トランプは敗れたが「アメリカのリベラリズム」が相変わらず危機と言える理由

米国「イデオロギーとモラル」の攻防史

2020年11月の大統領選挙

2020年11月の大統領選挙の最終的な結果が確定するのには今しばしの時間を要するだろうが、趨勢はほぼ決したとみて良いだろう。民主党のジョー・バイデンが史上最多の得票数でアメリカ合衆国第46代大統領に当選する。

共和党のドナルド・トランプは、司法に訴えるなどあらゆる抵抗を試みるだろうが、すべては無駄に終わるだろう。また最終的な選挙結果の確定までの過程で、我々は、アメリカのデモクラシーが終焉を迎えるのではないかという、アメリカ史上でも屈指の泥仕合の情景を目にするだろうが、これもいずれ収束するだろう。

2016年の大統領選挙では、多くのアメリカ観察者が予測を誤り、一方で2020年の大統領選挙ではほぼ彼らの予測どおりの結果となった。重要なのは2016年も2020年も選挙分析の専門家が行なった分析は、どちらも素晴らしいものであり、歴史家にとっては、等しく参照すべき「史料」だということである。

大統領選挙とは、制度上も、そしてアメリカ史の変遷からも構造的に予測が困難なのであり、選挙分析家の予測の当たり外れは、実は歴史家にとっては重要ではない。結果は時間が経てば自ずから示されるものであり、歴史家にとって重要なのは同時代の知性が如何に分析したかというそのロジックなのである。

一方、2016年から2020年の間、いくつかの思想史上のキーワードが再検討された。反知性主義、ポピュリズム、保守主義、そして近年はリベラリズム(あるいはリベラリズムの終焉論)などがそれに当たるだろう。これらは主に欧米起源のビッグワードであるが、その定義が明確ではないことを共通の特徴としている。さらに欧米と一括りにしたが、アメリカとヨーロッパでもその用法が異なっている。

そこで2020年の大統領選挙が終わるにあたって、こうしたビッグワードのアメリカ史における用法を――とりわけリベラリズムに注目しつつ――俯瞰的に確認しておきたい。そこから見えるのは、アメリカという国がイデオロギーとモラルの二つの相貌を持つこと、そして、今回の選挙ではトランプが敗れたものの相変わらずアメリカのリベラリズムは試されているということである。

〔PHOTO〕Gettyimages
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「アメリカはリベラリズムから始まった」のか?

ヨーロッパでは1618年から1648年にかけてカトリック陣営とプロテスタント陣営に分かれて三十年戦争という宗教戦争が行われた。確かにそれは宗教戦争として始まったが、30年というのは丸一世代にあたる長さであり、戦争が終わる頃には、当初の戦争目的は曖昧なものとなり、戦争それ自体が目的化するようになる。戦争という鋭利な営みの中で、当時形成されつつあった統一的な領土を持つ「領域国家」のシステムが先鋭化され絶対王政と国家主権という統治体制と概念が形成されていく。

啓蒙主義思想とは、こうした宗教戦争(正義をめぐる争い)への省察と絶対王政が生み出した相対的に安定した社会が可能にした思想潮流であり、啓蒙主義思想が生み出した最大の成果がリベラリズム(Liberalism)である。

リベラリズムとは、900年におよぶ中世を特徴づけていた、王や貴族が強い権力を持つ極めて多元的な割拠的支配とそれを秩序づけていた無数の慣習、そして封建法と教会法に集約される法体系に対して、あらゆる人間に共有された「人間本性」の共通性を強調し、個人を析出し、個人の権利という概念を重視する思想である。個人の権利とは、人間が恣意的に揺るがすことのできない自然法によって基礎づけられ、それは例えばジョン・ロックによる、人間は、生命・自由・財産という権利を生まれながらに持っているといった主張につながる。日本語では自由主義と訳されている。

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