
2024/11/30 - 2024/11/30
241位(同エリア247件中)
ムラゴンさん
二つある日本酒発祥の地 その一 に続き もう一つの発祥の地 鴻池郷と伊丹の地を散策しました。
伊丹は、「伊丹酒・・・丹醸酒」の下り酒が生んだ銘醸地で、伊丹と灘の酒が、令和二年度の日本遺産『「伊丹諸白」と「灘の生一本」』として認定されました。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 3.0
- グルメ
- 3.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- JRローカル 私鉄
-
兵庫県伊丹市鴻池にある清酒発祥の地の碑です。
鴻池は摂津国の猪名川の上流にあった郷村で池田・伊丹、武庫川の上流にあった小浜(こはま)・大鹿などの郷とともに室町時代から他所酒(よそざけ)として生産を始めていた。他所酒とは、室町時代から江戸時代にかけて、京都以外の土地から京都に入った酒。
濁り酒から清酒へ
一説に慶長5年(1600年)頃、酒造家の鴻池家で金を使い込んだ使用人が辞されその腹いせに作っていた酒に灰を入れて逃げた。その酒を当主の鴻池新六が確認すると酒は澄んで、味がきれいでまろやかになっていたことから、酒蔵酒に灰を入れると酒がよくなると知り研究を重ねました。これが鴻池の清酒の始まりとのこと。 -
鴻池にあるの児童公園が江戸時代の豪商と名高い鴻池家の発祥地とされている。
鴻池家の由来は地名から この稲荷神社は、鴻池家の中にあった神社か?。
鴻池家は戦国時代の武将、山中幸盛の孫(一説には長男)幸元(新六)を始祖とされている。 新六は尼子氏の家臣である山中鹿介の子とも言われている。
慶長5年(1600年)鴻池善右衛門が、室町時代からあった段仕込みを改良し、麹米・蒸米・水を3回に分ける三段仕込みとして効率的に清酒を大量生産する製法を開発した。鴻池郷の酒造りは次第に衰退し消滅していったが、すでに財を成した鴻池家は大坂へ進出。 酒造業が衰滅したあとも豪商(両替商・海運業など)としてして諸方面に活躍し、やがて明治時代以降は財閥となり、綿々と商脈は続いていくことになる。 -
鴻池の児童公園に石碑「鴻池稲荷祠碑」(こうのいけいなりしひ)が残っている。
江戸時代後期の儒者、中井履軒が寛政12年(1800年)ごろ、鴻池家に依頼された書いた文が刻まれており、それまでの濁り酒から清酒を作ることに成功した旨が記されている。 -
伊丹の商工会議所のビルに白雪と老松の菰樽が置いてあります。
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旧酒蔵の岡田家の建物跡です。
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伊丹酒の菰樽が展示してある。
戦国時代に武士が寺院を焼き討ちするなどして僧坊酒が衰退すると、摂津国の猪名川上流に鴻池・伊丹・池田・伊丹、さらに武庫川上流のこれらの小浜(こはま)・大鹿などの郷とともに酒郷は奈良流の製法を吸収し、日本酒市場で一挙に台頭してきた。また江戸時代中期に鴻池が衰滅すると、鴻池流の製法を吸収・改良し、杜氏集団の分業化と酒造工程の連続的運用という量産方式を採用したことで伊丹酒(丹醸)を大量消費地である江戸市場に運んだ。江戸時代の名所案内記『摂津名所図会』には「伊丹には造り酒屋が60 軒余り有る。」とある。 -
旧岡田家の内部の様子。
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岡田家の酒蔵の釜跡です。
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酒を清酒として絞る装置です。このようにして清酒を作ったのか?。
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旧石橋家です。古風な町家の表構えの雑貨商の老舗でした。
旧岡田家住宅の東隣に移築して公開されています。
今は工芸品等を展示・販売する「伊丹郷町クラフトショップ」、座敷・茶室は句会・茶会など文化活動の場として活用されている。 -
伊丹酒の唯一の酒蔵(風景)(今は長寿蔵の名でのレストランになっている)。
小西酒造の各銘柄の日本酒。地ビールも販売されている。 もちろん奈良漬も。 -
ここは、伊丹老松酒造です。 ここでは老松銘柄の日本酒が販売されています。
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今も老松の酒の醸造に使用した水(老松丹水)を持ち帰ることができます。
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この中の相撲の番付表(江戸積銘酒**)に東大関は剣菱(伊丹)・西大関は老松(伊丹)・東関脇は男山(伊丹)西関脇は*菊(西宮)・東小結は満願寺(池田)・西小結はイラストで名前は不明。 『* は判読不明』 今の灘五郷(今津・西宮を除く)を除けば灘酒が出るのは前頭15枚目からです。(それからの下位は殆どが灘酒です) ただ、男山は今は北海道・剣菱は今津で伊丹にある酒造メーカーは小西酒造(白雪・伊丹諸白)、伊丹老松酒造(老松)だけです。
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伊丹酒は慶長5年(1600年)頃には江戸まで陸路を馬で酒を運んだと伝えられている。馬一頭の背に振り分けた樽2樽セットのことを『一駄(いちだ)』といった。
六駄で酒樽二個で一駄なので酒樽十二個を積んだ船が行きかった川。 -
この川が駄六川。JR伊丹駅とイオン伊丹を結ぶ陸橋の下を流れている全長1kmにも満たない川です。川の終わりは猪名川との合流地点。
海に面していない伊丹は、①伊丹から神崎(現尼崎市)へ馬で運び(駄送り)、②神崎から天道船に積み替えて伝法(現大阪市)へ、③伝法から沖に停泊する樽廻船に積み替え、江戸まで輸送する必要がありました。
しかし天保四年まで伊丹から神崎まで猪名川を使った河川輸送は馬借(馬で荷物を運搬する輸送業者)の反対によって長い期間実現されませんでした。
やっと馬借との話がつき、河川輸送でよりも数多くの荷物を安価に運ぶことができた。合流地点付近に津と付く地名が多い(桑津、天津、神津)。
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