地域トラブルの報道が抜群に巧いTBS『噂の! 東京マガジン』のフェアな態度

Photo by Thinkstock

人権を守るために必要な規制

自戒を込めて書くと、21世紀の報道には人権意識が求められている。これは国際的に見ても同じだ。

人権を守るため、マスコミには目に見えない規制が加わり続けている。テレビの場合、規制が緩かった昭和期のほうが面白かったという意見をよく聞くが、筆者はそう思わない。規制があろうが、面白い番組は作れるはず。なにより、大勢の人が喜べば少数派を傷つけても良いなどという発想は身勝手で古すぎる。

規制されたことが正しいと言えるのはニュースやワイドショーも同じだろう。たとえば、マスコミがすべてそうだったのだが、昭和期は警察が逮捕しただけで、その人物を呼び捨てで報じていた。これが間違っていたのは言うまでもないことだろうNHKは昭和59年だった84年から容疑者を付けるように。民放が追従したのは平成に入った89年から。新聞・雑誌も同時期に容疑者と付けるようになった)

昭和期には、起訴も身柄送検もされていない段階で、逮捕された人物を悪党扱いしていたのである。誤認逮捕の疑いが強かろうが、お構いなし。当然、裁判での有罪も確定していない。その人物が無罪になろうが、呼び捨て報道について後から謝罪をすることもなかった。ネット世代の若年層が当時の実情に触れたら、仰天するに違いない。

ワイドショーにおける"名古屋市のゴミ屋敷報道"の在り方は?

-AD-

あのころと比べたら、マスコミは随分と紳士的になった。ニュースやワイドショーも同じ。けれど、ときに「危ういのではないか」と思うこともある。たとえば、最近のワイドショーにおける名古屋市のゴミ屋敷の報道だ。ゴミ屋敷の主である男性の顔を映し、インタビューを流している。視聴者受けが良いのか、頻繁に取り上げているが、この報道には人権上の問題があるのではないか?

まず、この男性には犯罪の嫌疑が掛けられているわけではない。周辺住民にとっては迷惑だろうし、名古屋市も男性にゴミの撤去を命じているようだが、あくまで地域トラブルの域を出てない。にもかかわらず、ワイドショーが男性の顔やインタビューを流すことに正当性はあるのだろうか。

この問題の解決は行政や地域に解決を委ねるべきで、男性の顔や声を加工せずに全国放送するのは行きすぎではないか。男性がその気になったら、各ワイドショーを人格権の侵害等で提訴できる気がする。もちろん、それでも毀損された名誉等は回復できない。

たぶん、男性本人は自分の顔の撮影を許し、インタビューも受け入れているのだろう。しかし、だからといって、テレビ局側が個人の顔や声を流して良いわけではない。本人の許可は免罪符にならない。なにしろ、市井の人は大抵、報道の影響力を認識していないのだから。取材する側が配慮しなくてはならない。

関連記事