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どん底のgenarowlandsのレビュー・感想・評価

どん底(1936年製作の映画)
4.1
ゴーリキー原作、ジャン・ギャバン主演のルノワールの有名作を今まで見逃していたのは暗そうだったから。たしかに重さはあるけれど、貧乏長屋に住む人びと一人一人に愛情を注ぎ、ルノワールらしい人間愛があった。どん底とは貧しさと直接関係ない。絶望であり、それに甘んじること。未読の原作のあらすじを読んだら、貧困で心がねじまがった人びとしか出てこない。賭け事ですべてスってしまった男爵はルノワールの創作だった(ゴーリキーに許諾を得てルノワールは改変している)。

なぜ男爵をルノワールは加えたのか。貧乏長屋の住人はかつて華々しい暮らしをしていたことを小さな誇りとして生きている。昔はオレは凄かったんだと。なのに、今は…と。

また、ジャン・ギャバン演じる泥棒稼業のペペールは、現実的で今はこんなだが、いつか這い出してやると、希望を捨てないし、先を見越そうとする。

男爵の立ち位置は、昔はオレは…と過去の誇りを支えに生きている人びととは違う。かつての自分に誇りもない。なぜなら、働いたことがないからだ。この誇りとは、生まれもって身分として与えられたものではなく、自身の努力で掴んだものだ。

ペペールには上昇志向があり、悪事を働くが、それは今生き延びるため、そんなことはとうに悪いことだとわかっていて、社会でまっとうに生きたい。好きな女を幸せにしたい。そのためにはまっとうに働きたい。どん底がどん底だと認識している。

男爵は心地好く生きればどこにいてもかまわない。そこが底かどうかすら問題にはならない。どん底にいることに恥ずかしい思いを抱えて嘆いている人びとからは気高くさえ見えても、希望も絶望もなく、誰よりも<停滞>している。停滞は人間を腐らせる。

ルノワールが男爵をどん底に置いたことで、どん底とは貧しさに因るのではないこと、どん底にいる人びとが一瞬でも煌めく人生を送っていたことが見えてくる。間接的にブルジョワ批判、ひいては社会構造の批判をしているようなものだ。

ラストも原作と違う。

底辺にいる人びとを愛すべき人びととして描くルノワールの人間愛に感動しました。
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