【駆動せよ、私の車を ー私の人生をー】
処方された目薬を点眼した家福(西島秀俊)の瞳から 直後に零れ落つ滴。
あれは「目薬が溢れ出たもの」だろうか。
否、目薬を呼び水 ー切っ掛けー に流れ出した“本当の涙”である。
芝居 / 戯曲 / 科白 / 作り物 / 擬涙 ― それら“仮初め”でしかないもの達も 人の深奥に打ち響けば それは“真実”と為る。
これは他者の車であり私の車ではない。これは科白であり私の言葉ではない。これは芝居であり私の生ではない。そして『これは映画であり私の真理ではない』―。
全編感情籠もらぬ敢えて空疎な科白の作劇でありながら、この映画はその全てを『私のもの』とする。
作り物/仮初め(の映画)も真実と成り得る事の証明。
そっと描かれるエピローグが『私の車』であり、この映画が全世界的普遍である事を物語る。
これは“私の”映画だ―。
《劇場観賞》