ウィキペディアはドレスがお嫌い?
2011年4月29日、エリザベス二世の孫で、英国王位の継承権を有するウィリアム王子とケイト・ミドルトンが結婚した。この結婚式は非常に晴れがましいもので、世界中で報道された。
多くの人が2人を祝福する一方、王室に反旗を翻す共和主義者は結婚式報道一色でうんざりしていた…のだが、そんな中、晴れがましさや反骨精神とは関係ない問題で沸き立っているコミュニティがあった。
ウィキペディアだ。
ウィキペディアが「コミュニティ」なの?と思う方もいるだろう。ウェブ上のフリー百科事典であるウィキペディアを編集する人のことをウィキペディアンと呼び、ウィキペディアにはウィキペディアンたちのコミュニティがあって、日々、サイト運営のために様々なことをウェブ上で相談している。
英語版ウィキペディアのコミュニティは結婚式のお祭り騒ぎを尻目に、ケイト・ミドルトンのウェディングドレスに関する記事はウィキペディアに必要なのかについて、モメにモメていた。
ウィキペディアには「特筆性」という決まりがある。この決まりは「立項される対象がその対象と無関係な信頼できる情報源において有意に言及されている状態」を意味する…と定義されているが、まあこんな言い方でウィキペディアンでない人にわかるわけはない。
「特筆性」というのは、ウィキペディアに記事として立項できる資格があるかどうかを問う基準だ。非常にざっくり言うと、学術書とか大手新聞など信頼できそうな複数のメディアでとりあげられていて、さらにその言及の質が一時的な報道とか、一言だけ触れられているとかではなく、ある程度しっかりしたものであれば特筆性があると見なされる。
なんでそんな決まりが要るのか…と思う方もいるだろうが、自分が最近結成したバンドとか、近所の高校の部活動とか、とくに百科事典に載せなくてもよさそうなものについての記事を作ろうとする人は、実はたくさんいる。この決まりがないと、質の低い宣伝記事が跋扈するようになってしまう。特筆性が無いかもしれない記事は削除依頼という手続きにかけられ、削除票が多ければ消される。
ケイト・ミドルトンのウェディングドレスに関する記事は、作られたその日に削除依頼にかけられた。つまりこのドレスは、アマチュアバンドや近所の部活動と同様、百科事典に載せる価値がないと考えられたのだ。
削除依頼ページには、こんな記事ができるくらいならウィキペディアの活動を辞めたいとか、バカげた記事だとか、非常に強い非難もあった。この削除依頼はやや紛糾したが、残すべきだと考えるウィキペディアンも多くおり、結局記事は存続となった。
私は服飾に興味がないが、このウェディングドレスがおそらく2011年時点で最高レベルの服飾技術を駆使した作品で、その後のウェディングドレスのトレンドを決定するものになるだろうということくらいは想像できる。さらに、そうした点を指摘する信頼できそうなファッション記事もいくつか読んだ。
ウィキペディア創始者のひとりであるジミー・ウェールズは、ウィキペディアには誰も知らないようなLinuxディストリビューションについての記事が100項目くらいあるのに、はるかに影響力がありそうなこのドレスの記事が削除されるのはおかしいのではないか、というようなことを示唆した。いったいなんで、ウィキペディアは綺麗なドレスがそんなに嫌いなのだろうか?
それは、ウィキペディアが男の世界だからだ。
女性ウィキペディアンは1割前後
歴史家のピーター・バークは『知識の社会史2――百科全書からウィキペディアまで』(井山弘幸訳、新曜社、2015)で、ウィキペディアの「多くの著者が男性で、北アメリカ出身で、コンピュータ狂か専門の学者」(p. 426)だというステレオタイプを紹介している。これはあながち間違いではない。
2011年にウィキメディア財団が行った調査では、アンケートに協力したウィキペディアンのうち、女性は9%程度だった。2013年に行われた別の研究では、ウィキペディアンに占める女性の割合は16%程度だと推定されている。私は日本女性のウィキペディアンだ。皆さんが今読んでいる記事の著者は、実はけっこうレアキャラだ。
女性が少ないせいでウィキペディア記事が偏っているということは、よく指摘されている。歴史上の女性や、女性が使うようなもの、女性のファンが多いコンテンツなどについては記事が充実しておらず、項目があっても削除依頼にかけられやすい。
アメリカの『スレート』誌によると、ケイト・ミドルトンのウェディングドレスが削除依頼にかけられたのは、ファッションが「女性向けの軽薄なトピック」だと思われがちだからだ。
女性に大人気だったバンドのワン・ダイレクションについては、ソロの業績が無いという理由で、英語版ウィキペディアでは2012年頃まで、一番メディアでの露出が多かったハリー・スタイルズですら個人記事を作らせてもらえなかった。
ウィキペディアで伝統的に重視されている主題でも、女性が絡むと削除依頼が出ることがある。
ウィキペディアには、皆で集まって特定の話題に沿った記事を書くエディタソンというイベントがある。2012年にスミソニアン博物館で行われた女性と科学がテーマのエディタソンでは、アーカイヴ資料を使って英語版ウィキペディアに女性科学者の記事が立項された。そのうちのひとりである古生物学者ヘレン・M・ダンカンの記事は削除依頼にかけられ、植物病理学者のクララ・ハッセも削除すべきだという指摘を受けた。
スミソニアンに文書が保管されていてエディタソンの対象に選ばれたからには、一般には知られていなくとも専門分野では業績がある学者なのだろうと予想できそうなものだが、それでも特筆性が疑われたのだ。この出来事は、ウィキペディアが女性に対して不自然に厳しくなる例として、英語圏のメディアでかなり批判された。
一方で、男性のファンが多そうな分野については特筆性の基準が低いことがある。英語版ではジミー・ウェールズがあげたLinuxディストリビューションがそうだし、日本語版ではAV女優の場合、活動期間が短くても立項できるとされていたので、無名女優の低品質な記事が乱造され、最近立項基準が引き上げられることになった。ハリー・スタイルズに比べると、えらい違いだ。
「男子文化」の壁
女性のウィキペディアンが少ないのはなぜだろう?その理由としては、そもそもウィキペディアの土台になっているハッカー文化が男子文化だから、という指摘がある。
ウィキペディアの研究をしているジョゼフ・リーグルは、自由を好むハッカー文化が逆説的に女性を疎外してしまっている傾向を指摘している。実はこれは私もたまに感じることで、ウィキペディアンはあまりにも「自由」や「中立」を好むため、女性を増やそうとか、女性に関する記事を充実させようという試みすら、ウィキペディアにバイアスを持ち込んで自由を侵害する行為だと考える人がいる。
さらに、女性は社会の中で自信を持てないような状況に追い込まれがちで、自分から発信することに抵抗を感じやすいことがウィキペディアでの偏った男女比につながるのではないか、という指摘もある。
しかしながら、ウィキペディアに限らず、百科事典というのはどれもけっこう性差別的だ。18世紀の百科全書やブリタニカの初版も、女性による執筆参加や女性に関する記事の質という点では惨憺たるものだった。
ウィキペディアとブリタニカを比較した2011年の研究では、女性の伝記記事については両方にジェンダーバイアスがあり、どちらにも他方よりフェアである分野、そうでない分野があるという結果が出ている。
ウィキペディアにおける性差別を指摘すると怒ったり、受け入れなかったりするウィキペディアンもいるが、百科事典はそもそも社会の偏見を反映していて、ウィキペディアもそれをそのまま受け継いでいるだけだ。ウィキペディアだけ性差別がないと考えるほうがおかしい。
個人的には、女性のウィキペディアンが少ないことには参入障壁の高さがあると思っている。ウィキペディアには荒らしや編集合戦を防ぐための決まりがたくさんあり、これを守らず突撃すると記事が消されたり、編集した人がブロックされたりすることもある。この参入障壁は性別に関わりなく襲いかかってくるが、一方で女性が女性に関する記事を作ろうとした時、モデルにできる記事がとても少ないということもある。
ウィキペディアには秀逸な記事や良質な記事というものがあり、コミュニティが良い記事だと判断したものは良質な記事に、さらにその中でも抜きんでて良いと考えたものは秀逸な記事に選ばれる。
2018年9月24日時点で日本語版ウィキペディアの秀逸な記事になっている83本のうち、女性に関する記事と言えそうなのはアンネ・フランクと、古代ギリシアの巫女の預言に関する詩集『シビュラの託宣』だけだ。良質な記事1381 本の中にはもう少し女性の伝記記事などがあるが、女性が着る衣類や化粧品についての記事は1本もない。これでは、何を模範にして女性についての記事を書けばよいのか、よくわからない。
女性執筆者・編集者を増やす努力
もちろん、女性ウィキペディアンが増えたからと言って、女子文化に関する記事がすぐ充実するわけではない。女性だからファッションが好き、化粧に詳しい、などと考えるのは大間違いだ。ケイト・ミドルトンのウェディングドレスについての議論では、削除を支持する女性もいた。
かく言う私も、化粧はしないし、ファッションには興味が無いし、ワン・ダイレクションにもウェディングドレスにもできるだけ近付きたくない。
それでも私はフェミニストでウィキペディアンなので、責任感を感じて普段から女性についての記事を作るようにしている。また、私は2015年から英日翻訳ウィキペディアン養成セミナーという授業を実施している。
これは英語教育の一環として、大学生に英語版ウィキペディアの記事を翻訳してもらい、日本語版にアップロードするという社会貢献プロジェクトだ。記事は候補一覧から学生に選んでもらうが、リストの中にはできるだけ女性に関係ある項目を入れるようにしている。
そうすると興味を持ってくれる学生もおり、今までにケイト・ミドルトンのウェディングドレスやウィキペディアにおけるジェンダーバイアス、ヘレン・M・ダンカンなどの記事が作られた。
質を伴った、女性関連記事の充実を!
女性のためのエディタソンも行われている。前述した科学と女性の執筆イベントはもちろん、毎年3月8日の国際女性デー付近にアート+フェミニズムという、芸術と女性がテーマのエディタソンが世界中で開かれている。
こうしたエディタソンは立派な試みだが、ウィキペディアンとしては不満もある。というのも、エディタソンや特定地域の記事を書くウィキペディアタウンといった執筆イベントは、ウィキペディアを充実させるよりはフェミニズムとか町おこしとか、別の目的のほうが重視されがちだからだ。
結果的に記事が宣伝のようになってしまったり、思い入ればかりが余った質の低いものになったりする。ウィキペディアの決まりを知らない初心者が集まり、ベテランのウィキペディアンや図書館の支援も受けずに実施しようとする場合すらあり、結果は推して知るべしといったところだ。
私はフェミニストで、ウィキペディアンだ。宣伝的でない正確で面白い記事がウィキペディアに増えてほしいし、女性に関する記事を充実させるのならば、記事の質と両立させなければダメだと思っている。
ウィキペディアコミュニティは、正直言ってあまり女性にとって居心地の良いところではないと思う。
性別を明かさなければセクハラを受けないというのはマシなところかもしれないし、私はもう古株でウィキペディア15周年企画の特別サイトに載ったことがあり、ありがたいことに比較的まともな活動をしている変人としてコミュニティで認知してもらえているが、それでも女性だから歓迎されていないと思ったことはある。
たぶん、この記事を書いたせいで怒るウィキペディアンがいるだろうとも思う。ただし、私はウィキペディアがそれだけで人を追放するようなところではないとも信じている。
私はこれからももっと女性のウィキペディアンが増えることを祈って、粛々と面白そうな記事を書いたり、学生を指導したりするだけだ。