「10月30日」が東京の転換点だった?
2021年10月30日は、日本の都市、少なくとも東京の転換点となったと後世から記憶されるのではないか。
その日は、第49回の衆院選挙戦の最終日だった。ただし翌日の投票で革新勢力が深いダメージを負ったことを話題にしたいのではない。より注目されるのは、選挙戦の最終演説の際に、自民党が15年間選び続けた秋葉原ではなく、品川区大井町駅前を選択したことである。
自民党は2006年9月に麻生太郎が総裁選のために演説をおこなって以来、秋葉原を国政選挙の最終日の演説地と定めてきた。しかし岸田新総裁はその15年間続いた慣行を破り、品川区大井町を選ぶ。
こうした変更には、(1)品川区を含む東京3区で自民党と立憲民主党のデッドヒートがくりひろげられていたこと――実際、選挙戦は立憲の松原仁氏が勝利する――に加え、(2)岸田首相が安倍政権とのちがいを強調しようとしたことが絡んでいたとささやかれている。
それはまちがいでないとしても、別の理由もあるのではないか。秋葉原から品川区大井町への選択の背後には、2000年代より続く東京、ひいては日本の都市のあり方の変化の兆しが読み取れるのである。
秋葉原の成長と「消費社会」の延命
ではなぜ秋葉原は、そもそも自民党の最終演説地としてながらく選ばれ続けてきたのか。その理由のひとつは、選挙の最後にホームグラウンドで圧倒的な支持をみせつけ、気炎をあげるためだったと考えられる。
金子智樹と逢坂巌によれば、2000年代後半の第1次安倍内閣では年配のとくに女性の支持率が高かったのに対し、2010年代後半には20、30代の男性の支持率が高くなった(「安倍支持の中心は若年男性層:ネガティブ情報の影響薄く」『論座』)。