働き方は、生き方です。人それぞれ人生が違うように、働くスタイルも多種多様、正解はありません。会社や周りの力を借りながらも最終的には、どのように働くかは自分の意思で改革していくしかありません。今回は、舞台やテレビ、ラジオ、粘土創作など、さまざまな分野で活躍する片桐仁さんに話を伺いました。「私の」「私のための」働き方を改革するためのヒントが、そこにありました。
コンプレックスを抱え、
肩書に向き合えなかった、あの頃
コントグループ〈ラーメンズ〉としてデビューしたのち、俳優や声優、さらには彫刻家と、活躍の幅を広げている片桐仁さんだが、実は長らくコンプレックスを抱えていたという。その原点は、多摩美術大学に通っていた学生時代まで遡る。
「美大に進学したらアーティストになれると思っていたら、自分よりセンスのあるやつらに出会って打ちのめされるわけです。そんなとき(小林)賢太郎に『芸能人の描いた絵画が注目されることもあるから、俺らも芸能人になればいいんじゃないか』と誘われるがまま、大学で漫才をやってみたらウケたんですよね。それがすごい快感で……」
こうして結成されたラーメンズは、3年後の1999年、NHK『爆笑オンエアバトル』に出演し知名度を上げた。同年、マンガ雑誌『ヤングマガジンアッパーズ』で粘土作品の連載を開始すると、個人名義で彫刻家としての活動も行うようになる。
「まさに、大学時代に考えていたような流れで作家活動をはじめたわけですが、『あくまでもタレントとしての立場があるから仕事をいただけているんだ』と。自分はまっとうな芸術家ではない、というコンプレックスを10年以上抱えてきました」
転機となったのは、自身がこれまでに制作してきた粘土作品を集め、個展を開催したときのこと。
「月一で20年近く連載してきたわけですが、作品が170点くらい並んだとき、思い出が蘇ってきたんです。『これは楽屋で作ったな』とか『地方公演の合間に頑張った』とか。そのとき、作品に自分の人生が乗っかっている気がしました」
統一感がないように思っていた作品も結集させると“彫刻家・片桐仁”の作風ができていると気づき、自分でも認められるようになったという。このように、今でこそ複数の肩書を受け入れられているが、かつては居心地の悪さを感じていたと話す。
「呼ばれるがままドラマ出演したときも、まったくお芝居ができなかったんです。でも、どこか本気じゃなかったのは、『俺にはラーメンズがあるし』って甘えがあったから。かといってバラエティに呼ばれてもうまく喋れない。同じ土俵で勝負しなければ傷つかないので、バラエティに呼ばれると俳優っぽく振る舞い、ドラマの現場に行くとお笑い芸人みたいな素振りをしていた時期もありました」
自身のことを“とにかく受け身”だと評する片桐さん。求められる方向に流されていくなかで、やりがいや、楽しさを見出せるようになった。
「お芝居は現場によって求められることが違うから、一度認められても、次の現場へ行ったら通用しないこともある。自分の“ものさし”だけじゃ測れないことを面白がれるようになってきました」