静かな日常の中で記憶を愛おしみ、景色を眺め、愛すべき人々との会話を楽しむ。そして生きる仲間としてネコを慈しむ小説家・保坂和志。
いつも「ご機嫌」な保坂氏に、ご機嫌な日々はどこから生まれるのか、そもそもご機嫌の正体とは何なのか、じっくり話を聞いた。(取材・文/大谷道子)
「老病死」の年代を意識的に生きていく
――最新刊の『地鳴き、小鳥みたいな』は、創作とエッセイの垣根を越えた、広々と豊かな短篇小説集。読んでいてしみじみと幸福を感じるのは、やはり書いているご本人が楽しんでいるからではないか、と思ったのですが……。
えっとね、楽しいんですよ。でも、楽しいというよりも「何かしている」という、一種の充実感かな。
年を取ると、気がつくと何もしていない時間が多くて……。以前はだいたい午前1時頃に寝ていたんだけど、今は家の猫の病気のこととかいろいろあって、4時くらいになる。2時を過ぎると翌朝早起きできなくなるから、それまでには寝ようと思って、12時あたりから歯を磨いたりして準備を始めるんだけど、気がつくと2時間くらい経っている。そういう感じ。
たぶん、立ち止まったりしているんだと思う。あとは、ついテレビを観たり、新聞の隅っこを読んだり、ネットを見たり……。とにかく「何をした」と思えない時間が本当に多いので、文章を書いている間は、確実に何かしているわけで、それだけでもうれしいし、喜ばしい。
――2016年10月に誕生日を迎えられて、60歳に。公式ホームページの掲示板で〈50代の10年間がとても長かった〉とコメントされていたのが印象的でしたが、なぜ〈長かった〉と?
いろいろあったから。いっぱいあったから。50代は、家の猫も、外で面倒を見ている猫たちも含めていっぱい見送ったし、それから親父も。
――お父さんは「それから」ですか。
あ、それは話の流れが猫だったから(笑)。まあ、気が気でないようなときや、「ああ、これが最期なんだな」と思う時間が、本当に長かったんです。
――「年を取ると1日が早い」といいますが。
1日は短いですよ。でも、振り返れば長い。50代の10年は、10代の頃の5年に比べれば、実感としてはもちろん短いです。僕は大学を6年かかって出るまで鎌倉の実家にいたんだけど、その間が20年。あんなに長い時代ってないよね。
40代の頃、エッセイ集のあとがきに〈夜寝る前の歯磨きをしているときにわかったのだが、ぼくは「明日」という日がくるのを待っていない〉(『アウトブリード』河出文庫)と書いたことがあったんだけど、子どもの頃って、テレビの放送日とかマンガの発売日とかが、勝手に向こうからやってくるじゃないですか。でも、40を過ぎると自分で何かしていないと何も来なくなっちゃう。
しかも、自分でやらないとどうしようもないことばっかりだからね。介護をやっている人とか、振り返って短かったと感じる人もいるかもしれないけど、やっぱり長いはず。
――それに、「生老病死」といわれるうちの、「老病死」の年代ですから、あまり楽しくはない。
ああ……そういう考え方自体が、僕には、けっこう意外なんだけど。
――意外?
いや、どうも……根っこが、すごく明るいらしいんだよね(笑)。努力してそうなってる形跡もないから、説明のしようがないんだけど、猫の看病とか見送ったということとか、僕にとってはぜんぜん暗いことではないんです。
ひとつには、自分がやらなきゃしょうがないということ。これは、けっこう大事だったかもしれない。僕は、猫が具合が悪くなると、とにかく最善を尽くすんです。病気や薬について調べまくって、先生にもとことん相談する。そうすると、もうこれ以上はできなかっただろうという、ある程度納得できるところにいける。
「ああしておけば」「こうしておけば」と愚痴っぽく言う人って、実は後悔に酔ってるんですよね。親が死んだときに「申し訳ない」って言う人も多いんだけど、そういう人は親孝行をしてなかったり、親にキチッと感謝していない。
親父が死んでも僕がぜんぜん平気だったのは、それなりにリスペクトしていたから。ちゃんとしていると、そんなに後悔しなくて済むんです。
――手は尽くしたいと思いつつ、日々の慌ただしさに取り紛れて……ということもあるのでは。
そこは、戦いでさ。仕事があろうが何があろうが、いちばん大事なことを優先させる。僕だって、猫のことで仕事を断るとかいろいろ不都合があったけど、「保坂さん、猫のことがあると仕事しないからなぁ」みたいな状態に、10年以上かかって持っていったわけだから(笑)。
仕事やっている間に猫が死んじゃった、じゃ、最善を尽くしてないでしょ。猫に対して。
――意識的でないと、忙しさに流されてしまう。
だからさ、その「忙しさ」ってぜんぜん噓じゃん? 寝る前の2時間、ぼんやりするのと同じで、それをどうにかしようという努力がないという……。「忙しさに取り紛れて」とか「人との付き合いは避けられない」とか言う人は、後悔する準備をしているんですよ。