スティーブ・ジョブズが日本文化に興味を持ったきっかけは!?
スティーブ・ジョブズは日本贔屓だったといわれている。蕎麦や寿司が好きだった、あるいは日本の版画家である川瀬巴水や橋口五葉の作品を好み、京都にも度々足を運んだという。また若い時には永平寺を訪れて禅僧になろうかと思った時期があったほどのジョブズだったが、彼が禅とか日本文化を好んだのはそのミニマリズムにあったと思われる。それらから後年彼の口癖となった感がある「クール」とか「シンプル」という意識に通じる閃きを感じたに違いない。
スティーブ・ジョブズは大学をドロップアウトした後も宗教寺院を訪ねたり禅を実践したり、結局インドにまで旅をすることになる...。
とはいえ彼が日本文化そのものや禅の奥義を知り尽くし極めたというはずもなく、若い時には自分の未来に光明を照らす何かを求めた過程の行為だったと考えるのが妥当だろう。
ではそもそもスティーブ・ジョブズが日本文化とそのミニマリズムの魅力を知り興味を持った "きっかけ" はどのようなことだったのだろうか…。そうしたことを長い間漠然と考えてきたが幾多のジョブズに関する書籍やらにも「これだ!」と納得するようなエビソードには巡り会えなかった。無論私が読んだり見聞きした限られた情報の中ではあるが...。
さて、ジョブズは大学をドロップアウト後、ヒッピー同然の怠惰な生活の中で自分の進むべき道を考えていたに違いないが、ヒッピー文化との接点から禅に出会ったのではないか...というのがこれまで漠然と考えていたことだがどうにもはっきりしなかった。それが過日(昨年12月)Gigazineやmaclalala2 で紹介されたビル・フェルナンデスの話題の中で一気に納得させられたのである。
※PDF版「Apple's first employee: The remarkable odyssey of Bill Fernandez」の表紙。札幌のアパートメントで電卓をリペアしているビル・フェルナンデス(1979年)
元記事はZDNetおよびTechRepublicの編集者であるジェイソン・ハインナーが書いた「Apple's first employee: The remarkable odyssey of Bill Fernandez」という記事である。
なお同サイトではビル・フェルナンデスを取材したより詳しいPDF版を登録ユーザーに無償配布している。そこにはより詳細なビル・フェルナンデスとAppleおよびスティーブ・ジョブズ、スティーブ・ウォズニアックらとの交流と自身のこれまでが描かれている。
要約したGigazineの紹介記事によれば「ジョブズとウォズニアックを引き合わせAppleの最初の従業員として雇われたビル・フェルナンデスの存在はあまり多くの人に知られていません。」とあるが、Appleフリークなら知っていなければならない人物である。
ただし今回の記事の中で一番目を引いたことは量産のためにApple IIの配線図を書いたのがフェルナンデスだった、フェルナンデスがApple II 誕生にいかに重要人物だった…といったことではない。ジョブズが少年時代、すなわちジョブズとフェルナンデスが友達だったころのエピソードに私は眼が点となったのである...。
それはスティーブ・ジョブズが日本やその文化を知り、興味をもった最初のきっかけはビル・フェルナンデスの母親にあったのではないか...という示唆を目にしたからだ。
ジェイソン・ハインナーの記事によれば、フェルナンデスが5歳の時に一家はサニーベールに引っ越した。そこでフェルナンデスの母親はスタンフォード大学で極東文化を専攻していたという。その影響で母が手がけた日本スタイルの家でフェルナンデスは幼少期を過ごした。
フェルナンデスは母親の影響もあったのだろうか、合気道の段位をもっていたし自身日本に興味を持ち、後年札幌に2年間住んでいた時期があったという。そして一時期バハーイ教(19世紀半ばにイランでバハーウッラーが創始した一神教)の信者だったりもした。
前記したPDF版「Apple's first employee: The remarkable odyssey of Bill Fernandez」の表紙にはフェルナンデスが札幌に住んだアパートメントで電卓をリペアしている姿が使われている(1979年)。特に注目すべきはクパチーノにあったフェルナンデスの自宅の一郭が載っていることだ。それは彼の母親による日本風のデコレーションの写真であり、生花が飾られ壁には2匹の鯉を描いた日本画と思われる絵が額装され飾られている。花瓶の右にあるのは香炉の一種なのだろうか?
※フェルナンデス家の日本風デコレーション例。PDF版「Apple's first employee: The remarkable odyssey of Bill Fernandez」より転載(写真提供:ビル・フェルナンデス)
日本画を拡大し作者を特定しようと思ったが、サイン部位が不鮮明だしもともと日本画に疎いこともあっていまのところ特定できていない。どなたかお詳しい方がおられれば是非ご教授いただきたい。
ともあれ想像をたくましくして当時を振り返ってみよう…。フェルナンデス家を訪れこの絵を少年スティーブ・ジョブズが見たとすれば、フェルナンデスの母親に「これはなに?」と聞いたかも知れない。ちなみに “日本画” は日本美術に強い関心を示したあのフェノロサが西洋から渡来した油絵に対して “Japanese painting” と称した和訳だというが、フェルナンデスの母親ならフェノロサの名も承知していたかも知れないし日本画の特長のひとつである「簡素な表現」や独特な空間処理のあり方などについてジョブズに説明しただろう。
こうした体験が後年川瀬巴水や橋口五葉の作品を好むようになる原点であったような気がするのだが…。
こうした点は私の想像だけではない。中学時代からフェルナンデスと友達だったジョブズはハイスクール時代に至るまでしばしばフェルナンデスの自宅を訪れていた。そこでスティーブ・ジョブズはフェルナンデスの母親が好んだ日本スタイルにデザインのミニマリズムを見、好むようになったのではないかとフェルナンデス自身がいっている…。
フェルナンデスの母親はジョブズをもう1人の息子と思うほどに可愛がり、ジョブズも慕っていたという。
フェルナンデスやジョブズのこの少年期は何にでも感化されやすい年代でもある。マイケル・モーリッツは著書「スティーブ・ジョブズの王国」の中で書いている…。ジョブズは好奇心が強く冒険好きで、感動と興奮を常に求め、文学と芸術映画に惹かれ、シェイクスピアを読みかじったり、英文学の教師に心酔したり、フランス映画「赤い風船」に夢中になったりしていた。そしてバッハを好みしばらくの間、学校のバンドでトランペットを吹いたりもしていた…。ただし常に一匹狼でスティーブ・ウォズニアックの弟のマークをはじめ、ハイスクール時代の同級生たちはジョブズのことを「本当に変わり者だ」と思っていたという。
※マイケル・モーリッツは著書「スティーブ・ジョブズの王国」プレジデント社刊
そんな感受性豊かなジョブズがフェルナンデスとその母親に感化され、フェルナンデス家の日本家屋および日本式の調度が象徴する日本的デザインの簡素で神秘的な造詣に惹かれ、初めて日本的文化の片鱗を心に刻んだとしても不思議ではない。
さらに友人のフェルナンデス自身、前記したように合気道を習い、イランが発祥の地の宗教にまで興味を持っていたわけであり、長い間一緒にいたジョブズは意識するしないに関わらずフェルナンデス家の家風から得るものが多かったのだろう。そして後年、ジョブズの散策...散歩好きは知られることになったが当時からフェルナンデスと一緒に散策を好んで続けたという。
この中学と高校時代の強い影響は、ジョブズをして東洋の禅や仏教に目を開かせ「シンプル イズ ビューティフル」「シンプル イズ ベスト」といった意識を不動のものとしたのではないだろうか。勿論ジョブズのいうシンプルは単に簡素ということだけではないが、何事にも最初の受け止め方が大切だ。スティーブ・ジョブズはフェルナンデスの母親から可愛がられたことと合わせ、彼女から発せられるミニマリズムの文化に心地よさを感じたのかも知れない。
【主な参考資料】
・PDF版「Apple's first employee: The remarkable odyssey of Bill Fernandez」
・マイケル・モーリッツ著「スティーブ・ジョブズの王国」プレジデント社刊
スティーブ・ジョブズは大学をドロップアウトした後も宗教寺院を訪ねたり禅を実践したり、結局インドにまで旅をすることになる...。
とはいえ彼が日本文化そのものや禅の奥義を知り尽くし極めたというはずもなく、若い時には自分の未来に光明を照らす何かを求めた過程の行為だったと考えるのが妥当だろう。
ではそもそもスティーブ・ジョブズが日本文化とそのミニマリズムの魅力を知り興味を持った "きっかけ" はどのようなことだったのだろうか…。そうしたことを長い間漠然と考えてきたが幾多のジョブズに関する書籍やらにも「これだ!」と納得するようなエビソードには巡り会えなかった。無論私が読んだり見聞きした限られた情報の中ではあるが...。
さて、ジョブズは大学をドロップアウト後、ヒッピー同然の怠惰な生活の中で自分の進むべき道を考えていたに違いないが、ヒッピー文化との接点から禅に出会ったのではないか...というのがこれまで漠然と考えていたことだがどうにもはっきりしなかった。それが過日(昨年12月)Gigazineやmaclalala2 で紹介されたビル・フェルナンデスの話題の中で一気に納得させられたのである。
※PDF版「Apple's first employee: The remarkable odyssey of Bill Fernandez」の表紙。札幌のアパートメントで電卓をリペアしているビル・フェルナンデス(1979年)
元記事はZDNetおよびTechRepublicの編集者であるジェイソン・ハインナーが書いた「Apple's first employee: The remarkable odyssey of Bill Fernandez」という記事である。
なお同サイトではビル・フェルナンデスを取材したより詳しいPDF版を登録ユーザーに無償配布している。そこにはより詳細なビル・フェルナンデスとAppleおよびスティーブ・ジョブズ、スティーブ・ウォズニアックらとの交流と自身のこれまでが描かれている。
要約したGigazineの紹介記事によれば「ジョブズとウォズニアックを引き合わせAppleの最初の従業員として雇われたビル・フェルナンデスの存在はあまり多くの人に知られていません。」とあるが、Appleフリークなら知っていなければならない人物である。
ただし今回の記事の中で一番目を引いたことは量産のためにApple IIの配線図を書いたのがフェルナンデスだった、フェルナンデスがApple II 誕生にいかに重要人物だった…といったことではない。ジョブズが少年時代、すなわちジョブズとフェルナンデスが友達だったころのエピソードに私は眼が点となったのである...。
それはスティーブ・ジョブズが日本やその文化を知り、興味をもった最初のきっかけはビル・フェルナンデスの母親にあったのではないか...という示唆を目にしたからだ。
ジェイソン・ハインナーの記事によれば、フェルナンデスが5歳の時に一家はサニーベールに引っ越した。そこでフェルナンデスの母親はスタンフォード大学で極東文化を専攻していたという。その影響で母が手がけた日本スタイルの家でフェルナンデスは幼少期を過ごした。
フェルナンデスは母親の影響もあったのだろうか、合気道の段位をもっていたし自身日本に興味を持ち、後年札幌に2年間住んでいた時期があったという。そして一時期バハーイ教(19世紀半ばにイランでバハーウッラーが創始した一神教)の信者だったりもした。
前記したPDF版「Apple's first employee: The remarkable odyssey of Bill Fernandez」の表紙にはフェルナンデスが札幌に住んだアパートメントで電卓をリペアしている姿が使われている(1979年)。特に注目すべきはクパチーノにあったフェルナンデスの自宅の一郭が載っていることだ。それは彼の母親による日本風のデコレーションの写真であり、生花が飾られ壁には2匹の鯉を描いた日本画と思われる絵が額装され飾られている。花瓶の右にあるのは香炉の一種なのだろうか?
※フェルナンデス家の日本風デコレーション例。PDF版「Apple's first employee: The remarkable odyssey of Bill Fernandez」より転載(写真提供:ビル・フェルナンデス)
日本画を拡大し作者を特定しようと思ったが、サイン部位が不鮮明だしもともと日本画に疎いこともあっていまのところ特定できていない。どなたかお詳しい方がおられれば是非ご教授いただきたい。
ともあれ想像をたくましくして当時を振り返ってみよう…。フェルナンデス家を訪れこの絵を少年スティーブ・ジョブズが見たとすれば、フェルナンデスの母親に「これはなに?」と聞いたかも知れない。ちなみに “日本画” は日本美術に強い関心を示したあのフェノロサが西洋から渡来した油絵に対して “Japanese painting” と称した和訳だというが、フェルナンデスの母親ならフェノロサの名も承知していたかも知れないし日本画の特長のひとつである「簡素な表現」や独特な空間処理のあり方などについてジョブズに説明しただろう。
こうした体験が後年川瀬巴水や橋口五葉の作品を好むようになる原点であったような気がするのだが…。
こうした点は私の想像だけではない。中学時代からフェルナンデスと友達だったジョブズはハイスクール時代に至るまでしばしばフェルナンデスの自宅を訪れていた。そこでスティーブ・ジョブズはフェルナンデスの母親が好んだ日本スタイルにデザインのミニマリズムを見、好むようになったのではないかとフェルナンデス自身がいっている…。
フェルナンデスの母親はジョブズをもう1人の息子と思うほどに可愛がり、ジョブズも慕っていたという。
フェルナンデスやジョブズのこの少年期は何にでも感化されやすい年代でもある。マイケル・モーリッツは著書「スティーブ・ジョブズの王国」の中で書いている…。ジョブズは好奇心が強く冒険好きで、感動と興奮を常に求め、文学と芸術映画に惹かれ、シェイクスピアを読みかじったり、英文学の教師に心酔したり、フランス映画「赤い風船」に夢中になったりしていた。そしてバッハを好みしばらくの間、学校のバンドでトランペットを吹いたりもしていた…。ただし常に一匹狼でスティーブ・ウォズニアックの弟のマークをはじめ、ハイスクール時代の同級生たちはジョブズのことを「本当に変わり者だ」と思っていたという。
※マイケル・モーリッツは著書「スティーブ・ジョブズの王国」プレジデント社刊
そんな感受性豊かなジョブズがフェルナンデスとその母親に感化され、フェルナンデス家の日本家屋および日本式の調度が象徴する日本的デザインの簡素で神秘的な造詣に惹かれ、初めて日本的文化の片鱗を心に刻んだとしても不思議ではない。
さらに友人のフェルナンデス自身、前記したように合気道を習い、イランが発祥の地の宗教にまで興味を持っていたわけであり、長い間一緒にいたジョブズは意識するしないに関わらずフェルナンデス家の家風から得るものが多かったのだろう。そして後年、ジョブズの散策...散歩好きは知られることになったが当時からフェルナンデスと一緒に散策を好んで続けたという。
この中学と高校時代の強い影響は、ジョブズをして東洋の禅や仏教に目を開かせ「シンプル イズ ビューティフル」「シンプル イズ ベスト」といった意識を不動のものとしたのではないだろうか。勿論ジョブズのいうシンプルは単に簡素ということだけではないが、何事にも最初の受け止め方が大切だ。スティーブ・ジョブズはフェルナンデスの母親から可愛がられたことと合わせ、彼女から発せられるミニマリズムの文化に心地よさを感じたのかも知れない。
【主な参考資料】
・PDF版「Apple's first employee: The remarkable odyssey of Bill Fernandez」
・マイケル・モーリッツ著「スティーブ・ジョブズの王国」プレジデント社刊
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