バターのような生クリームのような
ウルムの味を表現するのはむずかしい。基本的に乳脂肪分のかたまりなので、これをモンゴルバターと称する人がいる。いやいやこれは生クリームの上位互換だというひともいる。何を言う、これはバターと生クリームのいいとこ取りだという人もいる。とにかく全員が共通して主張しているのは、乳の脂肪分は本気出すとマジでうめえぞ、ということだ。
モンゴル旅行中に泊めてもらった遊牧民の家族は、ウルムを食パンや揚げパンに塗ったくって、砂糖をぱらぱら。朝ごはんやおやつとして毎日のように食べられていたので、おれも一緒になってもりもりいただいた。個人的に、ダントツでモンゴルのベストフードだったし、日本人観光客のあいだでもすこぶる評判がよかった。
遊牧民の食事と聞くと、どうも素朴にして質実とのイメージが先行する。しかしウルムの風味はどことなく、洗練された味わいなのだ。これがいまアジア圏の若者に人気のスイーツです、といわれたら素直に納得してしまいそうな、そういうポップさとオシャレさを漂わせている。
さて。モンゴルが誇る美食、至高の乳製品ともいうべきウルムだけど、実はその製法はこの上なくシンプルだ。搾りたての生乳を加熱しながらよく混ぜる。以上。
あれ、なんかこれならおれにも作れそうじゃないか。ここからはモンゴルの遊牧民のおかあさんがウルムを作っていた様子を思い出しながら、日本の都市民であるおれがウルムづくりに挑戦してみよう。
外に出よう、乳を煮よう
ではまず、材料を調達するところから。モンゴルの遊牧民の朝は乳搾りからはじまる。搾りたての牛の生乳がウルムの主原料だ。
片や日本の都市民は、二日酔いのあたまをようよう叩き起こし、9時半に最寄りのスーパーが開くのを見計らって、陳列されたての牛乳をゲットする。
実はこの材料調達が、最初にして最大の難関。日本のスーパーで売られている牛乳はすべて流通に耐えるために加熱・殺菌などの処理が施されており、搾りたての「生乳」とは性質が異なる。できるだけ現地と同じ条件の原材料を調達したいところだが、それは叶わないので、せめてノンホモジナイズドという表記のある牛乳を選びたい。
次に舞台装置の紹介を。
モンゴルでは、このような美しい草原の広がるオルホン渓谷でウルムをつくっていたわけだけど、
そういう草原は日本にはめったにないので、河原のBBQ場で。
ただの牛乳があんなオシャレなスイーツに変身するのには、何か超常的な力(たとえばモンゴルの草原に漂っている大自然パワーみたいなやつ)が働いていることは間違いなさそうなので、妥協はしつつも「屋外調理」は死守だ。
ここまで準備ができてしまえば、あとは先述のとおり特に難しいことはない。鍋に注いだ牛乳をしずかに火にかけて、表面に脂肪分の膜が張るのを待つ。沸騰さえしないように気をつけておけばいい。
見ての通り、かなりの大鍋でたくさんの生乳を煮るので温まるのにも時間がかかるが、30分もすれば下の写真のように膜が張り始める。
いま見えている膜は恐らくたんぱく質由来のものだが、さらにゆっくり時間をかけて加熱していくことで、脂肪分の膜が形成されていくはず。そしてこの脂肪の膜が厚く成長していったものこそがウルムだ。さあじっくりゆっくり、過保護に育てていくぜと気合を入れたそばから、ちょっと目を離した隙に盛大に吹きこぼした。
ひたすらすくい上げて落とす
「まずはブレーキとアクセルだけ間違えないように」。
かつて運転免許教習所の初日に、この指示の直後に踏み間違えたおれだから。沸騰にだけ気をつければいいのに、即座に吹きこぼす。生来の不器用さをうらみうつ、致命的なミスではないことを祈って次の工程に進もう。弱火をキープでしばらく静置しておいたら、水で溶いた小麦粉を入れる。
さらに30分ほど火にかけたあと、いよいよ見せ場の工程にさしかかる。
この不思議な動作は、要するに脂肪分をかく拌するという意味合いらしい。牧場で牛乳瓶を振りまくるバター作り体験をやったことがある人もいるだろう。たぶんあれと同じ原理。すくっては落とし、すくっては落とし。この工程を1時間ほど繰り返す。
そして泡が弾けたあとに残る、淡い黄色の層がウルム。実際にはここからさらに一晩寝かせて完成らしいが、今日のところはこの状態にもっていければ勝利といっていい。
で、こちらがおれの鍋なのだけど。
ちょっとお手本とは違うかな…色味も薄いし凝固している層の厚みも貧弱で、かなり心許ない。しかも天気も怪しくなってきたので、すくい上げ作業もここまで。この状態で撤退を余儀なくされた。
遊牧民の白いたべもの
冷蔵庫内で奇跡が降臨するのを待つ間に、すこし脱線して、遊牧民の食生活の話をする。そもそも遊牧とは、農耕も狩猟採集も成立しない厳しい環境で生きていくために編み出された生存戦略だ。人間が食べられない短い草を家畜に食べさせ、その家畜の肉・乳・毛皮・動力などを余すことなく使い倒すことで、過酷な環境を乗り切るのだ。
そんな遊牧民にとって乳製品はとても大事な存在で、「白いたべもの」と総称されており、なんと30種類ほどに分類されているのだという。
その一端をご紹介すると以下の通りだ。
ウルムをつくったあとに残った脱脂乳は、ボルンソンスーと呼ばれる。これは加熱や発酵によってタラグやアーロールに加工される。さらにエードスンスーやエーデムを経て、エーズギーやビャスラグとして食べられることも。ウルムのほうもそれ自体が完成した乳製品でありながら、さらに加熱することでチャガントスが得られる。これをグゼーに詰めてエーズギーを混ぜるのもありだ。あるいはツォツギー(またの名をシャルトス)にしてツォブをとりだしてもいい。ちなみに加工前の乳の総称はスー。
ウルムの2歩手前
はたして翌日。遊牧民の乳製品情報を洪水のように浴びせることでお茶を濁してみたが、そろそろ現実に向き合うときだ。
結論からいうと、残念ながら一晩たっても脂肪分が固まることはなかった。
いや、味そのものは超濃厚なミルクという感じでまったく悪くない。というかこれはこれでうまい。ただ、このままでは記事の締まりが非常に悪いので、あと一回だけ挑戦してみる。敗因を分析してみると、以下のように推察される。①原料が違う(やはり生乳でないとダメ)②モンゴルの大地が育んだ大自然パワーが足りなかった③吹きこぼしたのがよくなかった。
①②ついては正直なところ、これ以上改善できる余地がない。③だけに全神経を傾けて、最後の悪あがきに臨む所存である。
ここからは、この記事で何度となく見ていただいた白っぽい画像が続くので、巻きでご紹介です。
前回よりも少ない原料だったにもかかわらず、取り出せた脂肪分の量は多い。固形物の具合もしっかりしている。少なくとも見た目に関してはそこそこ本物に近づけた。一定の成功を収めたといって差し支えないだろう。
味のほうは、本物のウルムまであと2歩というところだろうか。乳脂肪のかたまりに砂糖をかけたパンなので、どうしたって不味いはずはないけど、あのウルムの洗練されたおいしさとはやや距離がある。お母さんに今日のおやつはケーキよって言われて、スイスロールが出てくるくらいの遠さだった。
「蘇」の次は「醍醐」が来い
ところで半年前。インターネットの民がこぞって牛乳を火にかけて長時間しばきあげていた現象を覚えているだろうか。突然の「蘇(そ)」ブームである。
小学校の休校で給食の牛乳がだぶついたことにより、酪農業を救え、牛乳を消費せよというムーブメントが隆興したのだが、今やずいぶん昔のことのように感じる。
実はいにしえの乳製品である蘇には「醍醐(だいご)」という兄弟がいる。そしてなんとウルムこそが、その醍醐にかなり近似した食べ物なのだそうだ。どうですか、蘇ブームの次は醍醐ブーム。そしてうまくいく方法を発見したら、ぜひおれにも教えてほしい。