2023/05/21 - 2023/05/23
228位(同エリア231件中)
ちゃおさん
中門を入ると、そこはかなり広い境内になっていて、正面に大きな石垣とその上に鎮座する本堂の大屋根が見える。門を入った直ぐの左側に若山牧水の歌碑があったが、それは写真を撮るだけにして、先に本堂に向かう。目的は観光ではなく巡礼だ。本尊にお参りし、御朱印を頂くことにある。
本堂の前の石段もかなり長い。が、幸いにここでも手摺があって助かる。手摺を頼りに石段を上る。本堂の前の石垣はこの高度差を利用して石を組んでいて、豪壮だ。良くお寺の裏庭が斜面になっていて、その斜面を利用して枯山水の庭園を造築する例は幾つか見てきて、四国の霊場でも何ケ寺か見て来たが、この寺のように本堂の前にこの様な大きな石組を見るのは初めてだ。
漸く石段を登って本堂に上がり、お札を納め、賽銭を入れお経をあげる。この寺のご本尊は「千手千眼観世音菩薩」で、絶対の秘仏となっている。本堂地下の容器に収められていて、公開されたことはない。元々は天台宗の寺だったが戦後独立し、ここを総本山とする粉川観音宗を打ち立てた。
本堂の右横にある納経所で御朱印を頂き、石段を下りると、直ぐ左に今度は芭蕉の句碑が立っている。「ひとつぬきて うしろにおいぬ ころもかえ」(一つ脱ぎて 後ろに負ひぬ 衣替え)。
芭蕉がいつの季節にやって来たのかは知らないが、多分初夏の暑い頃だったに違いない。上着を脱いで、背中に負って歩いたのだろう。後で調べてみると、この句は「笈の小文」の中の句で44歳の時のもの。郷里伊賀上野から吉野を回り、高野山から和歌の浦に出て、紀ノ川を上って奈良に行く途中に立ち寄った時のものだ。
この寺の直ぐ近くで江戸末期の医師、華岡青洲が生まれているが、それは芭蕉がこの寺にやってきたほぼ100年も後のことだった。
- 旅行の満足度
- 5.0
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