首都圏で子供の中学受験を考えた親なら一度は気にかけたことがあるはずの学習塾、SAPIX小学部。開成中学や桜蔭中学に多数の合格者を送り込む理由は、成績に基づくクラス替えという厳しい指導だけではない。講師の広い裁量による活発な教室が子供の才能を引き出す。優秀な子供を引き寄せ続ける仕組みを探った。
「僕はこう考えました」
「その解き方もあるね。ほかにはどんな解法があるかな」
4月中旬、都内にあるSAPIX(サピックス)小学部の教室で、15人ほどの小学5年生が算数の授業を受けていた。有名私立中に向かい、歯を食いしばってドリルに挑むような一般的な学習塾の印象とは異なる。にぎやかな雰囲気で授業が進み、講師は説明したり、生徒に問いかけたりと単調にならないように気を配っている。
「三冠王」が選んだ住み家
「学校と違って、どんなことができるかを一緒に考えるのがすごく楽しい」。話を聞いた生徒の言葉は本心からのものだと感じられた。ワイガヤが苦手な子供には合わないかもしれない。しかし、楽しみながらも上位校入学を果たすという二兎を追う理想が垣間見えた。
SAPIX小学部は株式会社の日本入試センター(東京・渋谷)が運営する中学受験塾。近年の快進撃は目覚ましく、開成中学で今春、合格者の6割を出身生徒が占めた。麻布中学や桜蔭中学など男女御三家と呼ばれる難関6校合計で合格者の5割以上を占める。人気の慶応義塾大学の付属校もSAPIXが首位に立つ。「他の塾から抜け出し、成績上位層の圧倒的なブランドになっている」。中学受験に詳しい森上教育研究所の森上展安代表はこう話す。
群を抜く合格実績に、子供の中学受験を考える親は敏感だ。開成中、筑波大学付属駒場中学と兵庫県の灘中学に今春合格した子供を持つ中野春花さんは「5年生になるときに転勤で東京に来たが、住む場所はSAPIXに通えるかどうかを基準の1つにした」と話す。
SAPIXのルーツは首都圏で1980年代に勢力を広げたTAP進学教室。思考力重視が強まる中学受験の流れに対応し、「初見の教材で授業、家庭で復習」という今につながる手法で生徒を獲得していった。主要教科の講師らが89年に独立して立ち上げたのがSAPIXだ。
有名私立中の「占有率」5割という驚異的な実績は、立ち上げのときから現在に至る段階的な取り組みが奏功したと学習塾業界では受け止められている。70年代から強かった四谷大塚進学教室の生徒を取り込んだ黎明(れいめい)期。有名私立の合格者を多数輩出し、優秀な生徒を獲得し続ける好循環に持ち込んだ2000年代。そして、学習塾の宿命とも言われる分裂を防いで成長を重ねる現在の取り組みだ。
子供に考えさせる側の楽しさ
「チャレンジャーとして必死だった。教育のニーズにどう応えるかを考え尽くし、何でもできることをしてきた」。TAP時代からのメンバーである広野雅明教育情報センター本部長はこう話す。
後発のTAPは全盛期だった四谷大塚の「日曜テスト」に目を付けた。毎週日曜日のテストのために「予習シリーズ」という参考書で自習するのが当時の四谷大塚。TAPは四谷大塚よりも先取りして学習を進めることによって、実際に日曜テストで生徒が上位にランクインしていった。難関中学に入る目安と言われた日曜テストで高い得点を取れる塾という評判が保護者の間で広がり、後発のハンディを跳ね返した。
当時の中学受験では珍しかった「志望校別特訓」も立ち上げた。学校ごとの出題傾向に合わせたきめ細かな対策により、四谷大塚で育った優秀な生徒が受験が近くなるとTAPに移る流れができる。1989年にSAPIXを立ち上げると多教室展開を始め、今では小学部は東京22、神奈川12など首都圏1都3県に44校舎、関西で4校舎を展開する。
この間に独自の指導方法を確立している。所属するクラスは毎月のテストの結果で変動する。6年生は授業のたびにクラスを入れ替え、「緊張感がある」との声が子供からも聞こえる。
同業からは「講師の育て方がうまい」と評される。秘訣は裁量の大きさにあるようだ。冒頭で紹介したような活発な雰囲気の授業を重視し、共通のオリジナル教材を使う以外に講師に縛りを設けていない。
教育に絶対の解はなく、生徒によって指導法が合う合わないが発生するのは避けられないだろう。それでも「入試は初見の問題で行う以上、解答パターンを暗記するのではなく、その場で考える力が大切」(広野氏)という方針が行き渡っている。
生徒は予習をせずに授業に臨み、復習で知識を定着させる。この流れが固まっているから、講師は生徒に考えさせることだけに意識を集中できる。説明をした後に、どのタイミングでどう問いかけたら理解が深まり、より関心を引くかを常に考えるようになる。
裁量が大きいため、講師によって優劣の差は生じるだろう。そのデメリットよりも、講師が自由闊達に授業をするメリットが大きいと考えている。講師として採用しても模擬授業で合格しないと教壇に立たせないという関門を設けることで授業の質を担保している。
広野氏は「教室の意見や感覚を社内の隅々まで持ち込む」と話す。このため講師出身の管理職の多くが教える現場に立ち続ける。広野氏も週1日算数の講師を務める。主力の東京校の責任者である岡本茂雄室長は社会科講師として週3日、フルに授業を担当している。
騒動は繰り返さない
難関校の合格者が多い塾には翌年も優秀な生徒が集まる。2000年代に入ると当たり前のようだが難しい好循環が加速していった。教室での教え方とクラス替えという温かさと厳しさを両立させていることが保護者の心を捉えた。
少子化が今後も進む中、親からの要望もあり力を入れているのが通塾生の低年齢化。小学1〜3年生の入塾希望者が増え、今年4月の1年生のクラスは半分以上の校舎で定員に達して入塾募集を打ち切った。何年生からでも入塾テストのクリアが入る条件で、学年が上がるほどハードルも高い。早い段階でSAPIXの在籍を確保したい保護者の意向と、優秀な生徒を安定して獲得したいSAPIXの意向が一致している。
塾の歴史は分裂の歴史と言える。付加価値が講師に集中しやすく、各地で有力講師が別の塾を立ち上げるケースが繰り返されてきた。SAPIXもTAPの内部対立で主要教科の講師たちが独立した経緯があり、こうしたリスクがあることを現在の経営陣も理解している。
このため現場の運営は室長に任せる一方、講師の配属は本部が決める。室長や講師は定期的に異動し、「自分の城」や「子飼いの部下」をつくらせないことに力を注いでいる。大きな裁量で自由に教室運営ができることは、優秀な人材を集めるだけでなく、分裂を防ぐことにもつながると考えている。
矢野経済研究所の調査によると、学習塾・予備校の市場規模は1兆円弱で推移し、大きく動いていない。子供の数は減るが、1人当たりの教育費は増加傾向で、経営環境は今のところ悪くないという。
むしろ追われる立場であることのほうがSAPIXには厳しい。塾の中には上位層の塾代を無料にする動きがあり、SAPIXの空き時間の教室を掲げるケースも出てきた。かつての自らと重なる挑戦者の姿。講師の裁量といった教育の基本を大切にして成長してきたが、今後は他塾の動向を探りながら必要な手を打たなければならなくなる。
SAPIX小学部は10年、創業メンバーが高齢などを理由に経営を離れるにあたり、代々木ゼミナール系の日本入試センターが株式を取得し、「SAPIX YOZEMI GROUP」の一員になった。
学校法人である代ゼミとそのほかの塾を展開する日本入試センターに資本関係はない。代ゼミの創業ファミリーである高宮家が両者のトップを兼ね、グループとして運営している。
ただ、グループ化して11年が経過するにもかかわらず、シナジーが見えない。浪人生がピークの30万人ほどから大幅に減り、代ゼミは地方の校舎20校を閉鎖する構造改革を14年に打ち出す一方、再生の切り札としてグループ化していたSAPIXに期待していた。
浪人しても頼ってほしい
代ゼミの映像授業のノウハウをコロナ下でSAPIXが生かすといった取り組みはある。しかしSAPIXから難関中に合格した生徒が、大学受験塾のY-SAPIXに通ったり、浪人した際に代ゼミを選んだりする人数は伸び悩んでいる。Y-SAPIXと代ゼミの連携も限定的だ。河合塾の教務本部長などを務めた高等教育総合研究所の亀井信明代表は「基本路線は間違っていないが、各事業がつながっていない。どこかで戦略を調整する必要がある」と指摘する。
学習塾・予備校はこのところ一貫して再編が続いている。駿台予備学校の駿河台学園は関西の進学塾、浜学園と16年に共同で新会社を設立し、首都圏に続き関西でも小中学生向けの塾を展開する。Z会は15年に栄光ゼミナールを買収した。小学生から高校生までを一貫して手掛ける総合型が広がる中で、SAPIX YOZEMIは埋もれかねない。中学受験で固めた絶対的なブランドを生かした次の一手が欠かせなくなっている。
SAPIX YOZEMI GROUP 高宮敏郎共同代表に聞く
講師に気持ちよく授業をしてもらう
SAPIX小学部の合格実績は、生徒一人ひとりに向き合い、いい授業をしよう、いい教材をつくろうという積み重ねの結果だと思います。代々木ゼミナールは講師のために我々が舞台を用意するカルチャー。SAPIXも基本的に同じで、講師ができるだけ気持ちよく授業ができるようにと考えてきました。マネジメントとしては現場に好きに取り組んでもらうことが大切です。
予備校・学習塾はM&A(合併・買収)が時々あり、「今まで通りのやり方でいい」というケースと買った側の論理でいろいろ進めるケースがあり、どちらがいいと言い切れません。私は現場に多くを委ねています。その意味で非常に現場が強い組織です。「こうではないか」と思っても言うことを聞いてくれるわけではありませんが、それでいいと思っています。
私が口を出した数少ないことの1つがSAPIXのキャラクターについてです。キャラクターの付いたシールを授業で正解した時などに配っているのを見て「子供が本当に喜ぶのか。要らないのではないか」と考え、一時的にやめました。しかし、特に低学年の生徒にとって正解するとキャラクターの付いたシールをもらえることがモチベーションになっていると分かり、すぐに元に戻しました。小さなことのように見えるかもしれませんが、それくらい現場のいろいろな取り組みが積み重なって今の形になっています。
難関校専門の塾とみられることがありますが、上位クラスでなくてもそれぞれの志望校に入っています。1学年5000~6000人の生徒がいて、高校受験にまわる生徒は100人未満。講師もこうした生徒を支えようとがんばっています。宿題量が多いと言われることもありますが、通塾の日数などが他塾より少なめで、その分家庭学習に重きを置いているからであり、早い段階で自分をコントロールする習慣が身に付き、大学入試などにも役立つと思います。
講師育成が急務で、低学年の募集を多くの校舎で停止しています。じくじたる思いです。講師不足の解消を優先するため、今は首都圏、関西以外の進出を考えていません。企業の寿命30年説は日経ビジネスが言い始めたそうですが、SAPIXは30年を超えている。「塾屋」として思いや熱量を今の時代に合った形で伝えていくことが、30年説を乗り越えていくことにつながると考えています。(談)
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