映画『真昼の暗黒』の時代から、日本の司法はさして変化していない。一審で有罪判決ならば、ほぼ例外なく二審も有罪なのだ。だが、大阪高裁のこの法廷だけは別だ。検察が恐れる男の正体とは?
被告と弁護士は大喜び
「主文 原判決を破棄する。被告人は無罪」
大阪高等裁判所の傍聴席で、声にならないどよめきが起こる。苦虫を噛みつぶした表情で公判検事が宙を見上げるのも、いつものことだ。
大阪高裁の福崎伸一郎裁判長(64歳)が、次々と一審判決を覆し、「逆転無罪」の判決を連発しているのだ。
「'16年4月から現在まで、無罪判決と一審判決の破棄が、確認できるだけで20件。1年足らずでこの数字は、前例のないものです」(司法記者)
日本の司法制度のなかで、控訴審での逆転無罪判決は稀だ。'15年度の場合、年間21件に過ぎない。
だが福崎裁判長はページ末の表のように、今年5月18日には業務上横領を無罪(一審では懲役1年6月)、5月11日に覚醒剤密輸を無罪(一審では懲役11年)、4月27日に公然わいせつを無罪(一審では懲役1年)と、ほぼ週一回のペースで逆転無罪判決を出している。直近2ヵ月で出した無罪と差し戻し判決は8件に及ぶ。
喜んでいるのは福崎に「当たった」被告人だ。窃盗事件を起こし、一審で実刑判決だったが破棄、減刑された男がこう語る。
「被害額は数千円で、示談もしている窃盗事件で、実刑はとても納得できない。一審ではほとんど言い分を聞いてもらえなかった。半分あきらめていたが、いい裁判官に当たってラッキーです」
担当した弁護士も、「一審では過去の前科ばかりが重要視され、実刑判決になった。福崎裁判長は、法に基づいて冷静、丁寧に判断してくれた」と語る。
だが、慌てふためいているのが、大阪高検の検事たちである。
「福崎さんの公判では、検事は毎回顔が引きつるほど緊張しています。逆転判決のたび、公判部では上告の検討の緊急会議を開き、次席と検事長に判断を仰いでいます。検事長までが、一人の裁判官のために毎日ピリピリしている」(検察関係者)
検察の威信をかけて起訴する殺人事件についても、福崎は容赦ない。昨年5月には、ガールズバーの経営者を絞殺し、死体を遺棄したとされた小松弘隆被告に対し、懲役14年とした一審判決を破棄し、差し戻した。
起訴段階では、最後に絞殺したのは別の共犯者だとされていたのに、一審判決では小松がとどめを刺したと認定されたからだ。
判決文で福崎は〈とどめを刺した者とその行為に荷担していない者とでは責任に差異が生じる。訴訟手続きに違反があり、審理も尽くされていない〉と厳しく述べた。
法廷ではいたって冷静
とりわけ検察を震え上がらせたのは、大阪で起こったありふれた交通違反事件だった。警察官に赤信号無視だと指摘を受けた男が、パトカーの車載カメラの映像を確かめたいと求めたが、警察は応じなかった。男が反則切符の受け取りを拒否した結果、刑事処分となり公判請求され、一審で罰金刑の判決が出た。
昨年12月、控訴審で福崎はこう述べた。
〈映像を確認したいと求めたのは別に不当ではないのに、警察は『そんなものはない』と伝え、極めて不誠実な対応をした。それを棚に上げて反則切符を受け取らなかったから刑事処分にしたというのは男性に酷で、信義に反する。また検察が起訴したことも賛同できない〉
検察の起訴そのものを否定する――。福崎が下した判決は、無罪ではなく、「公訴棄却」という耳慣れないものだった。
「通常は被告人が死亡したケースなどで出されます。起訴自体が無効だとして裁判の打ち切りを宣言するもので、一般の事件ではまず起こりえない。検事にとっては無罪判決を出されるよりも恐ろしいものです」(司法記者)