今月は、20世紀後半を代表する民俗学者、宮田登(1936-2000)の著作が2冊も文庫本で出された(『弥勒』講談社学術文庫、『霊魂の民俗学』ちくま学芸文庫)。
私は、大学院時代、晩年の弟子の一人として宮田に民俗学を仕込まれた経験を持つ。宮田登という民俗学者は、どのように生まれ、どのように民俗学を生きたのか。本人から直接聞いた話も紹介しつつ、解説してみよう。
不思議好き少年
宮田は、横浜で生まれ育った。すでに幼少期から神秘的なものには敏感だったようだ。
キリスト教系幼稚園に通っていたころ、はじめて幼稚園で見た映画は、キリストの伝記のようなもので、キリストがゴルゴタの丘で十字架にはりつけになった場面が今でもありありとよみがえってくる。イエスの死の瞬間、雷鳴がとどろき、大地がうなり、暴風雨が起った。天の神の怒りであり、この世の終末を告げるシーンでもあった。(『はじめての民俗学』)
小学生のとき、戦禍を避けるために長野県上水内郡神郷村(現在の長野市)中尾という集落に疎開した。そこには「道禄神場」(道祖神の祭場)、「狐山」(村はずれで墓地がある。狐が出たらしい)、「もとどり山」(「元をとる」という山人と里人との交易の記憶が反映しているらしい)といった場所があり、それらの存在に敏感に反応していたという。