とにかく学歴が気になって

 年が明けて、寒さが一段と厳しくなると入試の季節だ。少子化とはいえ、大学のセンター試験はニュースになるし、変わった問題が出ればあれこれと話題になったりもする。
 そんなニュースを見ながら、ついつい自分自身の経験を思い出した人も多いのではないだろうか。

 学校の受験は、まだ人生経験の浅い十代の若者にとっては相当の試練だ。そして、その結果は「学歴」としてついて回る。
 もっとも、就職時に大学名を問わない企業も増えてきてはいる。それに、学歴だけで出世できるほど甘い会社は少ない。
 とはいえ、心の中で学歴にこだわる人はいるようだ。大手の名門企業に勤めるMさんもその一人だろう。

 ただし、その心理は複雑だ。というのも、Mさんの卒業した大学は誰もが認める名門大学なのである。それ自体に、コンプレックスがあるわけではない。もちろん、Mさんも他の卒業生のように強い誇りを持っている。

 ところが、なかなか自分の結果がともなわないのだ。40前に営業本部の課長になったのは、自分にとっても周囲から見ても「順当」な感じだった。しかし、そこから数年経った辺りから停滞してしまった。
 頭の回転は速く、それなりに押しも強い。取引先には官公庁系も多く、それもまたMさんにとってはやりやすかった。同じ大学の出身者が多いからだ。
 ビジネスの競争は激しい。ことに業績が低迷したり、災害のような突発的なことがあると、今までの方法は通用しない。
 そうなると、意外な人が出世したりすることも増えてきた。そんな中で、Mさんにとっては「大事件」があった。
 社長の交代である。

「聞いたこともない大学」出身で社長に

 社長の交代そのものはある意味順当だった。常務からの就任で、年齢がグンと若返ったことが目を惹いたが、「いつかは」と思われていた実力者だったからだ。
 事業再編などにメドをつけた前社長が「攻め」のための布陣を求めた、とメディアでは解説されていた。

 しかし、Mさんにとっての驚きは新社長の出身大学だった。地方の私立大学で、どんな大学なのかもわからない。社内でも出身者は少ないから、Mさんにとっては「聞いたこともない」ような感じだ。
 そして、Mさんの上司にあたる部長や役員の出身校もさまざまになってきた。どうやら、同じ学校の先輩は影が薄くなっているようなのだ。

 社長交替を機にMさんは改めて学歴が気になるようになった。いろいろなニュースを見たり、記事を読んだりしても出身大学をチェックする。すると、思ったよりも自分の同窓が出世しないような感じがしてきたのだ。
 そうやって見ていくと、政治の世界も気になる。内閣が発足すると新大臣が発表されるが、Mさんはまず出身校を見る。
 ちゃんと比較したわけではないけれど、昔に比べて自分と同じ大学の出身者は減っているような気がしてきた。

 別にMさんは、学歴をひけらかすようなタイプではない。ただし、心のうちには強いプライドがある。そうなると、どこか悶々としてしまう。
 無理を言うような性格ではないし、評価も公正なので、部下からの評判が悪いわけではない。ただし、「あまり心を開いてくれない」というイメージは段々強くなっていった。

 ある時、新入社員が入ってきて歓迎会になった。自然と大学時代の話になり、誰かがMさんの出身大学の名前を挙げた。
 すると、その新入社員がこう言った。
 「へえ~そうなんですか」
 Mさんは、この一言にがっくり来た。別に彼の言葉づかいが失礼とかそういうわけではない。以前なら、まず「へえ~すごいですね」と言われたのだ。
 些細なことのようだが、こうやってMさんは「逆学歴コンプレックス」のような状態になっていったのだ。

「できるやつ」はこの会には来ないよ

 やがて50歳を回った頃、MさんはSNSで大学の同期が集まるグループに参加するようになった。
 そこは、なんとなく居心地がよかった。母校近くの飲食店が店じまいするとか、学生スポーツの結果とか、他愛のない話題が中心だ。Mさんはあまり書き込むことはないけれど、眺めることは多かった。

 全学部が対象なので知らない者もいるが、旧友も結構多い。やがて、このグループ参加者を中心にした同期会をおこなうこととなった。
 久々に集まると、話は盛り上がる。誰にとっても、居心地がいいのだろう。酒が進んで話が盛り上がると、段々と「いま」の心情が口に出てくる。
 すると、みんなMさんと同じような立場になっていることがわかってきた。誰もが「いま一歩」のところで悶々としているようなのだ。

 やがて、パーティは終わり親しい者同士で二次会となった。数人でテーブルを囲むと、話も段々と「言いにくかった」ことになる。
 そこには、新聞社に勤めているAさんもいた。事情通の彼は、こんなことを言いだした。
 「まあ、本当に第一線の連中はここには来ないんだよな」
 なんとなく、みんなが薄々と気づいていたことだけれど、改めて口にされると、ちょっと気まずい感じになった。

 同期では役員になる「最後の勝負」を前にして必死になっている者もいる。もちろん既に、取締役になった者だっている。SNSに投稿している場合ではないだろう。
 そういうAさんも、「微妙な立場」と自嘲する。編集委員という肩書だけれど、「次があるわけでもない」と言うのだ。自分の出身地の支局に帰った連中のほうがよっぽど楽しそうだと話すが、Aさんは「あいにく」東京出身だという。
 「まあ、仕事は淡々とこなして、なんか楽しみ見つけないとなあ」
 そういうAさんに、みんなが頷くわけではない。まだ、会社から卒業するには早いと感じているのだろう。

 思わず、Mさんが尋ねた。
 「でも、楽しみってどんなことなんだ?」
 「いや、それがわからなくてさ」
 Aさんは苦笑する。学生時代は海が好きでサーフィンもしていたAさんだが、すっかりご無沙汰らしい。
 「まあ、今度は山でもいいし。なにか習い事でもいいし。ただ、これからはこうやって学生時代の友だちと一緒にいたいな」
 まだ、割り切れない感じはあったが、Mさんは少し気分が晴れた気がした。その理由は後になってわかった。

大学は「今の居場所」にもなる

 その同期会があってから間もなく、Mさんは関連会社に出向する内示を受けた。思ったよりも「早いな」という感じではあったけれど、意外ではない。
 新社長の改革スピードは相当に早く、人事の代謝も早まっていた。ただ、会社の業績は上向きで、社内には活気がある。また、株価は高値を更新していた。

 社員も投資家も、社長の出身大学を気にしているわけではない。当たり前のことだが、Mさんは「社会の掟」を改めて感じだ。
 しかし、以前のように悶々とすることはなかった。会社の業績がよければ、自分の給与も払われるだろうし、年金だってそこそこどうにかなるだろう。
 ちょうど、人生を見つめなおすにはいいタイミングだと思うのだ。

 Mさんの気持ちが変わったのには理由があった。あの同期会の後にAさんから届いたメッセージだ。
 とりあえずAさんは「これからの会」を作るという。つまり、先日言っていた「これからの楽しみ」を探そうというのだ。メンバーは、大学の親しい同期数人で始めるという。
 手始めに第一回は「誰でも登れそうな山」に行くという。「何のアイデアもなくて申し訳ない」と書いてあったが、それで十分だった。
 子会社できちんと勤めを果たしながら、旧友と休日を満喫する。ある意味、これは理想的な「おとなの生活」のように思えてきた。

 やがて、Mさんは大学について大きな勘違いをしてきたことに気づいたという。
 学校を過去のことだと思うから、「学歴」にこだわってしまう。それより、学校は「また帰る場所」だと思えばいい。
 MさんやAさんの仲間はジワジワと増えてきた。集まる時は、みんな楽しそうだ。
 そして、「本当にいい大学を出たんだな」と、Mさんは実感しているという。

■今週の棚卸し
 学歴にこだわる人は、他人の出身校を気にして無用のストレスを貯めているのではないだろうか。一方で母校を大切にして、人とのつながりを充実させれば、新しい出会いも充実していくはずだ。
 大学生活で得られる最大の宝は友人だと言われるが、それを実感するのは人生の後半になってからという人が多い。また、その実感を得られないまま歳を重ねてしまう人もいるようだ。
 会社員生活の「先」が見えてきた時にこそ、旧友が助けてくれるかもしれない。

■ちょっとしたお薦め
 大学を舞台にした小説は多いが、誰もが共感できるものは意外と少ないように感じる。「大学生活」と言っても人それぞれだし、どの街を舞台にするかで印象は大きく変わる。
 それでも多くの人が「学生時代ってこんな感じだよな」という感覚が蘇る小説の1つが、伊坂幸太郎の『砂漠』でないだろうか。
 登場人物の心の揺らぎが感じられて、どんな世代の人でも「若かったあの頃」に連れていかれると思う。ちょっとファンタジーの要素も加わったユニークな傑作だ。

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