.80
- バリアフリー
- 2.90
- 見ごたえ
- 3.20
文明元(1469)年夏、若狭の僧随芳なるものが、奥尻島に草庵を結んだが延徳二(1490)年に大館に移り松前山法源寺と号した。この年、奥尻から上ノ国に移り永正十一年蠣崎光広とともに大館に移ったというものである。福山旧記などに永正十年大館合戦の時、法憧寺、法源寺残るとあるので、当時すでに大館にあり、幸に兵火を免れたものであろう。寺境内には画聖蠣崎波響、史学者松前広長、種痘を我が国に伝えた中川五郎治の両親の墓もある。
- アクセス
- 松城バス停 徒歩 10分
松前半島への旅行情報
- アクセス
- 3.25
- 人混みの少なさ
- 3.75
- バリアフリー
- 2.00
- 見ごたえ
- 3.50
- アクセス
- 函館よりJR海峡線木古内駅下車、函館バス乗継、福島下車徒歩約10分
- アクセス
- 3.00
- 人混みの少なさ
- 3.60
- 火渡り行事 by しそまきりんごさん
- バリアフリー
- 2.88
- 見ごたえ
- 3.00
- 火渡り行事 by しそまきりんごさん
真言密教の奥義…阿吽の呼吸から付された寺名である。 阿吽寺(海渡山真言宗) 嘉吉三(1443)年津軽に居住した蝦夷管領安東盛季が南部氏との戦いに破れた際、寺号を携われ松前に再興、大館下にさらに再興したのは永正10(1513)年といわれる。 松前福山館の鬼門を守るため元和3(1617)年ころ現地に移った。この寺は松前家の祈願所として他の真言寺院を支配していた。 明治元年の御用火事に焼失したが、内陣は土蔵造りであったので免れ宝物も多い。 本尊不動明王は松前町指定有形文化財となっているが軀高ほ1.2m桧木一本一部寄木造りで二世期当初頃の地方作(北陸)で躰体に見られる切金細工は見事である。 また、この寺には慈眼寺本尊の弥勒菩薩がありヽいわゆる推古仏といわれ重要な仏像であったが昭和29年9月17日盗難に遭い今は木彫のものを置いている。 このほか寺宝として五世慶廣木彫像、将軍地蔵尊、弁財天像などがある。
- アクセス
- 松城バス停 徒歩 10分
- アクセス
- 2.83
- 人混みの少なさ
- 3.83
- バリアフリー
- 2.00
- 見ごたえ
- 3.50
法幢寺は松前藩の菩提寺で、庭園は北海道最古のものといえる。上り竜と、下り竜を表現した「双竜の滝」が庭園の中央部を占め、その水は、現在も松前城内に流れている。
- アクセス
- 松城バス停から徒歩で15分
宿公式サイトから予約できる松前半島のホテルスポンサー提供
- アクセス
- 3.33
- 人混みの少なさ
- 4.17
- バリアフリー
- 3.00
- 見ごたえ
- 3.33
約400年前に建てられ、浄土真宗では、北海道最古のお寺です。 松前家の特別な保護を受けて幕末までに北海道内における布施を独占し、「エゾ御坊」といわれたほどの名刹でしたが、明治以後2回の火事にあい、山門や経蔵、納骨堂に昔の面影が残っているだけです。
- アクセス
- 唐津バス停 徒歩 10分
- アクセス
- 2.50
- 人混みの少なさ
- 4.00
- バリアフリー
- 3.00
- 見ごたえ
- 2.25
日蓮六老僧の一人日持上人を崇敬開山とする京都本満寺末の中本山である。 日持開山による上ノ国法華堂、又函館石崎妙応寺を大永年間(1,521-27)松前に移すと二説がある。 奥羽二国の同宗本觸頭として重きをなした。明治五年十月二十五日火災に焼失、同二十年四月二十二日二十八代日軌の代痴藍を吉田三郎右エ門、従二字左エ門の財力によって完成。 明治二十六年九月京都村雲瑞龍寺門跡巡教の際宿寺になった。 本堂、祖師堂、庫裡に分かれ祖師像には骵内銘には日蓮の孫弟子日像の発願によって大覚僧正が元弘元年(1,331)三月二十八日造立之とある。 山門は昭和十八年のキテイ台風(松前城搦手門)で倒壊、現山門は町奉行所表門であった。 境内には檀頭藩用人小林家(旧志苔館主)吉田家、幕府奉行小笠原伊勢守、徳川軍埋葬塚等の墓がある。
- アクセス
- 松城バス停 徒歩 15分
- アクセス
- 2.75
- 人混みの少なさ
- 4.25
- バリアフリー
- 2.75
- 見ごたえ
- 3.25
創立年代不詳であるが、往古秋田・津軽の漁民が年々春夏の季節に当地に渡海して漁業を営み、秋季に帰国したが、漁民等はアイヌによる危難を免れようと伊勢神宮に参詣して大麻を拝受し小社に奉斎して伊勢堂と称して崇敬した。天正10年松前家4世領主季広が社地を蔵町(現字福山)に賜り遷座して神明社と称し尊信した。承応元年松前家9世領主高広が現在地に新殿を造営し伊勢の内宮・外宮より神璽を奉請して遷座した。明治4年11月村社に列せられ、同8年12月徳山大神宮と改称した。同9年10月郷社に列せられた。大正4年2月神饌幣帛料供進神社に指定せられた。昭和46年3月5日、本殿は北海道有形文化財に指定せられ同52年公費を以て修理せられた。これに伴い拝殿は神明造りに改築同53年竣成した。
- アクセス
- 松城バス停 徒歩 20分
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