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GT-R_LM_NISMO

じーてぃーあーるえるえむにすも

日産自動車/NISMOが2015年のル・マン24時間レースに参戦させたプロトタイプスポーツカー
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概要編集

WEC(世界耐久選手権)の一戦であり、世界三大レースの一つにも数えられるル・マン24時間

そこに日産/NISMOは2012年デルタウイング、2014年ZEOD RCと独特の形状のマシンを立て続けに賞典外枠であるガレージ56に投入していたが、2015年大会で遂に同社初となる総合優勝を目指して最高峰のLMP1クラスにエントリーすることを決定する。そこで開発されたのが本車である。


プロジェクトはアメリカの日産/NISMO主体で行われ、拠点はインディアナポリスに置かれた。

開発責任者はデルタウイングとZEOD RCも手掛けたベン・ボウルビー。


2014年5月にLMP1での参戦を発表。この時点では名称に「GT-R」と「NISMO」が使われることだけが公表された。

2015年2月、日産は北米最大のスポーツイベントである『スーパーボウル』の超高額な広告枠を買い取って、前の2台同様奇抜な発想で設計されたマシンの全貌を明らかにした(詳細は後述)。


しかしクラッシュテストに不合格となった影響で、3月時点でWEC開幕戦と第2戦の欠場を決定。大舞台の第3戦ル・マンでようやく3台体制でデビューするも、開発不足から速さも信頼性も無く、完走扱いは0台という惨敗を喫した。


本車のレース参戦はこの一戦限りとなった。ボウルビーを更迭するなど同年末まで開発を匂わせてはいたものの、結局この年限りでプロジェクトは解散。車両もほぼ廃棄されてしまったが、唯一生き残った個体(23号車)がル・マンの博物館で保管されている。


メカニズム編集

コックピットが車両の中心よりも後方に位置するという奇妙な形状は、エンジン駆動においてはフロントエンジン・フロントドライブ(FF)、つまり前輪駆動という点から来ている。

「フロントエンジンのLMPマシン」という前例であれば、パノス・ロードスターS(チーム郷がテレビ朝日とのタイアップで運用し、土屋圭市近藤真彦らがドライブしたマシン)があるが、これはFR、つまり後輪駆動だった。


市販車の前輪駆動なら第二次世界大戦前後に中小フランス車メーカーがル・マンに投入し、そこそこの成績を得ていた記録があるが、プロトタイプスポーツカーの前輪駆動は文字通り前代未聞である。


この奇抜な車体構造は、LMP1のハイブリッド4WD規定を前提に成立している。

モーターで後輪を駆動すれば、前輪駆動の弱点である全開加速時のトラクションの不足を解消できる。またハイブリッドが備える回生ブレーキは効きが強ければ強いほど、前輪駆動のもう一つの弱点であるフロントブレーキへの大きな負荷を軽減することが可能となる。


つまりこのクルマのコンセプトが成立するための鍵はハイブリッドなのだが、最初はエネルギー回生量8MJを目指していたはずが結局2MJとなり、しかも本番ではハイブリッドシステムを作動できずただの前輪駆動になっていた。その結果、予選のラップタイムではポルシェに20秒もの大差をつけられてしまい、LMP2の1台にも後れを取ってしまった。


車両の熟成不足も深刻で、

  • ハイブリッドシステムがダメなら当然回生ブレーキも機能しないため、フロントブレーキにトラブルが頻発した(ル・マンのテストデーでも起きていたため、鋭い有識者たちからは既に「ハイブリッドシステムが作動していないのでは?」と見抜かれていた)
  • サスペンションが強度不足なせいで、縁石に乗ってコーナーを攻めることができなかった。
  • 整備性がたいへん悪く、パーツ交換や修復にかなり時間を要した

など、コンセプト以前の問題が山積みだった。

これではさすがに勝負になるわけが無い。


そもそもなぜフロントにエンジンを搭載したのか?というと、

  • LMP1規定はマシン後方の空力規制は厳しいが、前方は緩いという特徴がある(特に車体下部)
  • 後部に構造物が少ない方が綺麗に空気を後ろに流せて、後方の乱気流が少なくなる
  • 後輪駆動のライバル達と違ってリアに細めのタイヤを履ける(前後重量配分は65:35で後輪の負担が軽いため)ので、タイヤの乱気流を低減しつつディフューザーを大型化できる

などといった考え方から、「空力性能を追求するならコックピットを後方に下げる方が有利」と踏んだためである。

これは日産が独自の調査により「長い直線と高速コーナーの多いル・マンでは空力が最重要」と結論付けたからこそのコンセプトであり、もしきちんと熟成されていればル・マン特化型のマシンとなっていた可能性が高い。


補足編集

  • 前輪駆動といっても、一般的な市販車のようにエンジンを前車軸外側に横置きする「ジアコーサ式」ではなく、フロントミッドシップに縦置きする「FFミッドシップ」である。また前後重量配分が65:35なのは、ダウンフォース量の前後配分やタイヤ幅の前後比(31:20)になるべく近づけるのがセオリーのためである。一見すると市販の前輪駆動車並にフロントヘビーに見えるが、同じ前後重量配分の数字でも重心から遠い場所に重量物が散っているのと、重心近くに重量物が集中してるのとでは意味が全く異なる(本車はもちろん後者である)。したがって、巷の前輪駆動に対するイメージほど回頭性が悪いわけではない。実際に鈴鹿のS字コーナーより急角度のポルシェ・コーナーを全開で走っていた。
  • 8MJ回生の予定を2MJにしたせいで回生ブレーキの効きが弱くなった分、フロントブレーキへの負担が増加。その影響で予定より大型化したフロントブレーキを収めるため、ホイール径を拡大(16→18インチ)せざるを得なかった。
  • フロントタイヤは2〜3スティント、リアタイヤは10スティントも持った。決勝中はリアタイヤよりフロントブレーキのセットを多く消費する有様であった
  • 回生エネルギーの貯蔵用にバッテリーではなくフライホイールを搭載。ボウルビーお気に入りの技術だったが8MJ対応で機械式のフライホイールは前例が無く(アウディR18は4MJで電動式)、これが熟成不足の原因の一つにもなった。またこの機構は運転席を圧迫してドライバーに窮屈な姿勢を強いたため、ブレーキを踏むのも一苦労であったという。幻の2016年型に向けてはバッテリー式に切り替えてテストしていた。
  • 後輪用モーターは重量配分の観点からフロント側に搭載されたが、その分ドライブシャフトを後輪側に伸ばす必要が生じて複雑な設計となってしまった。
  • モーターの駆動は後輪だが、回生は負荷の大きい前輪で行う予定だった。
  • フロントで取り込んだ空気の一部はマシンのサイドで排出するのがセオリーだが、ボウルビーは乱気流化するのを嫌って「スルーダクト」を使い、全ての空気を綺麗にリアに流す設計にした。これは空力上メリットが大きい反面、リアサスペンションの設計が犠牲になり、強度不足に繋がった可能性がある。
  • 排気管はボンネット上にある。
  • カラーリングは2台が現代日産のワークスカラーである赤・白、1台が旧日産のワークスカラーであった水色・白・赤のトリコロール。後者はグループC時代の1990年ル・マンで日本車初のポールポジションを獲得した、日産R90CKのオマージュカラーだと紹介された。

評価編集

一部口さがないレースファンからは未だに「FFのゴミ」などと悪口を言われるが、縁石に乗ることができない前輪駆動でありながら、決勝での自己ベストはMRレイアウトのLMP2全車を凌いでいたことから、実は結構悪くないコンセプトだったのでは?という見方は根強い。


さらに驚異的なのは、ミュルサンヌ・ストレートで最高速336km/hを記録したことである。総合優勝したポルシェ919 HYBRID(エンジン500馬力+モーター600馬力)のそれは337km/hであり、単純に考えてライバルの半分程度の馬力で同等の最高速を叩き出したことになる。

鋭い人は「最高速はモーターよりエンジン。2MJ回生は燃料流量で有利なEoTだから当然」または「LMP2でも年式によってはそのくらい出る(2020年に338km/hが記録されている)」と反論するかもしれないが、本車はトラクションで本来圧倒的不利なはずの前輪駆動(しかもFFミッドシップ)である。しかも上で触れてきた通り、本来はハイブリッド4WD前提の設計の車が前輪駆動として想定外の走り方を強いられている上に、熟成など全くされていない半ば急造車であるにも関わらず、である。これはひとえに高速域での空力性能を追求したコンセプトの面目躍如であり、本車のポテンシャルを示すエピソードといえる。


また前輪駆動の操縦安定性の高さはウェット路面では強力な武器であり、特に結構な頻度で大雨が降るル・マンでは一発逆転の切り札となる可能性を秘めていた(2015年大会は残念ながら、終盤小雨が少し降った程度であった)。


前述の通り車体は幾多ものトラブルに見舞われたが、GT500の技術をベースにコスワースと共同開発した3.0リッターV6ツインターボエンジン「VRX30A」はトラブルを全く出さず、ドライバーからの評判も良く、スペックや熱効率もライバルに見劣りするところが無かったため、本車の稀少な美点の一つとなっている。


うっかり口に出すと周囲からのネガティブな意見に塗れてしまうのが嫌で内緒にしてるが、上で述べたようなロマンポテンシャルのある、他には無い唯一無二のコンセプトやチャレンジ精神が好き、という本車の隠れファンは実は少なくない。


ただ本車ではコンセプトの是非以前に、日産のモータースポーツに対する取り組みの姿勢が批判されている。つまり「続ければ通用したかもしれないのに、たった一戦で諦めてしまった」「貴重なル・マンの出場枠をただ徒に消費してしまった」「奇抜な発想でただ目立ちたいがためだけに大金を費やした」「真剣に戦いに来ているライバルたちに失礼」という観点からである。参戦前に「挑戦を許す素晴らしい会社だ」と評価していた人たちも、その顛末には掌を返さざるをえなかった。

またサスペンションの強度不足というのは極めて初歩的な問題であり、そもそもレーシングカー開発を手掛ける組織としてエンジン搭載位置を論じるレベルにすら達しておらず、「MRの正統派レイアウトを選べば勝てたのに」などとは口が裂けても言えないような未熟なチーム体制であったことを露呈している。

本車のファンも、これら組織としての問題点の指摘(特に「参戦を継続しなかった」という部分)については同意されることがほとんどで、どれだけ好意的に見ても免れない批判だと言わざるを得ない。


もし十分な資金・人材・時間的リソースによる開発を継続し、ハイブリッドシステムを完成させてフロント側の負荷を大幅に軽減した上で、ノートラブルで完走できるようなチーム作りとマシン作りができていれば、ポルシェ撤退後の2018年以降は大舞台でトヨタと日本メーカー同士の一騎打ちができたかもしれないし、何ならLMP1全車にトラブルが出てLMP2車両が優勝戦線に躍り出た2017年大会で、トヨタ・ポルシェを出し抜いた上での日産史上初のル・マン制覇に手が届いていたかもしれなかった。メーカー数が少なかったため、続けてさえいればいくらでもチャンスが転がっていた時代だったのに、一度の失敗に挫けてそのチャンスを逸してしまった。

忌憚無い言い方をすれば、GT-R LM NISMOは日産がファンと共に憧れてきた長年の夢を容易く投げ捨てたことの象徴という見方もできるのであり、それゆえにボロクソに貶され続けているのも致し方ない部分もある。


ちなみにLMP1の後継であるLMハイパーカー規定において、2022年に後半登場したプジョー9X8もリアウィング無しという大胆な発想で開発されていたが、実はGT-R LM NISMOも車体下部で十分なダウンフォースが稼げるので、リアウィング無しを考えたことがあったという。

9X8は結局芽は出なかったが1年半の間コンセプトを維持しており、その後もリアウィングをつけ直して参戦を続けている彼らを見て、本車が惜しまれるという人も少なくない。


その後の日産の耐久レース活動編集

2017年以降VRX30Aは改良を受けて「VRX30A evo.」となり、LMP1プライベーターの「バイコレス」の熱烈な要望に応じて供給された。機密保持のためリースのような形を取り、技術支援もあったという。

本件は年初の日産のモータースポーツ活動計画にも明記されており、決して疎かではない活動だったと思われるが、バイコレスも当時の日産とは別方向にモータースポーツへの取り組み姿勢がアレであった(参戦期間自体は長期に渡る割に、参戦したりしなかったりを繰り返した上、シャシーの進歩も全く見られなかった)ため、特筆すべき実績は挙げられなかった。


2011年〜2016年の市販エンジン規定が施行されていたLMP2規定において、日産がシーマSUPER GT GT500クラスから転用したV8自然吸気エンジン「VK45DE」は、同クラス最強のエンジンだった。ル・マンでは同期間6回中5回でクラス優勝を果たしている。日産がル・マンに帰ってきたのも、元はといえばこのエンジン供給がきっかけであった。

ちなみに日産のグローバルモータースポーツ部門責任者ダレン・コックスは『NISMO TV』のネット配信に向けての打ち合わせで、コメンテーターの「GT-R LM NISMOの3台がリタイアしたら何を話せばいい?」という問にしばらく沈黙した後「LMP2だ」と答えたというが、実際に同大会の「日産勢」最上位はクラス優勝したLMP2マシンで、しかもクラス上位6位までを日産エンジンで独占した。


2015年に始まったLMP3規定でもVK50、VK56といった日産のV8自然吸気エンジンが2024年までワンメイクエンジンとして指定されていた。


2017年北米IMSAにDPi規定が導入された際には、リジェ製シャシーをベースにR35型GT-R用のV6ツインターボエンジンを搭載した「日産DPi」が参戦。セブリング12時間レースとプチ・ル・マンを制覇するが、プライベーター主体で北米日産はあまり本腰を入れておらず、年間タイトルを獲得できないまま3年ほどで終了している。

2025年現在、GT-R LM NISMO以降の日産のプロトタイプスポーツカーはこれが唯一となっている。


余談編集

  • GT-R」をその名に冠するが市販車のGT-R(当時はR35型)とは一切関係が無く、共通点は「V6ツインターボエンジンの4WD」という程度、デザインもVモーショングリルと四灯のテールランプを申し訳程度に似せているくらいである。しかし次期型GT-R(R36型?)は、アウディR8よろしく「GT-R LM NISMOで培ったパワートレイン技術が投入される」もしくは「GT-R LM NISMOに次期型GT-Rの技術が採用されている」という飛ばし記事がしばし書かれていた。R35は本車登場後10年が経った現在も現役であるが、もし『ル・マン制覇』の箔がついていれば、早期にフルモデルチェンジされて技術も共有されていた可能性があったのでは?と妄想するのも一興かもしれない。
  • まだ車名しか明かされていなかった2014年ル・マンで、「GT-Rを名乗るのならフロントエンジンなのか?」という素朴な発想からの(そして後から考えると適確な)質問をボウルビーが受けている。答えは「確かに量産GT-Rはそうだけど、過去成功したレーシングカーは皆後ろにエンジンが載っているね」だった。
  • 当時参戦していたLMP1/LMP2車両で唯一、数字が車名に入っていないマシンである。また歴代LMP1車両でも例は非常に少ない(リスターストーム、パノス程度)。
  • 当時のLMP1規定は回生量を2/4/6/8MJから選択し、それによって燃料流量や燃料タンク容積が決まる「EoT(技術的均衡)」という仕組みが用いられていた。日産が2MJ(+V6ガソリンターボ+機械式フライホイール)を選んだため、アウディ(4MJ回生+V6ディーゼルターボ+電動式フライホイール)、トヨタ(6MJ回生+V8ガソリン自然吸気+スーパーキャパシタ)、ポルシェ(8MJ+直4ガソリンターボ+リチウムイオンバッテリー)と4者4様の戦いを演出した。
  • 日産の身内である長谷見昌弘が決勝生放送中に本車を公然と苦言を呈したことが象徴的な出来事として知られるが、彼は元からFFや4WDはたとえ日産車だろうが(あのR32型スカイラインGT-Rすら含まれる)アンダーステアで退屈だから嫌い、と遠慮せず語っているので、「身内から批判されるほど酷い車だ」という評判については割引いて受け取る必要がある。

関連動画編集


関連項目編集

WEC ル・マン24時間 プロトタイプ

前輪駆動 ハイブリッドカー レーシングカー

日産自動車 NISMO R92CP

デルタウイング/日産ZEODRC…日産が関わった奇抜なル・マンカーたち

GT-R風評被害者、もとい被害車。

スカイラインGT-R…「NISMO GT-R LM」という名前で1995年ル・マンに参戦。こちらは市販車ベースの、れっきとしたGT-Rである。

グループC…初期に日産はフロントエンジン(FR)の「スカイラインターボC」を開発していた。

9X8…奇抜な発想のプロトタイプ仲間。

クラウン…後輪駆動が当然という固定観念の中、前輪駆動+後輪モーターの4WD化がされ、巷を驚かせたという点で同じである。

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