今日の大手紙社説
沖縄集団自決裁判と予算関連が話題。特に付け足すことはないかな。
産経社説 【主張】予算成立 ガソリンでも混乱避けよ - MSN産経ニュース
これは現実問題としてはここ。
強調したいのは民主党の暫定税率廃止の要求に無理があることだ。廃止により国と地方を合わせて2兆6000億円の財源が消えるが、民主党は国の直轄事業負担金制度の廃止などによって国がすべて調整する−としている。具体的な裏付けに乏しく、全国知事会からも「本当に一生懸命に研究して出している案ではない」(麻生渡会長)と指摘されている。
実際には地方がクラッシュする可能性が高い。その時、民主党が応えられるかというと、無理とまでは言わないけど、応えられているような世相の空気はもう私としては耐えられないだろうな。
国家というのは互助だし、現代世界では一部都市が先行するのはしかたないのだから、ある程度バラマキというのは必要悪になる。
産経社説 【主張】沖縄集団自決訴訟 論点ぼかした問題判決だ - MSN産経ニュース
これはこれでまた司法の枠組み理解が違うと思う、朝日の逆で。
毎日社説 社説:沖縄ノート判決 軍の関与認めた意味は大きい - 毎日jp(毎日新聞)
沖縄県民の反発の背景には、本土防衛の捨て石にされたという思いや、それをきっかけに現在の米軍基地の島と化したことへの怒りがある。
ここだけどたぶん毎日の執筆者はよくわかってないと思うけど、というのは、米軍基地化は米国の問題だと外化して見ているのだろうけど、これは本土側の問題でもあるんだよ。本土側の戦後統治と安保の建前から、米軍統治下に本土から移転したものなのだ。だから沖縄が本土復帰した際に原則としては、もう一度本土側に戻すべきものでもあった(安保を否定しないなら)。
沖縄現代史 (岩波新書): 新崎 盛暉 |
毎日社説 社説:民主党 改革とは何かの原点に戻れ - 毎日jp(毎日新聞)
毎日はいつものポジショントークからの延長かな。
読売社説 集団自決判決 「軍命令」は認定されなかった : 社説・コラム : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
しかし、「自決命令それ自体まで認定することには躊躇(ちゅうちょ)を禁じ得ない」とし、「命令」についての判断は避けた。
私がざっと聞いた範囲ではそのように受け取られたし、司法の在り方として妥当だと思えた。基本的に、司法は歴史認定を問うのではなく、民事なのだから利害の調停的であるはず。そしてそれは利害の背景となるし、基本的に日本人の現状の常識の妥当性と法理の切り分けになる。
史実の認定をめぐる状況が変わらない以上、「日本軍による集団自決の強制」の記述は認めないという検定意見の立場は、妥当なものということになるだろう。
これは司法とは別の話だろうと思う。
朝日社説 民主党へ―「福田提案」を実らせよ : asahi.com:朝日新聞社説
率直に言って朝日の議論がよくわからない。というか、民主党がそう言っているというふうにも思えない。
現実論で言うなら暫定改革のプログラムにすればいいのだが、福田案のディテールがそうなのかよくわからない。
朝日社説 集団自決判決 司法も認めた軍の関与 : asahi.com:朝日新聞社説
これはつまらない右翼左翼的なフレームに落とし込まれるので、発言する気も萎えるのだが、「司法も認めた軍の関与」ではなく、日本社会の歴史認識として「軍の関与」があると見るのは妥当なので、それを覆そうということを司法の場に問うのは適切ではない、ということだと思う。
判決はこう指摘して、「集団自決には日本軍が深くかかわったと認められる」と述べた。そのうえで、「命令があったと信じるには相当な理由があった」と結論づけた。
朝日の文脈がやや強いが、大局的に見て沖縄の集団自決に日本軍の関与がないと言い得るはずはなく、そして、「命令があったと信じるには相当な理由があった」の「信じる」については、ごく普通の日常の他者理解の延長にある。ただ、そのことが歴史研究としてどのように妥当かということは方法論によるだろうし、それはそれなりに学問の自由の問題でもあるだろう。
私自身は沖縄生活でもう少しこの実態の機微を知っている。真相を知っているみたいなことを言うつもりはないし、真相と一般に思われているようなフレームとは違う。この機微の部分は、率直に言って、伝えることがとても難しい。私はその点では沖縄の古老の声を聞きながら同化してしまったし、しかたがないと思う。
晴れ、ログイン
よい天気。昨日はネットを完全にオフっていたわけではないが、ネットを覗くと随分久しぶりという感じがする。夢はごちゃごちゃとしていた。今は覚えていない。
そういえば昨日は随分鬱に沈んだ。根本のところでいろいろ生き方に無理があるんだろうなというのと、心の静かさみたいのを最近失っている。こういうのも歳ということなのかもしれない。
先日「箱」を読み、それからその関連についてけっこう考えた。考え抜いたに近い部分もある。そのなかで、まず前提としてある敵対心みたいなものが自分に向けられたとき、そこに絡め取られないことが、奇妙な言い方だが、彼我に大切なのではないか。そして、そのとき最初に黙るべきは自分ではないか。そう思うようになった。というか、人間は奇妙なものに取り憑かれて生きている。
「箱」では、優越、正当、体裁、劣等という4つを上げていた。卑近な例でいえばネガコメなどは優越なのだろうし、おそらくその背後には劣等感や被差別・被害意識があるのではないか。そしてネガコメ的な優越は、イデオロギー的な色合いが濃いので、これは正当、つまり正義への依存があるのだろう。自己に立たないで、正義に仮託し知で優越性をもたらし、結果として他者を否定するという行為は、自分が免れているわけでもないのだろうが、それ自体が一つの病理なのだろう。
久々に見た009はしんどかった
昨日のNHKの特集で009を見たが映画版は途中で耐えられなかった。白黒版のXとの戦いは小学五年生のときリアルで見た記憶が蘇って、ある種困惑した。
私にとって009は白、なので、その後の赤い009はよくわからない。
平和や正義が実際にはテロ集団に結びついていくあの歴史と並行して思えて、まあ、そう見るべきではないという意見もあるのだろうけど、つらかった。
異能な戦士集団が自己を世界とか他者のために命を捧げるというロマンは、その共同性のスコープのありかたで、戦争のイデオロギーと変わりない。私は、いつのまにか、そういう感性から離れてしまった。
追記
⇒漫棚通信ブログ版: 石森章太郎と読者世代
というわけで、石森作品てのは、初期の才走った作品群、変身ヒーローもの、おとな向けウェルメイド作品群、の三つに分けることができます。そしてそれぞれに別のファンがついていたのじゃないでしょうか。
その他に、けっこう女性ファンも多い。
日本人はもう慣れてしまったけど意外と今の局面は重要かも
⇒BBC NEWS | Asia-Pacific | US warns N Korea on missile tests
The US has called North Korea's latest missile tests "not constructive" and urged Pyongyang to instead focus on nuclear disarmament.
こういう傾向は見落としがち
⇒BBC NEWS | Business | Oil price down as Iraq fear eases
Global oil prices have fallen in Friday trading on the news that an attack on an Iraqi export pipeline was not as serious as earlier thought.
エモットによるクリントン批判
⇒Bill Emmott - Lessons From Japan's Malaise - washingtonpost.com
A little knowledge can be not just dangerous but grossly misleading. That is the right conclusion to draw from the latest, surprisingly reassuring data about the U.S. economy and from the interview in yesterday's Wall Street Journal in which Sen. Hillary Clinton warned that America must avoid a "Japanese-like situation."
⇒時事ドットコム:クリントン氏は勉強不足=日本型停滞論を批判−ビル・エモット氏
2008/03/28-16:42 クリントン氏は勉強不足=日本型停滞論を批判−ビル・エモット氏
【ワシントン28日時事】ビル・エモット元英エコノミスト誌編集長は28日付の米紙ワシントン・ポストに寄稿し、大統領選の民主党候補指名を狙うヒラリー・クリントン上院議員が「米経済は日本型停滞に陥る」と警告したことについて、「生半可な知識は危険なだけでなく誤解を招く。実際に日本で何が起こったか調べるべきだ」と批判した。
エモット氏は、バブル崩壊を予測した著書「日はまた沈む」など日本経済研究で知られる。
エモット氏は、クリントン氏が日本の過ちは、財政出動よりも金融政策に過度に依存したことだと考えていることについて、「真実は全く逆だ」と反論。当時の日本が取った2大政策は、公共事業を中心とする巨額の財政出動と金融機関の損失隠しだったと主張した。
ヒラリーの元発言はここ(Google経由でないと有料)⇒Transcript: Clinton on Economy, Mortgage Crisis and Trade - WSJ.com
そういうことなんでないの
⇒解説委員室ブログ:NHKブログ | 時論公論 | 時論公論 「新銀行東京の挫折」
このため、金融の専門家の間からは、この計画は再建を目指すというよりは、清算に向けた第一歩ではないのかという厳しい見方も出ています。
まったくもって些細な知識
⇒はてなブックマーク - 島国大和のド畜生 美味しんぼ感想1?100巻
山岡士郎は私より一つ年上。51歳。
栗田ゆう子は、今年47歳
結婚は、山岡36歳、栗田31歳。
出産は、栗田36歳。帝王切開双子(男女)、11歳。
ちょっとメモっていうか
前に云つた「捜神記」前後三十巻と、この「酉陽雑姐」正続二十巻とは、早くから我国に渡来してゐるので、彼の「今昔物語」「宇治拾遺物語」等に種々の材料を提供してゐる。江戸時代に出版された幾多の怪談小説集も、大抵は支那小説の翻案で、殊に「捜神記」と「酉陽雑爼」に拠るものが多いのは周知の事実である。
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也是一种比较文学:和歌汉解(一)
近读古今集,有一二心得,不揣浅陋,贴出来,也算是给“比较文学论坛”凑凑热闹.
古今集,是日本第一部敕撰(天皇敕命编选的)和歌集,也是日本继万叶集之后的第二部大型和歌集.万叶集歌风质朴,有古风.而古今集(公元905年)则是在接受了中国文化洗礼之后以全新面貌推出的和歌集,为日本后来的和歌发展定下了基调.
古今集卷第七贺歌里边,收集了祝寿的和歌.先来看看第一首:
わが君は千代に八千代に細れ石の巌と成りて苔のむすまで(古今集中编号343)
Waga kimi ha/chiyo-ni yachiyo-ni/sazareishi-no/iwao to narite/koke-no musu made
拙译: 祝君长寿,千年万年
直到小石头变成巨岩
巨岩上又生出苔藓.先说说和歌的诗形:
和歌分长短,一般说的和歌大多指短歌(tanka),一首歌有5·7·5·7·7五句,共三十一个音节.读的时候句尾音拖长,大概跟鲁迅小说里百草园吟诵古文的先生一个读法:“把头仰过去,仰过去...”
我觉得读贺歌有趣的地方,是看日本人怎么在和歌里表达长寿.我的印象里,咱中国人祝寿,大概是说“福如东海、寿比南山”这样的套话,用海用山来比喻永远.或者用松龟鹤类的吉祥物.所以读到小石头变成山岩,甚觉新鲜.不过查了一下注解,竟然脱胎于中国的故事:
《酉阳杂俎》云,「利江临江寺石得之于水中,初如拳置佛殿中,石遂长不已,经年重四十斤.」
由此可见中国文化对日本影响之深.这首和歌后来在「和汉朗咏集」里开头变成了「君の代は」,就是现在的日本国歌“君之代”了.
つうのが「君が代」についてのごく普通の考えかと。
これはちと微妙
⇒asahi.com:中学校の英語 筆記体は日本独自のもの? - 教科SHOW - 小中学校 - 教育
アルファベットの文字を傾け、一筆書きのように単語をつづる筆記体。今この書き方を学ぶ中学生は少数派になっている。パソコンの普及もあって手書きする機会自体が減っているうえ、「生徒の学習負担に配慮し筆記体を指導できる」と学習指導要領が改訂されたのを受け、02年から教科書では扱われなくなったり縮小されたりしているからだ。
この教科書の編集に携わった桜美林大の森住衛教授によると、英語圏で署名に使われていた一つの書体が、明治時代に手書き文字の主流として日本に定着した。その文字は英語圏で統一された書体ではなく、人や地域によって異なるという。
日本では中学1年で英語を習い始め、その年の夏休みの宿題などで筆記体を覚えてきた。森住教授は「海外では、草書体(筆記体)で普通の文章を書くのは日本人、と思っている人もいるほど日本独特のもの」と語る。
若い頃米人と学んだが、彼らは筆記体が書けなかった。書くとびっくりしていた。院卒ですら、大文字と小文字の区別がごっちゃなことがあった。教授達はいろいろだった。筆記体はあまりなかったというか、ボードに文章を書くことはあまりしなかった。作文の直しなんかだと、筆記体が多かったか。
それはそれとして。
「風と共に去りぬ」の映画とか見ると、戦死者への正式なレターは筆記体で手書きで書かれた。というか、あれは一種の清書でもあったっぽい。
日本の書く英語の筆記体は一種のカリグラフィー=書道、なのでは。
なつかしい
⇒中島さんと古川さんの対談 - naoyaのはてなダイアリー
ちなみに中島さんは、知る人ぞ知る GAME80コンパイラ の開発者でもあります。当時高校生、だそう。うげげ。
うげげ。
⇒GAME86 Compiler for MS-DOS
GAME-IIIは1978年7月号の月刊アスキーで6800用のインタプリタ(機能的に はBASIC)として大西博氏によってアセンブラソースとともに公開されまし た.バイナリのサイズが約1.5Kバイトと小さく,サイズの割に高機能でソ ースがあることから,8080, z80, 6809, 6502と多くのCPUに移植されまし た.さらに中島 聡氏によってGAME自身で記述された 8080用のGAMEコンパイラがアスキー誌上で発表され, コンパイラも多くの機種で動作するようになりました.
GAMEは,ALTAIR 680b用のたった768バイトで書かれたTinyBASICであるVTL の文法を拡張した記号言語です. ほとんどの機能が代入文で実現されて いるため,言語の解析部(parser)が非常に簡単になることから拡張機能も 容易に組み込むことが(ソースレベルで)出来ます.
GAMEはまあ、便利というか便利だった。マクロアセンブラがあれば、もっと効果的なんだけどというかMASMが実際には仕事になった。
TL/1の話はもうネットにはほとんどないなあ。こっちのほうが、MASMより強力だと思うのだけど、やっぱデータ型の問題かというか、Cがあるか。
Forthとかもけっこうよかったんだけどね、というか、PSに名残を留めているけど。
ついでに⇒InfoQ: プログラミング言語は自由度が低いほど強力か?
さらなるパワーを追求し、C#には最近新機能が加わり、Javaも間もなくC#と同じ道をたどる可能性がある。機能の選択肢が拡大すればプログラマーの自由度は高まるが、これにより必ずパワーが増すのだろうか。また、真に強力であるために、言語は高い自由度と柔軟性を提供する必要があるのだろうか。
C#とjavaとは道が違うような気がする。
っていうか、Javaはけっこうべたなニーズの集大成だし、最初からああいうもんだったのではないのかな。
言語って、ようするに、それで仕事すんのかよ? で、その仕事で規定されちゃうわけで(あとプラットフォーム)、その点、ラリー・ウォールは割り切っているわけで以下略。
追記
妙に詳しい⇒Forth - Wikipedia
はてなーズとかは言語が好きみたいだけど
実際には仕事の効率の問題で、まさか簡易言語系が主流になるとはみたいな。
現場なんかでは実際にはIDEで決まってしまうのではないかな。もうよくわかんないけど。ただ、現実のIDEって、見方によるのだろうけど、なんか全然直感的じゃないというか、ジャングルというか。
言語とパッケージが分離されているのはそうなんだろうけど、もっとビジュアルなIDEで統合でできないものでしょうかね。結局ソースをいじるからああなるのか。
.NETのIDE環境なんかソースがげげげっていうか、Javaなんでもフォームベースなんかだと、そ。
なんか、こう、もっと直感的な、ビジュアルIDEがありそうなものだけど。
Selfにビジュアルな側をかぶせるような。(ついでにクラスなしがぐー)。
⇒Self - Wikipedia
まあ、わかんないけど。